「自慢の息子」は、2010年にサンプルにて初演され、第55回岸田國士戯曲賞を受賞した
出演者には、松井作品初参加の
上演に向けて松井は、“現実”と“妄想”が入り混じった世界の現状を指摘しつつ、「2018年版『自慢の息子』は肩肘張らない程度にそんな問題意識をもって作品づくりにのぞもうと思います。『現実』と『妄想』の波がランダムに押し寄せる中をさっそうと滑っていくサーファーのイメージをもとにして。どうぞ目撃してください」とコメント。松井作品に初参加となる片桐は「子どもを産んだことのない私ですが、”母親”という名前の怪獣を創造するつもりで挑みます。良いサンプルになれたら嬉しいです」と意気込みを述べている。
公演は「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2018」参加作品として8月31日から9月2日に新潟・越後妻有 上郷クローブ座にて、「ジャポニスム2018:響きあう魂」参加作品として10月5日から8日にフランス・国立演劇センタージュヌビリエ劇場にて上演される。
松井周コメント
「自慢の息子」を書いているとき、子供がちょうど生まれたばかりでした。子供に名前をつけるということはとても暴力的だと思ったことが、この作品を書き始めたきっかけです。無垢な何者でもない存在に強制的で恣意的な記号を貼り付けることに違和感がありました。名付けることからすべての暴力が始まるように思ったのです。
さらに言うなら、土地に名前を付けるのも、モノに名前を付けるのも、人間が自分の支配力を誇示するための手っ取り早い方法なんだろうと。そう考えると、国同士の領土問題だって、親が子に名前を付けることだって、規模は違えど大差ありません。
一方、名前を付けられたほうはどうなるのでしょうか? きっと、独立運動を開始するのでしょう。国単位なら、自分たちの国を求めて立ち上がるでしょうし、子供だったら、親から離れて自分の部屋を求めるのかもしれません。しかし、独立はそんなに容易ではなく、よく観察すれば、独立心と依存心が複雑に絡まった状態にあることは容易に想像できます。
また、国同士の争いも親子の争いもずっと外側から観察すれば、ある「物語」をそこに見出すことも可能でしょう。犬猿の仲であるとか、主人と奴隷のようであるとか、共依存であるとか。外側から野次馬好みの「妄想」がどんどん貼り付けられて、当事者抜きに膨れ上がる。私たちはそんな世界に生きているのかもしれません。
あれから八年。2018年。子供は八歳になりました。社会でも政治の世界でも、当事者抜きに語られる「妄想」はますます膨れ上がり、オルタナティブ・ファクトやポスト・トゥルースという言葉に表されるように、じつは誰もが(当事者すら)「現実」を見ることができない時代に突入しているのかもしれません。自分自身の「現実」を生きているようで、自分勝手な「妄想」を無意識にでっち上げたり、誰かの「妄想」の枠組みにすすんでハマろうとする時代。
子どもや私たちはそんな時代をどう生きていくのでしょうか? この「現実」と「妄想」の判別ができない世界を。
2018年版「自慢の息子」は肩肘張らない程度にそんな問題意識をもって作品づくりにのぞもうと思います。「現実」と「妄想」の波がランダムに押し寄せる中をさっそうと滑っていくサーファーのイメージをもとにして。
どうぞ目撃してください。
片桐はいりコメント
松井周さんの作品に初めて参加します。子どもを産んだことのない私ですが、
”母親”という名前の怪獣を創造するつもりで挑みます。良いサンプルになれたら嬉しいです。
サンプル「自慢の息子」
2018年8月31日(金)~9月2日(日)
新潟県 越後妻有 上郷クローブ座
2018年10月5日(金)~8日(月)
フランス 国立演劇センタージュヌビリエ劇場
作・演出:
出演:
※日高啓介の「高」ははしご高が正式表記。
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片桐はいりさんがグッド・デス・バイブレーション考を見に来ていたのはこれも関係あるのかな サンプル「自慢の息子」が6年ぶりに上演、母親役に片桐はいり - ステージナタリー https://t.co/FhvJVr1hWL