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終戦後の長崎を舞台とした「母と暮せば」は、原爆をテーマに母と息子の関係を描く作品。吉永演じる母・伸子の前に、二宮扮する原爆で亡くしたはずの息子・浩二が現れることから物語が展開していく。
上映後の舞台挨拶に登場した山田は、「観終わった人の前に立つのは、法廷で判決を聞く被告のような気持ちでもあります」とジョークを交える。そして吉永は「“山田丸”という大きな船に乗って、全員で力を合わせて長崎を出港し、今日東京に上陸いたしました。ご覧いただいてうれしいと同時にドキドキするような思いです」と心境を語る。「初日はうれしい気持ちもいっぱいですが、どこか寂しい気持ちもある」と話す二宮は、「公開までの、きれいな服を着てきれいな髪の毛にしてもらってテレビや雑誌、新聞に出ていた毎日は終わってしまうんだと。これからまた汚い服を着て汚い髪型になって、ごく普通の生活をしていくんだなと思うと寂しいです」と笑いを誘った。
印象深いシーンを尋ねられると、二宮は「歌を歌う場面は、監督とのやりとりがたくさんあったシーンです。何度も何度も歌って、『もうちょっと優しくがいいんだよなあ』『はい!』『もっと伸びやかな感じがいいんだよなあ』『はい!』『あれ、キー違わないか?』って(笑)」と返答。山田もその撮影を思い出し「いろんな歌があったね」と懐かしんだ。また“戦争を知らない世代”として苦労した点について、二宮は「大雑把になりますが、“知らない”ってことですね。僕は教科書でも読んだし、そういった作品にも出て勉強をしてきたのですが、生きてこられた山田監督の前でわからないものを『わからない』と言うのはだいぶ勇気がいりました」と振り返る。それを受け山田も「あの頃の子供たちはいつもお腹が空いていましたから。『おにぎり食いたいなあ』の言い方も、苦労するんだよねえ」とうなずいた。
また浩二という“亡霊”を相手に演技をした吉永は、「会話のシーンは普通にできたのですが、触ってはいけないのですよね、(浩二が)消えてしまうので。どうしても手をかけて説得したい場面もあったのですが……」と当時の苦労を明かす。「私も消えたくはなかったんですが(笑)」と言う二宮も、「唯一生きているシーンは、本当に生きているという感じがしました。(吉永に)抱きしめられても消えないんだ!って」賛同する。
ここで浅野と黒木から山田へ、そして二宮から吉永へ、感謝を込めて花束が贈られた。続いて二宮がスタッフ・キャストを代表して、座長・吉永への手紙を読み上げる。「小百合さんはシーンも多く出ずっぱりで、ご自身のことだけでも大変なはずなのに誰よりも気遣いの方でした。スタッフ1人ひとりの名前を呼び、いつも山田監督の体調を気にされていました。小百合さんの、ご自身が座長として作品を背負っているのだという覚悟で、過ごしやすい空気を作っていただきました」「小百合さんと同じ船に乗って幸せな時間を過ごさせていただきました」という言葉を受け、吉永は涙目に。さらに撮影期間に吉永が、サプライズで二宮の誕生日を祝ったというエピソードも披露され、二宮は「みんなが気遣いを受けると現場も元気になりますし、そういうことの大切さを改めて教えていただいた気がします」と再び感謝を表す。
最後に吉永は「本当にうれしい気持ちと、これで皆さんとしばらくお別れしなければならないというつらい気持ちの両方を感じております。また何かの機会にみんなとお芝居をしたり、ご飯を食べたりしたいと……監督にお願いしたいです」と話し、舞台挨拶は終了した。
「母と暮せば」は本日より全国の劇場で上映中。
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