左からコニーちゃん、Bose(スチャダラパー)、Pちゃん。

「ポンキッキーズ」がもたらした音楽への“目覚め” (前編) [バックナンバー]

スチャダラパーBoseが振り返る「ポンキッキーズ」

番組にはサブカル的なものを挟み込みたいと思ってた

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「ポンポポンポ」はガンショット?

「ポンキッキーズ」への出演がスタートする直前の1994年3月、スチャダラパー小沢健二のコラボレーションシングル「今夜はブギー・バック」がリリースされる。その後スチャダラパーの人気は鰻登りで、1994年に「スチャダラ外伝」とベストアルバム的な「ポテン・ヒッツ ~シングル・コレクション~」、翌1995年に「5th wheel 2 the Coach」と、マスターピースと呼ばれるアルバムを立て続けにリリース。ラッパーと子供番組のMC。イメージとしては相反するものがあるような気もするが……。

「『今夜はブギー・バック』のヒットよりも前に、『ポンキッキーズ』への出演が決まっていたし、最初のほうはスケジュールに余裕があったから、収録で週2日押さえられても特に問題はなかったんです。ピエール瀧と相部屋で、待ち時間に畳に寝転がってゲームの話をするのも楽しかったし。でも『ブギー・バック』がヒットしてから、徐々にスチャダラパーの活動が忙しくなってしまって。僕らの制作作業って、けっこう時間がかかっていたんですよ。メンバーで集まって曲を作って歌詞を書いて……という作業を朝までやって、そのままフジテレビに『ポンキッキーズ』の収録に行く、という感じになってきて。収録のあとにまた戻ってスチャダラパーの作業を続ける、みたいな。『ポンキッキーズ』への出演とスチャダラパーとしての活動を両立すること自体は面白がっていましたけどね。もともとのキャラクターとしても、怖かったり、悪かったりするわけではないから、子供番組に出てもギリギリセーフだったというか。もちろんクラブで遊んでいたりはするけど、そもそもピエール瀧と僕が出ているんだから、それはね(笑)。今の時代だとダメかもしれないけど」

Bose

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視聴者に面白く、そしてわかりやすく物事を伝えることが最善ともされる「ポンキッキーズ」の世界。そこに飛び込んだBoseは、いったいどんな点にこだわっていたのだろうか。

「ラップもそうだけど、僕はもともと、みうらじゅんさんとかサブカル的な、テレビとは違う世界のものが好きで。瀧もいることだし、『番組にはちょっと変なことを挟み込みたいな』と思っていました。テレビでやるにはわかりやすくしなきゃいけないし、難しかったですけどね。でも、うまいこと、コソコソっと子供たちに伝えられないかなと思っていて。『ポンキッキーズ』でラップを知って、そこからスチャダラパーを聴いた子供たちが『変なことばっか言ってんな』って感じてくれればなと思っていたんです。オープニングソングの『ポンポポンポポンキッキーズ!』っていうフレーズも、ガンショットをイメージしたんだよね。盛り上がったらライブでも『ポンポンポン!』って言ってたから、その雰囲気が出ればなと。そういうあそびをプロデューサーに気付かれない程度に入れていこう、みたいな(笑)。あと、当時の『ポンキッキーズ』は、フジテレビの中でも大事な子供向けコンテンツとして守られていた感じがあったんです。『視聴率を取るよりも、とにかくちゃんといいものを作ってください』みたいな。まだそれが許されている時代で、ちゃんと番組作りをやっていれば怒られないというか。小畑さんにも『自由にやっていいんだよ』と言っていただいて。時代の変化とともにそれもだんだん難しくなっていったと思うけど、当時はまだそういうおおらかさがあったから、僕や瀧みたいなサブカル的な要素を挟み込む隙間があったんでしょうね」

モダンチョキチョキズ「ピ ピカソ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

モダンチョキチョキズ「ピ ピカソ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

「一度、小沢(健二)くんが番組に出てくれたときがあったんです。小沢くんとは普段から仲がいいし、友達みんなでワイワイ一緒に遊んでいたんだけど、カメラに映っているときの僕は普段とは少し違って。小沢くんは表現に対して純粋だから『いつもみたいにもっと楽しくやれないの?』っていう感じで、すごく不思議そうにしてましたね(笑)。僕は『小沢くん、それは無理なんだよー』と言ったんだけど、小沢くんはそこを越えようとしてくれたから、あの回はけっこういいものが撮れたんじゃないかと思っています。そんな感じで、面白さとわかりやすさの狭間を探るのが難しかったですね。山田邦子さんがゲストで来てくれたことがあったんだけど、やっぱりそういう人はプロだから、そのラインをちゃんとわかってる。それを見て『なるほどな』って勉強になることもありました」

「あのポンキッキーズの人ってラップの人なんだ」

自身が蒔いた“サブカルの種”が育っているなと感じたことはあるのだろうか? まさに筆者も子供の頃に「ポンキッキーズ」でラップを知り、当時のBoseの企みに見事引っかかった1人ということになる。

「それは何十年も経って、『ポンキッキーズ』に影響を受けたと言ってくれる人たちが現れてからだよ(笑)。『ポンキッキーズ』で僕が着ていた服がきっかけでファッションの仕事をやってるという人もいて、そういう話を聞くと『あのときPOLOのショーツとかNIKEのスニーカーを履いててよかった』って思います。『何十年も経って、返ってくるもんなんだなあ』って」

「ポンキッキーズ」でのBoseは、いつも赤いキャップにショーツを合わせた衣装だった。普段着らしさもありつつ、どこかコンセプチュアルな魅力もあるスタイルが今も強く印象に残っている。

