「オオカミの家」場面写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

上映拡大が続くチリ発アニメ「オオカミの家」、観客を恐怖させる理由とは

アニメーション批評家・土居伸彰による考察コラム、監督インタビューで紐解く魅力

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真実に肉薄した恐るべき映画…監督ホアキン・コシーニャに聞く10の質問

左からクリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ。

左からクリストバル・レオン、ホアキン・コシーニャ。

1. 本国チリで劇場公開されたとき、観客からどんな反応がありましたか?

チリでのプレミア上映はとてもエモーショナルで打ち解けていて、世界のどの上映ともまったく違うものでした。私たちは5年にもわたって、映画を人々に気に入ってもらえるかもわからぬまま制作してきたわけです。なので仲間たちや観客がこの映画を熱狂的に受け止めてくれたのを見て、本当にうれしかったです。ある画家の友人からは「お前らのことなんか大嫌いだ! この映画を作ったのが自分だったらよかったのに」と言われましたよ。

4年間、主にサンティアゴで公開制作をしていたので、すでに多くの人がこの映画の一部を観て期待してくれていました。(編集部注:本作は世界各地のギャラリーや美術館にスタジオセットを作り、エキシビションを行いながら制作された)完成までに5年掛かったので、最初の公開制作のときに15歳だった人は映画館に行く頃には19歳か20歳になっていたわけです。

映画は、最終的に数カ月にわたって公開されて多くの人に観てもらうことができました。特に若い観客からかなり熱狂的な反応がありました。「オオカミの家」は、チリ初のストップモーション長編映画です。私たちの国の小さなアニメーション史の中で記念碑のようなものになったのです。大ヒットというわけではありませんが、予想と比べたらかなりの反応でした。

2. 映画祭など、ほかの国で上映したときの反響はどうでしたか? メディアや観客のコメントで印象的なものはありましたか?

技術的なことを聞かれることもあれば、政治的な質問もあって、場所によってさまざまでした。概して、大きな関心を寄せてもらえたと思います。多くの対話を交わした中で、大きな印象を残したものが1つありました。サンティアゴにある、記憶と人権の博物館(Museum of Memory and Human Rights)で上映した際、コロニア・ディグニダで拷問にあったり家族を失ったりした被害者に寄り添い続けていた人が、こう言ってくれたんです。「この映画は、被害者が話してくれたコロニア・ディグニダでの体験談と、感情的な部分でも環境的な部分でもかなり似ています。コロニア・ディグニダを描いた作品でこういうことを感じたのは初めてです」と。この作品があの場所の真実に肉薄したということを知って、安堵を覚えると同時に、ゾッとした気分にもなりました。

「オオカミの家」場面写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

「オオカミの家」場面写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

3. 以前にコシーニャさんとクリストバル・レオンさんが作った短編「Lucia」「Luis」もピノチェト政権をテーマにしたものでした。なぜお二人はこのテーマを選ぶのでしょうか?

これは(チリの)ほかの映画監督にも共通する話になると思います。ピノチェト政権は17年もの長きにわたって続きました。クリストバルと私はその最中に生まれ、8歳まで独裁政権下で過ごしています。のちにピノチェトは軍のトップとなり、2006年の死までのほとんどの期間を上院議員に“任命”されています。選挙で選ばれるのではなく、です。私の人生における多くの期間、ずっとです。ピノチェト政権は、この国を統治する憲法を制定し、社会・経済システムを確立し、それらは今でも存続しています。だから正確に言えば、ピノチェトは(死してなお)今でも私の人生の一部を支配し続けているんです。恐怖や政治について考えるときだけではなく、世界のことを想像しようというときでさえ、私の中にピノチェトによる独裁という、地獄のような礎石があると感じます。ピノチェト政権にまつわるものが唯一のテーマであるべきだとも、実際にそうだとも思いませんが、その引力と重みから逃れることは難しいのです。

4. 途中で脚本が何度も変更になったと聞きましたが、最初はどのような物語だったのでしょうか。

脚本は映画制作前から変化し始め、制作中の5年間で成長していきました。私はクリストバル、そして(ともに映像制作会社を設立した)ナイルズ・アタラーと一緒に、2007年に「Lucia」、2008年に「Luis」という連続する短編映画を作りました。そして短編の第3部を作ろうと思い付いたんです。それは「Lucia, Luis and the Wolf」という題名で、オオカミの視点から撮影した映画になる予定でした。しかしすぐに、長編映画で作るほうが面白いんじゃないかと思うようになったんです。「Lucia」と「Luis」は1つの部屋が舞台となる短編なので、長編ではいくつもの部屋があって常に変化し続けるものにしたらいいんじゃないかと。

短編「Lucia」

短編「Luis」

クリストバルと私は、私たちが聞いて育ったヨーロッパのおとぎ話を、自分たちのバージョンで語り直したいと思っていました。チリはすでに植民地ではなくなっているわけですが、ヨーロッパの影響を受けています。そんな中、“自分たちのおとぎ話”を作る必要があるのではないかと考えたのです。最初は「美女と野獣」を翻案しようと試みました。「美女と野獣」は支配についての物語です。最初は力で、次に感情で男性キャラクターが女性を支配しようとしていますから。私たちのバージョンでは、“野獣”は単なる男性キャラではなく、映画のリアリティを支配する存在として登場させようとしました。美女はなんとかそこから逃げ出そうとします。「オオカミの家」にも通じる内容だったと思いませんか?

5. 制作には、10のルールを決めて取り掛かったそうですね。撮影や編集にまつわるルールが多い中、「マリアは美しい」は少し特殊に見えますが?

