コントグループ・
最終回となる今回は、神谷が自身にとって最も身近な街、渋谷への思いを吐露する。中高生の頃から憧れ、その後仕事場となり、やがてズブズブな関係になっていった街、渋谷。神谷にとって渋谷とはどのような場所なのか。
ロゴデザイン:神谷圭介、
「本当の休憩」とは
画餅というプロジェクトを主宰させてもらっています神谷圭介です。「それもまた画餅」は今回で最後になります。最終回は自分が最も足繁く通っている街、渋谷について思いを馳せたいと思います。
思い返せば昨年は主催するもの含め7つほどの公演に関わったのですが、半分以上が渋谷のユーロライブでの公演でした。今月末にユーロライブで行われるGAG福井君のひくねとコントサークルの公演にもまた出演させてもらいます。
ユーロライブの企画「テアトロコント」への出演をきっかけに演劇やお笑いなど様々な人と繋がりました。テニスコートの公演も何度もやらせてもらいました。佐久間宣行さんと蓮見翔くんと鼎談した際、佐久間さんから「ユーロライブに幽閉されてるのかと思った」と言われるほどにユーロライブさんにはお世話になっています。いつもありがとうございます。
ユーロライブのある渋谷の円山町にはたくさんのラブホテルが立ち並んでいます。ユーロの裏の非常階段でネタ合わせや台詞を返すことがあります。そんなラブホ街を目の前に台詞を返していた時、円山町をものすごい牛歩で歩く齢90は超えているであろう老人と、その老人の手を取り、寄り添う同年齢の老婆を目撃しました。ものすごく時間をかけて半歩ずつ半歩ずつ円山町の坂道を登ってゆきます。そしてそのままの速度でふたりはホテルに吸い込まれて行きました。
「本当の休憩」だと思いました。
あの歩行の様子で長時間の外出は相当に体力が削られるでしょう。絶対に休憩を取る必要があります。
ラブホの「休憩」という言葉にずっと違和感がありました。ラブホ街の数だけ入り口に「休憩」という文字があります。日本語を勉強してる台湾の子が「『休憩』という言葉はエッチな意味ですか?」とYahoo!知恵袋で質問してしまうほどです。ですがこの老夫婦(夫婦かどうかは不確定)の「本当の休憩」のおかげで「休憩」という言葉が腑に落ちました。
当時の僕らにとって渋谷は東京のど真ん中だった
渋谷にはユーロライブ以外にもケラリーノ・サンドロウィッチさんの舞台で出演させてもらったBunkamura シアターコクーン(2023年より休館中)や、コントライブで何度か出演させてもらったヨシモト∞ホール(2023年3月末閉館)など、まさか自分が立つと思わなかった思い出深い劇場があります。構成やコーナー出演などで関わらせてもらっていたEテレの番組「シャキーン!」の収録も渋谷でした。
大人になり仕事でも多く通う街である渋谷ですが、初めて来たのは自分が中学2年生になった頃だったと思います。
同じクラスの宮村君から「東京に行こう」と言われました。ハンドボール部の宮村君と剣道部の僕の部活の休みの日がたまたま重なった日だったと記憶しています。それについて行ったのが初めての渋谷でした。
なぜ宮村君は「渋谷に行こう」ではなく「東京に行こう」と言ったのでしょう。
東京近郊にある千葉県の埋立地が地元であった僕らからすれば、ほんの3~4駅も電車に乗れば東京都に入ってしまいます。もう葛西あたりですでに東京です。しかし江戸川区の葛西に行くのに「東京に行こう」と宮村君は言わなかったと思います。
