左からコニーちゃん、Bose(スチャダラパー)、Pちゃん。

「ポンキッキーズ」がもたらした音楽への“目覚め” (前編) [バックナンバー]

スチャダラパーBoseが振り返る「ポンキッキーズ」

番組にはサブカル的なものを挟み込みたいと思ってた

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フジテレビ系列で放送されていた子供番組「ポンキッキーズ」が今年10月で放送開始から30周年を迎えた。

1993年10月に、前身番組「ひらけ!ポンキッキ」をリニューアルする形でスタートした「ポンキッキーズ」は、放送枠の移動や番組名の変更を繰り返しながら、2018年3月の放送終了まで25年にわたり続いてきた。ガチャピンとムックという国民的キャラクターでも知られる「ポンキッキーズ」だが、番組を語るうえで欠かせないのがバラエティ豊かな楽曲の数々だ。番組にはBose(スチャダラパー)、ピエール瀧電気グルーヴ)、鈴木蘭々安室奈美恵、Folderといったアーティストが出演していたほか、オリジナルのミュージッククリップとともに楽曲がオンエアされるコーナー「P-kiesメロディ」には、斉藤和義和田アキ子米米CLUB大江千里山下達郎、スチャダラパー、電気グルーヴ、小沢健二、モダンチョキチョキズなど、多岐にわたるアーティストの楽曲が使用されていた。

子供番組でありながら上質な音楽を提供し続けてきた「ポンキッキーズ」は、多くの人にとって“ポップミュージックの原体験”としての役割を果たしていたのではないだろうか。その証拠に、番組開始から30年が経った今でも、PUNPEE、STUTS、Awich、常田大希(King Gnu、millennium parade、PERIMETRON)、岡崎体育をはじめとしたさまざまなアーティストが、幼少期に観た「ポンキッキーズ」からの影響を口にしている。そんな今、改めて「ポンキッキーズ」の音楽面を掘り下げるべく、音楽ナタリーは2度にわたる取材を実施した。前編となるこの記事では、番組初期よりMCを務めていたBoseにインタビュー。「ポンキッキーズ」をきっかけにラップミュージックに目覚めたというライター・渡辺志保を聞き手に迎え、Boseに当時のことを振り返ってもらった。

取材・/ 渡辺志保 撮影 / 塚本弦汰 ヘッダーイラスト / コニーちゃん:(c)kero/GM Pちゃん:(c)KITADA TETSUYA/GM

「ポンキッキ」イコール“音楽的にもいい番組”というイメージ

“パーパラパッパパラッパ…
おはようさ~ん、みなさん、準備はいいですか~?(ハーイ!)
行きますか!
元気(元気!)
勇気(勇気!)
ポンポポンポポンキッキーズ!”

1990年代前半、小学生低学年だった筆者の朝は必ずこのオープニングソングでスタートしていた。Boseが中心となって歌うこのテーマソング。ラップもヒップホップもまったく知らなかったけれど、「言葉遊びのような歌で面白い」とすぐにこの曲の虜になった。手拍子でリズムを刻む様子も、シンプルで大好きだった。年齢を重ねるにつれて、この言葉遊びがラップと呼ばれる歌唱法であること、ラップを内包しているヒップホップというカルチャーがあることを知った。その後もずっとラップミュージックに魅了され続け、このオープニングソングを初めて聴いてから早30年。今では多くのヒップホップアーティストにインタビューをしたり記事を書いたり、はたまたラジオ番組やトークイベントでしゃべることで生計を立てており、その扉を開いてくれたのは間違いなく「ポンキッキーズ」だった。

「『ポンキッキーズ』との出会いが自身の音楽の原体験であった」と語るミュージシャンは少なくない。多くの人々にひらめきを与えるきっかけとなった「ポンキッキーズ」だが、Boseと番組との出会いには、そもそもどんな経緯があったのか。

「最初に事務所に連絡があって、『ボーちゃん、ポンキッキーズの仕事が来てるけど』『えーっ?』って感じだったと思います。『ひらけ!ポンキッキ』は僕も子供の頃すごく好きで、番組からヒット曲が次々と出ていたことももちろん知っていたし、番組内のちょっとしたところでThe Beatlesの曲を使っているのも好きでした。だから『ポンキッキ』イコール“音楽的にもいい番組”というイメージがあったんですよね。もともと『ポンキッキーズ』は朝の番組としてスタートしたけど、放送帯が夕方になるということで、それまで幼児向けだったのを小学生くらいまで対象年齢を広げようという方向転換があったみたいで。そのときに、僕や(ピエール)瀧、(鈴木)蘭々、安室(奈美恵)の名前が挙がったみたいです。当時から電気グルーヴや前身の人生は好きだったから『瀧とやれるなら面白そうだな』と。それが出演の話を引き受ける直接のきっかけになっていたかもしれないです」

Bose

Bose

1973年にスタートした幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」(以下「ポンキッキ」)が、放送20周年のタイミングで大胆なリニューアルを遂げたのが「ポンキッキーズ」の始まりだった。1993年10月に番組がスタートし、当初は平日の朝7時半からの放送枠だったが翌年春には夕方帯へ移動する。それに伴い、Bose、ピエール瀧(ピエール)、鈴木蘭々(ランラン)、そして安室奈美恵(アムロ)が番組メンバーとして加わることになった。