<制作における十戒>
I. これはカメラによる絵画である
II. 人形はいない
III. 全てのものは「彫刻」として変化し得る
IV. フェードアウトはしない
V. この映画はひとつの長回しで撮られる
VI. この映画は普通のものであろうと努める
VII. 色は象徴的に使う
VIII. カメラはコマとコマの間で決して止まることはない
IX. マリアは美しい
X. それはワークショップであって、映画セットではない

脚本の最初のバージョンが「美女と野獣」の翻案だったこともあり、その起源をたどるという意味で、このルール(ヒロインは美しい)を残すのが面白いんじゃないかと思ったんです。また、「オオカミの家」を作るうえで、ラテンアメリカのウォルト・ディズニーのような存在がカルト教団を運営していたら?とも考えました。ですから、私たちの作るおとぎ話には、ブロンドで青い目の美しいヒロインがいることが大事なんです。それに、私とクリストバルは怪物的で不格好なものに肩入れする傾向があるので、ヒロインを美のゾーンに留めておくことも重要なポイントでした。

6. お二人は監督・脚本以外にも、撮影・美術・アニメーション・音と音楽の実験でクレジットされています。美術に関しては立体物と平面画が混在していますが、どのように分担したのでしょうか?

私たちが今でも一緒の制作を楽しめている理由のひとつは、役割分担をしないからです。2人であらゆることを担当します。「オオカミの家」では全部というわけではないですが、かなりの長い時間、2人だけで制作しました。制作チームも私たちを支えてくれましたし大事だったのですが、ほとんどの時間は私たち2人だけで少しずつ作業をしていったのです。

「オオカミの家」メイキング写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

「オオカミの家」メイキング写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

「オオカミの家」メイキング写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

「オオカミの家」メイキング写真 (c)Diluvio & Globo Rojo Films, 2018

7. 制作中、一番悩んだことは?

個人的にもっとも困難だったのは、最初のうちはこの映画の制作と恋に落ちて幸せな気持ちでいたのですが、そのうちに男の子と女の子の父親になって彼らにもっと恋をしてしまい、制作から離れる必要があったことです。そしてある時期には、お金も時間も何もなくなってしまいました。頭の中は映画のことでいっぱいなんですが、2人の子供がいて、お金は一銭もない。それだけが本当に大変でした。でも、そもそもアートを学ぶことは、誰に強制されたわけでもなく始めたことですから。自分がどんなことに巻き込まれようとも、準備はできていました。

8. パンフレットで中野京子さんも指摘していますが、冒頭6分あたりで、壁に窓が描かれる場面があります。そのシーンでは十字架の形がハーケンクロイツ、窓へと変化していくように見えます。こういった暗喩のようなモチーフがほかにもあれば教えてください。

あの十字架のシーンは、もちろんコロニア・ディグニダと関係があります。この映画は5年間の自動筆記のようなものなので、そこには恣意的なもの以外にもあらゆる種類のものが混在しているんです。例えば「8のチャボ」(メキシコで作られたテレビコメディシリーズ“El Chavo del Ocho”)、「3匹の子豚」、私の父、鳥の形に変化する歌声、コロニア・ディグニダにある本物のオブジェ、神話の絵に描かれたような泣き叫ぶ子供、身体の聖痕なども作中に登場します。

9. 「骨」にはアリ・アスターが製作総指揮として携わりました。一方コシーニャさんとレオンさんも、アスターの新作「Beau Is Afraid(原題)」にアニメーションパートの制作とビジュアル開発で参加しています。彼と一緒に働いて得られたものは?

「骨」場面写真 (c)Pista B & Diluvio, 2023

「骨」場面写真 (c)Pista B & Diluvio, 2023

大きなチームと仕事をするやり方を学びました。自分たちがすべてに手を出す必要がない制作プロセスにおいて、監督がいかにあるべきか、そして経験豊かなアーティストから若いスタッフまでを指導しながら、それぞれをうまく機能させることを知りました。生まれながらのストーリーテラーであるアリからは、正確で天才的でこだわりの強い映画作家の心も学んだんです。物質的な素材から作品のアイデアを生み出す自分たちのやり方ではなく、物語を語りたいという欲求から生まれる映画についても想像することができるようになりました。アリは人に対してとても親切で、なおかつ自分の求めるものに迷いがない。その両立はとても難しいことだと思います。

10. 現在製作中の次回作「Los Hiperboreos」について教えてください。

「Los Hiperboreos」には1人の俳優が登場し、別の俳優と関係を作っていきます。主には人形を使うんですがね。アニメーションと実写映画の間に存在するような映画です。私たちにとって「Los Hiperboreos」は、俳優をいかに使うかを学ぶ学校のようなものであると同時に、映画監督という仕事にまつわる疑問や苦悩を示すものです。さらに(本作の主演女優である)Antonia Giesenのパフォーマンス、私たちの美術展と執筆の記録でもあります。私たちはこの作品が大好きです。すでにポストプロダクションの段階に入っていますが、この映画がどんな生き物なのかは、まだわかっていません。

※「Los Hiperboreos」の2つ目のoはアクサンテギュ付きが正式表記

「オオカミの家」予告編

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読者の反応

シネフィルDVD @cinefilDVD

「ある画家の友人からは『お前らのことなんか大嫌いだ! この映画を作ったのが自分だったらよかったのに』と言われましたよ」

プリンスがストーンズのMISS YOUに対して同じこと言ったことがあったように思います笑。 https://t.co/leRiQ0NT3Q

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