ナタリー15周年記念インタビュー 第1回 [バックナンバー]
ヒャダイン×児玉雨子が語るカルチャーの変遷
スマホ、ニコ動、アイドル、テレビ……15年で変化したネットカルチャーとみんなの価値観
2022年3月8日 12:00 93
2007年2月1日に音楽ニュースメディアとしてスタートしたナタリーが今年で15周年を迎えた。現在はマンガ・アニメ、お笑い、映画、舞台・演劇と取り扱う分野を拡大し、5ジャンルにわたって最新ニュースや特集記事を配信している。2007年からの15年間と言うと、スマートフォンおよびSNSの普及、ネットカルチャーの発展、コロナ禍を機に向き合うこととなったエンタテインメントの在り方、ジェンダーをはじめとする多様化の推進など、さまざまな事柄が変化してきた。シーンの最前線を走る人々は、そういった変化についてどのように考えているのだろう。
ナタリーでは15周年に合わせて、日頃ナタリーを盛り上げてくれている著名人たちを迎えたインタビュー企画を展開する。第1回目は、ナタリーと同じく2007年に本格的な音楽活動をスタートさせた
取材
カオスな雰囲気漂う2007年
──2007年と言うと、ヒャダインさんがニコニコ動画に楽曲を投稿し始めた頃ですよね。
児玉雨子 おいくつだったんですか?
ヒャダイン 2007年は27歳の頃ですね。
──当時、すでに作家仕事は始めていたんですよね?
ヒャダイン そうですね。でも作家としては鳴かず飛ばずという感じで。あの頃にナタリーはできたのか、じゃあ我々はほぼ同期なんですね。
──そうなんですよ。この機会にと2007年がどんな年だったのかを改めて調べてみたんですけど、AppleがiPhoneの第1世代を発表したのが2007年1月で、日本に上陸したのは翌2008年。当時はまだスマートフォンを使ってる人はごく少数だった。で、ナタリーはもともと、ユーザー登録した人が好きなアーティストにチェックを入れると、関連するニュースがナタリーに掲載されたタイミングでメルマガが配信されるというサービスだったんですよ(参照:あなた好みの音楽ポータルサイト「ナタリー」オープン)。
児玉 へえ!
──時代的には、個人がブログを書くという文化が定着して、はてなダイアリー(※株式会社はてなが2003年にスタートさせたブログサービス。2019年に別サービス・はてなブログへ統合)などが盛り上がっていた時期ですね。
児玉 懐かしい。私は13歳かな。あの頃はみんなガラケーを使ってましたよね。
──児玉さんはどんな中学時代を過ごしていたんですか?
児玉 13歳の頃はまだニコニコ動画は観てなかったんですけど、中学2年で暗黒面に落ちてから、ヒャダさんの「ウエスタンショー」や「FF 4で、ゴルベーザ四天王登場!」を聴いて「この人すげー!」みたいな(笑)。こんな音楽があるのかと衝撃を受けました。
──その頃は「作詞家になりたい」という目線はまだなく?
児玉 それはまったく考えてなかったですね。法的にはダメだと思うんですけど、ヒャダさんの「ウエスタンショー」のトレスパロを観たりしていて。
ヒャダイン 好きなカップリングでやるんだよね。完璧な腐女子だ(笑)。
児玉 ははは(笑)。今みたいにBLが好きだと堂々と言えない時代に。
──中学時代すでにそういったカルチャーに触れていた、デジタルネイティブな世代ですね。
児玉 ネットに触れるのは早かったかもしれないです。私、小学生の頃からお絵描き掲示板で絵チャをしてたんですよ。
ヒャダイン 絵チャ?
児玉 知りませんか? 絵チャットのことを絵チャと呼んでいて。私、昔は同人誌マンガを描いていたんですよ。
ヒャダイン マジか!