「『ポンキッキーズ』は、プロデューサーの小畑(芳和)さんのこだわりが強く反映されていたと思います。ディレクターも、小畑さんが好きな人たちを集めた感じ。小畑さんはもともと『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』などのバラエティ番組を担当されていた方で、『ポンキッキーズ』に対して『もっと明るい感じがいいよね!』みたいな意見を持っていたんだと思います。『ポンキッキ』リニューアルのタイミングで小畑さんが加わったのは、やっぱりデカかったんじゃないかな。なんせ、僕と瀧をブッキングしたくらいだから(笑)。あとで聞いた話では、番組にブレーンとして参加していた糸井重里さんが『スチャダラパー、いいよ』と推薦してくれたみたいなんですよね。糸井さんは、もともと何か異物を入れたがる人だから、糸井さんの推薦だと聞いて納得しました」

「ポンキッキーズ」出演当時のBose。(c)フジテレビジョン

「ポンキッキーズ」出演当時のBose。(c)フジテレビジョン

「Welcome to Ponkickies」がもたらした“ラップとの出会い”

「ポンキッキーズ」がスタートした当初、オープニングを飾っていたのは森高千里の「ロックン・オムレツ」。そして夕方帯への移行とともに、スチャダラパーによる「Welcome to Ponkickies」がオープニングソングとなる。あの印象的なオープニングは、どのようにしてできあがったのか?

「もともと、原型になっているスチャダラパーの『GET UP AND DANCE』があって、それを聴いた小畑さんが『これ、元気な感じでよくない? オープニングで使いたいんだけど』と言ってくれたんです。ただ、使うのはいいんだけど『ラップはちょっと変えよう』ということになって。最初はもうちょっとややこしいことを言おうと思って、少し長かったり、違うワードを入れたりしていたんだけど、最終的に番組側の要望も聞きながら『元気、勇気』というフレーズに落ち着いた。レコーディングスタジオとかじゃなく、収録現場で書いてそのまま撮る、みたいな感じだったかな」

PUNPEEやSTUTS、Awichなど、「Welcome to Ponkickies」を「音楽やラップとの出会い」と公言しているアーティストは少なくない。時代が巡り、日本のヒップホップシーンにおいても、その扉を開いた1つのきっかけを作ったのが「ポンキッキーズ」でありBoseである、ということになる。

「それは結果論だよね(笑)。楽曲のサンプリング元になっているFreedomの『Get Up and Dance』がそれだけ強いエネルギーを持っていたってことだろうし、僕の力とかではなく、あのときに僕を起用したプロデューサーが偉いんだろうし。巡り合わせだなって思う。でも『よかったな』という思いはありますね。スチャダラパーの『GET UP AND DANCE』はいまだにライブでもやるんですけど、子供からおじさんまで盛り上がってくれるから、それはすごいなって思います」

スチャダラパー「GET UP AND DANCE」

「Welcome to Ponkickies」は、Boseが番組を離れた1999年10月以降も、しばらく番組のオープニングテーマとして愛されてきた。先述した通り「ポンキッキ」時代から、音楽は番組の中心とも言えるコンテンツだった。子門真人による「およげ!たいやきくん」に「ホネホネロック」、なぎら健壱が歌う「いっぽんでもニンジン」など、世代を超えたアンセムばかり。当然、本業はスチャダラパーであるBoseにも、番組側から楽曲制作のオファーが掛かる。

「『曲を作ってほしい』と言われてたんだけど、『ポンキッキーズ』が始まった当初から、番組では米米CLUBの『Child's days memory』や山下達郎さんの『パレード』が使われていた。アッコさん(和田アキ子)の『さあ冒険だ』も素晴らしかったし、大御所の方々の曲がたくさんできあがっている中に、『電気とかスチャダラもここに入ってください』と言われて……『はい』とだけ答えて、延ばし延ばしにしていたんですよ。『ここに加わるのは、なかなかねえ(笑)』って。結局、けっこう時間が経ってからスチャダラパー名義の『大人になっても』(1997年発表)ができました。『ポンキッキーズ』はなんせスタッフも音楽が好きな人が集まっていたから、番組で使用される曲は全部よかったんですよね。『ポンキッキーズ』というブランドがあるから大御所ミュージシャンたちがバッと集まるし、みんなちゃんと子供たちのためにいい曲を提供する。大江千里さんとか矢野顕子さんとかもね」

和田アキ子「さあ冒険だ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

和田アキ子「さあ冒険だ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

矢野顕子「夢のヒヨコ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

矢野顕子「夢のヒヨコ」の「ポンキッキーズ」オリジナルミュージッククリップより。(c)フジテレビジョン

1991年にFILE RECORDS内に設立されたMAJOR FORCEからデビューしたスチャダラパーは、その後ほどなくしてメジャーデビューを飾る。ポンキッキーズ出演開始当時25歳だったBoseだが、夜のクラブのステージも乗りこなすラッパーとしての顔を持ちながら、いわゆる“歌のおにいさん”的なキャラクターで子供番組に出演するという当時のライフスタイルは、いったいどんなものだったのだろうか。

「番組はたまに生放送もあったけど、基本的に収録でした。けっこう丁寧に作っていたから、撮影は深夜に及ぶという感じで。週に2回ほど、当時河田町にあったフジテレビのスタジオに行って、ずーっと撮ってた。今とは違って合成がきれいに仕上がらないこともあったし、あとからコピペして編集することもできなかったから、当時の技術であれだけのものを撮るのは大変だったと思う。番組のスタッフはバラエティをやってる人も多かったし、隣のスタジオで『ダウンタウンのごっつええ感じ』を撮っていることもあったりして、わちゃわちゃした感じはありました。蘭々は『ごっつ』にも出ていたから、それをいいことに一緒に『ごっつ』の収録を観に行ったこともありました」

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「ポンポポンポ」はガンショット?

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