生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。
このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。
第13回は、
取材・
剣道部の有望株が「歌でやっていこうと思います!」
──佐藤さんの音楽の原体験を教えてください。
母親がよく童謡を歌ってくれていた記憶があるのですが、僕はそれを聴いて覚えて、家族の前でよく歌っていました。あるとき、幼稚園で好きだった女の子がピアノのグループレッスンをしていると知って、自分も一緒にやりたいと思ったんですよ。反対する父親に毎日お願いして、いざやらせてもらえるようになったら、自分が習うことになったのは個人レッスンだったという(笑)。でもそのおかげで音感は養われたと思います。
──こうと決めたら、引かないような子供だったんですか?
いえ、そういうタイプではなかったですね。剣道の試合で負けても悔しくなかったですし。ソフトボールや水泳も、人よりできなくても、自分のペースで楽しむというか(笑)。でも、そんな僕が初めて悔しいと思ったのが歌でした。高校生で本格的にクラシックの発声を学び始めてから、人よりうまく歌えないと悔しくて。母親は「あんたが『悔しい悔しい』って言うなんて」と驚いていました。よほど好きだったんでしょうね。歌に関しては小さい頃から褒められてきて、そう言ってもらうことで承認欲求が満たされたし、心地良かった。大学生の頃までそんな感じだったので、大学の同級生が「歌で人を感動させたい」と言っていても、「うそこけ!」と思っていました(笑)。
──国立音楽大学で声楽を学ばれましたが、本格的に歌の道に進もうと思ったきっかけは何だったんですか?
高校のときの恩師が「良い声をしているから」と合唱部に入ることを勧めてくれたんです。中学生の頃、僕は剣道部に所属していて、合唱はコンクールのための特設合唱部で経験したのですが、そのとき「合唱って楽しいな」と思って。でも、剣道は小学生の頃から一生懸命やっていて、高校では顧問の期待に応えて、やっとレギュラーをつかんだ頃だったんですよ。それでも半年間悩んで、「歌でやっていこうと思います!」と剣道部を辞める決断をしました。そこからはもう、めちゃくちゃ楽しい日々。音大も、高校2年生のときに恩師から「がんばったら行けると思う」と言われたので、「行きます!」と。
先輩とそっくりなのに…発声への目覚め
──佐藤さんは発声マニアとしても知られています。
高校時代に、音大に行った先輩に声楽を教わって、その先輩とそっくりな声を出せるようになったので恩師に披露したんです。そしたら「それ良い声じゃなくて、こもっている声」と言われて。“作ったようなオペラ声”だったんですね。そこで、「先輩も良い発声をしているわけではないんだ」と気付き、恩師に言われた“響く場所”を探すようになりました。ピアノを弾きながら試していたら、急にポンと抜ける感覚があって、自分の声が3倍くらい大きく聞こえたんです。「なんじゃこれはー!」って(笑)。発声って坂道を上がるように徐々にうまくなるのではなく、階段方式というか、平坦なところからある日グンと次のレベルに行くんです。それが楽しくて、浅い声で響かせたり、空間を使って響かせたりと、ゲームをするみたいにいろいろな声を体得していき、発声にのめり込んだ高校時代でした。
──発声に目覚めてから、音楽大学に入学されたんですね。
そうです。音大では1年目にすごく良い成績を取ってしまって、それで「俺の歌を聴け」とてんぐになっちゃいけないとわかりつつ、なっていました(笑)。でも、学年の上位1割が入れるアドバンストコースに落ちてしまったことで、初めて挫折を味わって。人前で歌うことが怖くなってしまったんです。落ちた理由にはバリトンからテノールに転向したこともあったと思うんですが、僕が入れなかったことに母親が落ち込んでいる姿を見て、自分もズーンと来てしまって。翌年はハングリー精神から、ピアノ科や教育科の人も入れる声楽コースには行かず、図書館にこもって「絶対に歌をうまくなってやる」と、いろいろな人の発声方法やオペラのDVD・CDをあさって、高音の出し方のコツを探しました。
めまぐるしく変わるミュージカル、5分かけて「好き」を伝えるオペラとは違う
──「身長180センチ以上の音大卒」という縛りで2008年にデビューしたLE VELVETSのオーディションには、どういう経緯で挑まれたんですか?
