園田賢

私と音楽 第40回 [バックナンバー]

園田賢が語るKAN

歌に登場する主人公が“カッコ悪い”──そこが園田少年と重なる

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各界の著名人に愛してやまないアーティストについて話を聞く本連載。第40回は赤坂ドリブンズの選手として麻雀プロリーグ戦「Mリーグ」でも活躍し、“麻雀賢者”などの異名を持つプロ雀士・園田賢に登場してもらった。

2023年11月にKANがメッケル憩室がんにより亡くなったことを受け、X(Twitter)に「今も一番好きなアーティストです」とポストし、自身の考えるKANのバラードランキングを発表した園田。実は高校時代にストリートミュージシャンとして活動し、本気でミュージシャンになることも考えたという園田に、KANの魅力をたっぷりと語ってもらった。

取材・/ 中山洋平 撮影 / 大槻志穂

「愛は勝つ」との出会い

僕が熱心に音楽を聴き始めたのは、小学校高学年の頃です。それまでは両親が車の中で流していた谷村新司さん、中島みゆきさん、来生たかおさん、佐野元春さんの楽曲を聴いていた程度でしたが、小学校の学芸会で仲のいい友達が3つのグループに分かれて歌を披露する機会があって、そのときにみんなで歌ったのがMi-Ke「想い出の九十九里浜」、CHAGE and ASKA「SAY YES」、そしてKANさんの「愛は勝つ」でした。そこで「歌謡曲っていいな!」と思ってレンタルCDショップに通い始め、音楽がどんどん好きになっていきました。

灘中学という男子校に進学した僕は、当時、絶望的なまでに女子との接点がありませんでした。それこそ、KANさんの楽曲を聴いて「女の子との恋愛ってこんな感じなのかな」と妄想するような日々でしたね。そして15歳になり、「高校デビューしなきゃ」という思いでマクドナルドでアルバイトを始めます。大学1年生の女性を好きになってアタックしましたが、見事に玉砕……そんな折に、15歳ほど年上のバイトの先輩がストリートミュージシャンとして活動していることを知り、そこでいろんな女の子と接点を持っていたことが発覚しました。「これや……!」と思いましたね。そうして高校1年生の夏頃から、僕も地元神戸の三宮でストリートミュージシャンとして活動を始めました。目的は「歌うことで自分を表現したい」という高尚なものではなく、「女の子にモテたい」というよこしまなものです。以降、その先輩を師と仰ぎ、中島みゆきさん、尾崎豊さん、長渕剛さんという3アーティストを軸に、さまざまな人気アーティストの楽曲を弾き語りしていました。立ち止まってくれた方々のリクエストに応えながら、酔っ払いが多かったら長渕剛、若者が多かったらL'Arc~en~Cielといった具合に、お客さんの層に合わせて、演奏する曲を変えていました。

ほかにもギターケースに1000円札や小銭をちりばめたり、別のナワバリで歌っている仲間とサクラを演じ合ったりするなど、戦略を立てながら活動していました。その甲斐あって、当時マクドナルドの時給は700円弱でしたが、バイト並みの稼ぎを得ることができていました。麻雀の成績表のように収支表をつけながら、ストリートで活動する毎日でしたね。

ストリートミュージシャンとして活動していた園田賢。

ストリートミュージシャンとして活動していた園田賢。

大学に行かず、ミュージシャンになりたい

そんな日々は非常に楽しく刺激的で、狭いコミュニティの中で勉強し続けている高校の同級生に対して優越感を抱くようになりました。いつしか「ミュージシャンになろう」と真剣に考えるようになり、両親に「大学に行かず、ミュージシャンになりたい」と言ったところ、「ふざけるな、ばかやろう」と怒られましたが。それでも簡単には夢をあきらめることができず、“夢への第一歩”ということでデモテープを作ることにしました。MTRやシンセサイザーを買ってオリジナル曲を録音しましたが、完成した作品は……聴くに耐えない代物でしたね。でも、ストリートに出ればそこそこお金は稼げていたし、「これは機材が悪いせいだ」と自分に言い訳をして、現実から目を背けていました。

