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つんく♂に聞く、“ハロプロの聖地”中野サンプラザの思い出

「目をつぶると思い出すのは松浦亜弥の最初のステージ」

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中野サンプラザホールを備える東京の複合施設、中野サンプラザが2023年7月2日をもって閉館することが決定した。

1973年6月1日のオープン以来、中野サンプラザホールでは多くのライブイベントが行われており、山下達郎を筆頭に同会場への愛着を公言するアーティストも多い。またアイドルも多くのライブを行っており、とりわけハロー!プロジェクトファンの間では“ハロプロの聖地”として慣れ親しまれている。音楽ナタリーでは、ハロー!プロジェクトの総合プロデューサーを長らく務めてきたつんく♂へのメールインタビューを実施。同会場への思いを語ってもらった。

構成 / 望月哲

中野サンプラザってとても愛嬌のある場所でした

──中野サンプラザ閉館のニュースを耳にしたときの率直な思いは?

いつの間にかアイドルの聖地のようになっていますが、僕らバンドマンにとっても本来は最初の大きな壁で、中野サンプラザ2DAYSができるようになったら武道館が見えてくるというような大きな1つの目標でもあるわけです。なので、閉館と聞くととても寂しい気持ちになりました。

──中野サンプラザ閉館のニュースが流れた際、再開発後は7000人程度を収容するホールが建設されるということで、「現状の2000人程度の規模感が好きだった」と惜しむ声が数多く上がっていました。ステージに立つ側としては、中野サンプラザでのライブは音響やライブ体験としてどのような特徴がありましたか? ステージからは客席がどのように見えていましたか?

そうですね。ライブハウスでもなく、武道館でもなく、ちょうどいいんですよね。収益だけを考えるとオールスタンディングで音響も照明もある程度仕込まれている大型のライブハウスで1500人くらい収容できれば、それが一番利益もあがるんですが、時代的には大人数アイドルも多いので、楽屋の数やバックヤードの広さを考えると中野サンプラザってとても愛嬌のある場所でした。

本人としても「大ホールでやった!」という達成感があるのもいいですね。

照明を仕込んで音響仕込んで、夜公演1回だと赤字かもしれませんが、「中野サンプラザでやったんだ! 成功したね!」という実績を残せると、それ以上の何かをつかむ気もします。

それと、渋谷公会堂に比べるとちょっと遠いんですが、会場に向かう時のその距離感もワクワクがあがっていくのでとても好きでした。会館の周りでファンの皆さんがワイワイしてる感じもいいですよね。

中野サンプラザ

中野サンプラザ

──中野サンプラザではハロー!プロジェクト関連のライブが多数行われてきました。同会場が“ハロプロの聖地”と呼ばれるように至った理由をつんく♂さんなりに分析すると?

そもそもハロー!プロジェクトは「週末土日の昼夜公演(計4回)が打てなくなったら、それは終わるときだ」というような目標をプロジェクトサイドも掲げていたので、中野サンプラザでの動員やチケットの売れるスピードをある程度のバロメーターにしてるんじゃないかな。それになんと言っても正月公演が印象的ですよね。

職員さんたちも正月の仕込みから向き合ってくれるというのはありがたいですね。

メンバーも正月から大変ですが、そこに関わるスタッフもそれなりの覚悟が必要なわけで、もちろん一番はそれを楽しみにしてくれるファンの皆様がいてくれるからで、正月公演が名物になったのは、よかったんじゃないでしょうか。

──同会場でのライブの思い出を教えてください。

中野サンプラザでの思い出はたくさんあるので1つを挙げるのはとても難しいですが、目をつぶると思い出すのは松浦亜弥の最初のステージです(「Hello! Project 2001 すごいぞ!21世紀」1月2日公演) 。

私服で来てた松浦に「出ちゃいなよ」ってことで飛び入りで歌わせたというエピソードが語られてはいますが、半分本当で半分はちょっとデフォルメされてます。

というのも、本当にその場で「出ちゃいなよ」ではバックトラックが準備されてるわけもなく、ありえないってことはご理解いただけると思います。もちろん飛び入り風で歌えるように準備はしてました。でも、本当の意味では本人にしっかりリハーサルさせたわけでもなく、ほかのメンバーと一緒にゲネプロ等に立ち会ったわけでもなく、ほぼぶっつけ本番であったのも事実です。本来の出演者の数や曲数もこの年あたりからすごく増えていたので、僕にしてもスタッフにしても相当テンパってました。そこに12月のギリギリに仕上げた曲を強引に持っていったので、スタッフ的にも「まさか、もう無理です」状態だったのは確かです。僕的にもほかの段取りが間に合わなかったら正月公演のどこか落ち着いたあたりで差し込めばいいかなあくらいの感じでした。だから本人にはとにかく初日から来るようには言ってあったけど、実際はどうなるか、当日蓋をあけないとわからなかったんです。で、実際に飛び入り的に歌った松浦の最初の本番のときは、本当に動けず、リズムもとれず、カチカチの状態で歌ったのを覚えています。

結局のところ、正月公演の初日に松浦が歌ったのを見て「なるほど、では、ここをこうやって修正していこう」と正月公演の中で本番が終わるごとに本人と話して、少しずつ動き(手振りなど)を増やして、衣装も私服だけどステージにふさわしいっぽいものに変更していった感じでした。そして、このときのステージを観て、「デビュー曲はほかの曲にしよう」と思って、すぐにデビュー曲を作りはじめました。それが「ドッキドキ!LOVEメール」です。

最近で恒例になったことといえば「Hello! Project 研修生発表会~公開実力診断テスト」だと思います。メンバーたちにとっての晴れ舞台でもあり、自分の未来が決まる場所として思い出深いのではないでしょうか。最初は「デビュー前の新人に贅沢すぎる!」というような意見もあったけど、ハロプロ研修生たちが自分たちへの自尊心を身につけるにふさわしい場所であったと感じています。

──中野サンプラザの閉館理由は「東京・中野駅の新北口駅前エリア再整備に伴うもの」と発表されています。中野サンプラザ周辺のスポットで思い出深い場所、行きつけだった場所などはありますか?

東京に越してきた頃、方南町や高円寺、中野あたりに住んでるミュージシャンや芸人、役者も多かったので、中野商店街をうろちょろしたこともありましたね。港区に比べると物価も安く、気安く楽しめた記憶があります。

ただ、これから新しくなっていくこの場所は、これからの日本のためにも古いままでなく、ライブ空間としても新しくなっていくことが良いことなんだと思います。

エンタメの発展のために中野のこの場所がいつも音楽に寄り添っていてほしいですね!

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読者の反応

J-Pop Project News @JPopProjectNews

Tsunku has been recalling happy memories of Nakano Sunplaza which closes next year, describing it as a very charming place and revealing that his favorite recollection was of Aya Matsuura's first stage on January 2, 2001. https://t.co/1ovC2ajsjJ

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