大学の終わりの頃に、オペラの道に進もうとしていたんです。でも実はオペラを観たことがなかったので、期待値マックスで観に行ったら、眠くなっちゃったんですよね。そんなときに友人に誘われて井上芳雄さんのソロコンサートを観に行って、「めちゃくちゃ若い人なのにこれだけのお客さんを集めてコンサートをやるってすごい、こんな世界があるの!?」と衝撃を受けたんです。オペラでは三十代はひよっ子で、四十代で役をもらえて、五十代で花開くみたいな世界なので。それからすぐ、井上さんが出ていた「ウェディング・シンガー」で初めてミュージカルを観劇して、衝撃を受けました。オペラは歌の技術を聴かせる文化だから、「好きです」と言うのに5分かけて、ストーリーがなかなか進まないんですよ(笑)。時間をたっぷり使って生きていた時代のものだから。一方でミュージカルはめまぐるしくシーンが変わるし、歌あり踊りありでストーリーが展開されて、楽しい。「なんじゃこりゃ!」と感激して、「この道良いかも」と思ったんですよね。
──なるほど(笑)。
それで、お芝居のことは何もわからないけど、「歌だったらいけるのでは」という漠然とした自信から、ミュージカルの世界に進もうと思ったんですが、案の定、音大の先生に大学院を勧められて。試験に“落ちるため”に、今まで勉強してこなかったドイツ語で受けて、落ちました。先生には怒られましたが、その日のうちに友人を頼って井上さんの地元・福岡の先生を紹介してもらい、その先生に電話で気持ちを伝えて、東京で習えるバレエ、ジャズダンス、歌の先生を紹介してもらったんです。それから1カ月後にはニューヨークへ行くことになって、歌とバレエを習いました。ニューヨークでは歌うときの力の抜き方を学んだんですが、当時観たミュージカル「リトルマーメイド」のセバスチャンを演じていた俳優の方の歌がもう……「無理ー!」ってくらいうまくて(笑)。本場を知って日本に帰ってきたら、正直物足りなく感じてしまって、じゃあ自分の好きな発声を突き詰めるためにはオペラの世界のほうが良いのかな、とまた悩み始めた頃に「面白いオーディションがあるよ」と話が来たんです。
──それがLE VELVETSだったんですね。
はい。当時のプロデューサーが、「LE VELVETSにはオペラのような歌やロック、アカペラなどいろいろなものを歌わせたいんだ」と言っていて、まさに自分がやりたいものだと確信しました(笑)。LE VELVETSに入ったあとは、一番年の離れた宮原(浩暢)さんと発声について語り明かす日々でしたね。音大を出ている人は大体プライドが高いから、発声のことを言われるとカチンとくるはずなんです。でも宮原さんは僕の話を嫌がらずに聞いてくれて。お互いうまくなるために一生懸命だったんだと思います。
生まれ持った歌のうまさに、素直な性格が相まって、幾度も遭遇する「なんじゃこりゃ」に人生の道を切り拓かれてきた佐藤。ちなみに体が硬かった佐藤は、プールの監視員のアルバイトをバレエの5番ポジション姿でやっていたとか。そんなチャーミングな彼が、後編ではいよいよミュージカルの世界に踏み入れたあとの葛藤を語る。
プロフィール
1986年、福島県生まれ。男性ボーカルグループ・LE VELVETSのメンバー。2008年にメジャーデビュー。2015年、「タイタニック」でミュージカルに初出演する。その後、音楽活動と並行して舞台出演が続き、主なミュージカル出演作に「エリザベート」「スカーレット・ピンパーネル」「キューティ・ブロンド」「マタ・ハリ」「CHESS THE MUSICAL」など。2019年、ミュージカル「レ・ミゼラブル」にジャン・バルジャン役で出演。現在、同作の2021年上演版に出演中。2019年に好評を博したLE VELVETSコンサート「WORLD MUSICAL」の進化版「WORLD MUSICAL 2」が、10月21日に東京・かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール、23日に大阪・メルパルク大阪 ホール、11月21日に東京・Bunkamura オーチャードホールで開催される。
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