「もちろん衣装もスタッフと相談して決めていたんだけど、僕は普段着みたいな格好をしたくて、『どこらへんがちょうどいいんだろう?』と模索してました。そこで、自分で選んだ赤いキャップを被って短パンを履いて“僕”っていうキャラクターを作ったんだよね。そしたら、番組に出ていた僕のコスプレみたいな格好した子がライブに現れるようになったりして。そういうのは面白かったな」

Bose

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平日の朝、毎日テレビに登場する生活。“「ポンキッキーズ」のBose”として、番組出演当初はどんな反応を感じていたのだろうか。

「『ポンキッキーズ』が始まってしばらくすると、どこに行っても自分たちよりちょっと上のお母さん世代の人たちが子供と一緒に声をかけてくれるようになったんです。『いつも観てます』って。それは自分にとってデカい変化でしたね。でも、そうやって声をかけてくれる人たちは、スチャダラパーの活動と『ポンキッキーズ』のBoseは全然結びついてないんだよね(笑)。お母さんたちも『何をやってる人なんだろう?』って思っていたんじゃないかな。逆に、スチャダラパーのファンの人たちは、『ポンキッキーズ』もやってるんだねって目で見ていたと思うけど。『ポンキッキーズ』から僕のことを知ってくれた人とスチャダラパーのリスナーが重なってくるのは、しばらくあとになってから。『今夜はブギー・バック』をきっかけに、いろんな人に聴かれるようになったけど、『ポンキッキーズの人ってラップの人なんだ』って気付いた人が増えたのは、そこから何年かあとだと思います」

「ポンキッキーズ」が気付かせてくれたこと

時代が進むにつれ、「ポンキッキーズ」にも徐々に変化が現れていく。メンバーの入れ替わりや時間帯の変更が続くも、Boseは1999年9月まで番組のレギュラーを務め、約6年間を「ポンキッキーズ」とともに過ごした。同期のピエール瀧らが番組から離れていく中、出演期間の当時の最長記録を築いたのだった。

「僕が出ていたときでも、最後のほうはだいぶ変わってきて。まず初めに、安室が忙しくなりすぎて番組を辞めたんだよね。瀧とはお互いに『急に1人になると困るから、辞めるときは言おう』と約束していたんだけど、ある日、瀧から『今年で辞めるから』といきなり言われて(笑)。そのあとに蘭々も去って行って、最後は僕だけ残った。蘭々とは最後まで一緒の出番が多かったけど、その時期に市川実和子ちゃんたちが加わったり、爆笑問題の『爆チュー問題』がスタートしたりして。みんな、理想はちゃんとキープしてがんばってやっていたけど、風潮というか世の中の感じ、テレビ局の事情とかでだんだん子供番組を悠長に作っている余裕はなくなってきてしまったのかな。セットも始まった頃と比べると、だんだん寂しくなっていく……という感じはあったと思う。もちろん番組を作っていたスタッフは最後まで一生懸命だったし、つながりもあったので、別のところで一緒に仕事をすることもあったんですよ。だから、見えないところでもひとつになってやっていた、という実感はあります」

Bose

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2001年以降、「ポンキッキーズ21」「beポンキッキーズ」と番組の名称も変化し、やがて放送局もBSフジへと移動する。2012年にはBoseが番組に復帰。彼は復帰の経緯について「自分に子供が生まれたということもあり、何事もなかったかのように出戻った」と語る。そして、2018年3月25日をもって、45年にわたる「ポンキッキ」シリーズは幕を閉じることとなる。しかし、今振り返ってみても、そして音楽面だけを取り上げても、「ポンキッキーズ」のレガシーはとてつもなく大きい。Bose本人にとって、「ポンキッキーズ」で過ごした6年間は、どんな意味を持つのか。

「番組をありがたがられるようになったのは、本当にだいぶ時を経てからなんですよ。今30歳を迎えたぐらいの子たちから、『ポンキッキーズの影響を受けている』ということをよく聞くようになって、『あ、そうなんだ』と。確かに、自分も子供の頃に読んだマンガなんかに影響を受けて曲を作ったりしているわけだから、それと同じですよね。でも、あのとき子供たちがみんな『ポンキッキーズ』を観ていたんだと思うと、テレビに影響力があった時代に自分もいることができたんだなって感じます。自分が何かしたわけじゃないけど。当時はもっとめちゃくちゃな『ウゴウゴルーガ』も放送されていたし、『ポンキッキーズ』は優等生的な番組とされてきた。僕自身は優等生じゃないけど、『ポンキッキーズ』に出ていたおかげでまともな人に見られがちだったから、番組との相性はよかったんだろうなと思います。番組出演中は大変なこともあったけど、小畑さんが『とにかく悪いことにはならないから』と言っていたんですよ。あと、『みんなのためとか気負わず、気楽にやってね』って。振り返ると、自分にとってはお得な経験でしたね。本当はもっと根暗でアンダーグラウンドなことが好きな人間で、『元気ー!』なんて言ってるけど、全然元気じゃねえんだけどなって。でも、『いつも元気で楽しそうだねって思われているのも僕なんだ』って気付かせてくれました」

後編に続く

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プロフィール

Bose(ボーズ)
スチャダラパーのMC担当。スチャダラパーは1990年にアルバム「スチャダラ大作戦」でデビューし、30周年を迎えた2020年には、アルバム「シン・スチャダラ大作戦」を発表した。2023年4月にシングル「リンネリンネリンネ feat. ロボ宙 & LUVRAW」を配信リリース。Bose個人としてはテレビ、ラジオ、CMへの出演やナレーション、執筆、ゲームなど、幅広いジャンルで活躍している。

スチャダラパー
ボーズ (@bose_sdp) ・Instagram

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