そんな中でいつも通りストリートで歌っていると、ある日、某ラジオ局で働いている方が通りかかり、「オリジナル曲をラジオで紹介させてほしい」と言ってきたんですよ。ワクワクしながらオンエア日を迎えると、そこから流れてきたのは本当に聴くに耐えない歌声……。「めちゃくちゃ下手だな!」と顔から火が出る思いで、ようやく現実と向き合いました。その頃には雀荘で働き、麻雀という夢中になれるものも新たに見つけていましたし、心を入れ替えて大学にも進学。音楽の道はすっぱりあきらめました。

「野球選手が夢だった。」で心底夢中に

先ほど言った通り、初めて知ったKANさんの楽曲は「愛は勝つ」です。あの頃はレンタルCDショップでさまざまな作品を借りていましたが、収録曲数を考えるとシングルよりアルバムをレンタルしたほうが圧倒的にコスパがいい。「シングル、もったいなくね……?」と気付いて以降は、すべてアルバム作品を借りるようになっていました。そんな中でKANさんのアルバム「野球選手が夢だった。」を聴いて、心底夢中になりました。捨て曲のなさに驚きましたね。続けて「めずらしい人生・KAN 1987~1992」というベスト盤を借り、これもめちゃくちゃよくて、そこからKANさんの過去作品をすべて借りて聴き込むようになりました。

「野球選手が夢だった。」のジャケットを再現する園田賢。

「野球選手が夢だった。」のジャケットを再現する園田賢。

ストリート時代にKANさんの楽曲を演奏しなかったのには理由があって、まず「愛は勝つ」が自分の中であまりピンとこなかったこと。僕はKANさんの胸が締め付けられるような、センチメンタルなナンバーが好きだったんです。歌詞を読むと、だいたい主人公が失恋しているんですが(笑)。そういうKANさんの名曲の数々を僕はストリートに出る前からたくさん知っていたんですけど、一方でそれらの曲を外で歌っても、あまり知られていないのが実情でした。尾崎豊さんのような声を張り上げる歌のほうが街の中へ広がっていきますし、やはりお客さんの食いつきもいい。KANさんの曲で街中で歌ったことがあるのは「まゆみ」「君が好き胸が痛い」くらいですね。「愛は勝つ」があまりにも有名ですが、ほかにもたくさんのいい曲があって、それらが世間に知られていないのが当時もどかしい気持ちでした。

今でもしんみりしたいときに聴きたくなる

KANさんにガッツリとハマっていたのは高校時代までですが、今でもKANさんはしんみりしたいときに聴きたくなります。僕の中で“しんみりしたいバロメーター”がレベル3までいくと中島みゆきさんを聴きたくなりますが(笑)、レベル1くらいだとKANさんがちょうどいい。主に初期、中期に発表されたバラードが好きで、それらには30年以上前の楽曲も含まれますが、今でも一番好きな曲がコロコロと変わります。そういう意味でも、KANさんは僕の胸の中にずっと生き続けているんでしょうね。

KANさんの曲はお酒を飲んでいるときに聴くのがピッタリなんですが、誰かと一緒に飲んでいるときではなく、1人でいるとき限定です。KANさんのバラードを聴いて一緒に「いいよね」と言ってくれる友達がいなかったためか、前から“人と一緒にいるときに聴く音楽ではないな”というのが自分の中にあって。そして、KANさんの楽曲には優しい人柄があふれていて、心に寄り添ってくれる。そういう部分も1人で聴きたくなるポイントなのかもしれないです。

唯一、KANさんの楽曲を人に強くレコメンドした思い出は、マクドナルドのアルバイトで大学1年生の女性に恋をしたときです。当時は「MAN」というアルバムが発売された頃で、1曲目に収録されていたのが「涙の夕焼け」でした。これがすごくいい曲で、その女性にめちゃくちゃ勧めていましたね。向こうからしたら、高1のガキンチョがしつこく言ってくるから「いい曲だね」と渋々リアクションしてくれていたんだと思いますが、そんな思い出もあって「涙の夕焼け」は失恋の曲として脳裏に刻まれています。

遠い日の恋の記憶に思いを馳せる園田賢。

遠い日の恋の記憶に思いを馳せる園田賢。

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桜井和寿との共作曲に興奮

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園田賢 (YouTube『その研』始めました) @sonodaken

大好きなKANさんについて取材して頂きました!KANさんのアー写を模した写真もたくさん撮ってもらいました。ぜひご一読ください🙏!! https://t.co/jRX55rsuq9 https://t.co/kTcLcdRFEH

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