児玉 とあるコンテンツのキャラクターで同人誌を描いてました(笑)。
ヒャダイン 筋金入りだね(笑)。
児玉 今コンテンツを提供することに携わっているのが、気が引けると言いますか、「根はただのオタクなのに……?」と日々戸惑っています……。
ヒャダイン そっかそっか。ネットは腐始まりだったんだね。
児玉 ネット文化がこれからって時期だったから法的な整備が全然されていなくて、それこそヒップホップにおけるサンプリングの歴史と重なる部分もありますよね。ヒャダさんみたいにすごい才能の方が出てきたり、トレス絵師だった人たちが今やマンガ家として活躍したりしているわけですから。
ヒャダイン 確かに2007~9年くらいは、法的なカオス感が漂ってたよね。
児玉 グチャグチャでしたね。
ヒャダインの音楽と時代がマッチした瞬間
ヒャダイン その頃は自分は音楽家として全然うまくいってなくて、メシも食えないし、承認欲求も満たされないというね(笑)。そんな生活をしていた頃に、インターネット文化と自分の音楽がガチャン!とハマったんですよ。初めて音楽で承認欲求が満たされたというか。当時は「金なんていらねえ!」と思ってましたけど……今やね(笑)。
児玉 金の亡者に成り果てて(笑)。まあそれは冗談として、しっかり対価をいただくのは、作品の責任を背負う面でも大事ですからね。
ヒャダイン うん、マネタイズは大事だよね。
──ニコニコ動画やYouTubeが盛り上がりを見せつつも、今のようにビットレートも高くなく、速度や画質は安定していませんでした。
児玉 携帯じゃ動画を観られないから、家に引きこもって観る、みたいな(笑)。私は学校を休みまくっていたから、その間ずっとニコ動を観てましたね。
ヒャダイン 当時はアーティストが公式にミュージックビデオをYouTubeにアップロードするケースはほとんどなかったと思うんですよ。基本、YouTubeにある音楽の動画は無断転載だから罪悪感もあって。
──ネットの音楽動画は既存のMVや音楽番組をアップロードするところから始まったけれど、その後ニコニコ動画が誕生し、自分の作品を投稿するという流れができたことで変わっていきましたね。
ヒャダイン 特にボカロPの登場は大きかったですね。でもニコ動も、最初はYouTubeなどから転載した動画に対してコメントを付けられるサイトだったのが変化を余儀なくされて。これからどうする?となったときに、ユーザーがオリジナルコンテンツを出していくという方向にシフトしたんです。当時はサブスクもなかったから、ネットで曲を聴く=お金を払ってダウンロードするものだったんですけど、逆にアマチュアが発信するものは「お金を取っちゃいけない」みたいな風潮があったんですよ。いわゆる“嫌儲”というやつですね。だから僕もニコ動で少し有名になってきた頃にいろんなマネタイズのお誘いが来たんですけど、ほとんど断りました。時代の流れとして、ネット文化で発展したやつがお金を取ろうとしたり、スケベ心を出したりした瞬間にお客さんが離れていく感じがあった。でも今の時代は逆ですよね。みんなスパチャスパチャって言ってるし(※スーパーチャット。YouTubeの投げ銭機能)。
児玉 確かに。芸能人もとりあえずYouTubeチャンネルを持ってますもんね。
ヒャダイン うん、だから「課金する」ということに関しての価値観がガラリと変わった15年でもあるよね。今となっては自然と受け止めてるけど、15年前は全然違ったんだよなあ。
アイドルを推す感覚
──2007年の流行語大賞を見てみると、当時の宮崎県知事・
児玉 ハロー!プロジェクトで言うとモーニング娘。の“プラチナ期”あたりですね。AKB48は「スカート、ひらり」(2006年発表。インディーズ2作目のシングル)のMVが印象的で、パンチラする演出があるじゃないですか。今だったら叩かれかねないシーンだけど、当時は「パンツ見えてる!」と思いつつも「こういうグループなんだな」と受け止めていました。あの頃は過渡期で、アイドルにいかがわしさがあったというか。そのあと流れが変わってきて、今は男女関係なく女性アイドルを推せるようになったけど、当時はまだアンダーグラウンドな印象があったと思います。2000年代前半のハロプロ黄金期は親しみやすいイメージがあるけど、今振り返ると「この衣装でこの曲はヤバイよな」と思うこともある。なんかこう……社会の空気がゴチャゴチャしているというか、ダーティな雰囲気がまだ残っていた時代ですよね。
ヒャダイン 「女性アイドルを推す」という感覚はこの15年でめちゃくちゃ変わったよね。
──“尊い”という感覚がまだ発明されてない時期かもしれないですね。
児玉 そうそう。私は防衛手段として過剰に“オタクで変なやつ”というキャラの鎧を着て学校生活を送っていたので、大して知らないアイドルの歌をわざわざ覚えてカラオケで歌っていたんです。その狙い通り「こいつはキモヲタだから、こういう曲が好きなんだ」と一線を引かれていたと思います。だから今みたいに日本人アイドルやK-POPアーティストを気軽に推せる雰囲気はなかったかも。
ヒャダイン 「ポニーテールとシュシュ」(AKB48が2011年に発表した16thシングル)くらいから、アイドルファンがパブリシティを得た感じがする。
児玉 そうですね。AKB48はダーティなところと、クリーンになっていくところをまたいでいったイメージがあります。
ヒャダイン ジェンダー的な考えからしても、この15年で“女の子が女の子を推す”ということに関してなんとも思わなくなったよね。
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ヒャダイン こと 前山田健一 @HyadainMaeyamad
児玉雨子センセとなんか喋ってます。
ただの友達雑談ですがナタリーさんがまとめてくださってます。いつもおおきに。
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