世界中から“祝福”を受けて
ワールドツアーは多大な成功を収めて終了した。それは単に動員数の多さだけでなく、米津自身にとっても深い意味を持つ体験になったのではないかと思う。
今回のツアー中、米津は国内公演のMCでもこれまでの音楽人生を振り返っての思いを語っていた。中学生時代、パソコンの前に座り、1人で音楽を作ることが生きがいだったこと。高校時代にバンド活動をやってみてもライブ文化には馴染めなかったこと。孤独や閉塞感を感じながら、画面の向こうとのコミュニケーションが自分にとっての音楽活動だったこと。そして気付けば見える景色が変わり、大きな場所に立っていたということ。
自分の音楽を求めて集まる何万人もの人々と直接向き合う実感を、米津は「祝福」という言葉で表現していた。
米津は自作について語る際、しばしば「祝福」という表現を用いる。それは「パプリカ」や「M八七」「地球儀」などに見られるように、幼少期に感じたものや受け取ったものが、その後の長い人生を生きる上での糧や支えになる、という文脈で使用する言葉だ。
今回のツアーで観客と向き合った経験を米津自身が「祝福」と受け止めたということは、そういった意味でも大きな意義を持つ出来事だったのではないだろうか。そしてその実感を、言語や国境を超えてアジア、ヨーロッパ、アメリカのオーディエンスとともにしたことも、かけがえのない価値を持つはずだ。
ソウルでもロサンゼルスでも、米津はこれまでの音楽人生を振り返りながら感慨を告げていた。だからこそ、そのことが胸に残った。
そして米津は各地で再会を約束していた。次回のワールドツアーがいつになるかは未定だが、今回の成功を受けて、さらに大きな規模での開催も期待される。さらなる挑戦が楽しみになった。
帰国した米津は、4月10日16:06にワールドツアーを終えた今の思いをXに投稿。1700字を超えるメッセージはこう結ばれていた。
全てのライブ公演と皆の顔を鮮明に思い返せる。角膜の一センチ先ではなく、非常口を知らせる緑のライトでもない、その間にいる皆と、今回わたしは初めてちゃんと目を合わすことができた。成長して大人になるうちに、いろんなものを取りこぼしてきたけれど、長く続けていくうちに失うものはこれからも尽きないだろうけれど、そうでなければあの瞬間もなかったのだとすると、それはそれで。皆ずっとそこにいたんだね。来てくれて本当にありがとう。また会いましょう。
米津玄師 ハチ(@hachi_08)Xより。
柴那典(しばとものり)
1976年神奈川県生まれの音楽ジャーナリスト。京都大学総合人間学部を卒業後、ロッキング・オン社を経て独立。音楽を中心にカルチャーやビジネス分野のインタビューや執筆を手がけ、テレビやラジオへのレギュラー出演など幅広く活動する。著書に「平成のヒット曲」「ヒットの崩壊」「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」、共著に「ボカロソングガイド名曲100選」「渋谷音楽図鑑」がある。音楽ナタリーでは
※「宮崎駿」の「崎」はたつさきが正式表記。
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柴 那典 @shiba710
米津玄師ワールドツアー「KENSHI YONEZU 2025 WORLD TOUR / JUNK」のレポートを書きました。
「こんなに熱いライブ、人生で初めてでした」と米津さん自身が語ったソウル公演、特別な思いを打ち明けたツアーファイナルのLA公演、そして今回のツアーの意義について。是非読んでみてください。 https://t.co/gygxNlmTOg