葛西といえば「少年ジャンプが2日早く買える本屋がある」と転校生の中野君に言われて行ったのが葛西です。中野君は中2で転校してきた体格のがっちりとした天然パーマの男子でした。激しい天パ具合によってパンチパーマのような髪型をしていました。見た目が中年のヤクザのような中野君は話してみると声が意外と高く、人懐っこい性格でした。ですが独特な風貌のせいか学校の不良たちからは敬遠され、かといって普通の友達もあまりいない生徒でした。家がお金持ちで、中学校のすぐ近くのマンションが親の持ち物だったらしく、その最上階に住んでいました。マンション内に独立した自分の部屋を持っていた中野君は、部屋に行くたびにエッチな漫画を読ませてくれました。ジャンプを2日早く手に入れられる。成人コミックの単行本を所蔵している。こんな高スペックを備えていながらあまり友達がいなかった中野君の事を思い出しました。けれど渋谷とはなんの関係もありません。葛西で思い出してしまいました。今まで全く思い出すことのなかった中野君のことばかり書いてしまいましたが、それもまた画餅です。
今回は渋谷の話をしなければなりません。
なぜ宮村君は「渋谷に行こう」ではなく「東京に行こう」と言ったのかという話です。別に東京駅に行くわけではありません。僕たちは渋谷駅に降り立ちました。当時僕らにとって渋谷は東京のど真ん中だったように思います。目の前には毎朝テレビのLIVE中継で見るスクランブル交差点があります。何かを目的に行ったわけではありません。カツアゲにビビりながらお札を靴下に仕込ませ、街をただふらふらして自販機でジュースを買って飲みました。最終的に渋谷のジーンズメイトで服を買いました。地元にもジーンズメイトはありましたが、そこはやはり渋谷です。「渋谷のジーンズメイトで服を買った」という誇りが宮村君にも僕にも確かにありました。それだけ90年代の渋谷はすごい存在だったのだと思います。
それもまた画餅
高校生の頃には日本のヒップホップが黎明期を迎え、渋谷のHMVに日本語ラップのCDやレコードをよく買いに行きました。渋谷のTSUTAYAなら借りられる映画があったり、単館の映画館やPARCOがあったりと、渋谷はなにかと文化的な拠点だったように思います。大学を出て数年働いたデザイン事務所も渋谷にありました。徹夜で泊まり込むことが当たり前だったし結局は渋谷区に住み始めました。
こうして振り返ると自分は渋谷とズブズブの関係だったことを思い知らされます。
随分と長い付き合いになった街、渋谷。最初は緊張して、敬語を使い憧れていた街だった渋谷。しかし付き合いが長くなってからは、「渋谷でいいか」とすっかり惰性で訪れる街になっていました。気づけば事あるごとに日本代表のサポーターや仮装した人たちが無駄に集まる街になりました。最近では再開発が進みどんどんと変貌していっています。
それを寂しく思う人もいるでしょう。でもそんなふうに思うのは自分が若者ではなくなったからだと思います。
渋谷は今も昔も若者が集まる街です。
早朝には、ゲボが点々と路上に吐かれています。吐き主の軌跡を道に刻むように小出しに吐かれたゲボ。それを渋谷のカラスと鳩がついばんでいます。ヘンゼルとグレーテルが帰り道のために置いたパンくずのように、小ゲボがMEGAドンキの方へ向かって点々と置かれています。
渋谷は若者が集まりやすい街です。
そして自分がもう若くないことを自覚させられる街です。
変わらずにいる為にも変わらないといけないことがたくさんあるように思います。その変化が楽しいのだと思います。
全ての人が若者を経て若者ではなくなります。
若い頃の自分が今の自分を想像できなかったように、この先の自分もそんなに想像できていません。
自分もいつかあの円山町の老人と老婆のように「本当の休憩」をする日が来るかもしれません。そして勝手に「本当の休憩」だと思ってましたけど、ひょっとしたら全然「本当の休憩」ではないかもしれません。これはとてもエッチな意味です。それもまた画餅です。
神谷圭介 プロフィール
千葉県生まれ。コントグループ・テニスコートのメンバーで、ソロプロジェクト・画餅の主宰。玉田企画、ブルー&スカイ、犬飼勝哉、東葛スポーツの作品や、NHK大河ドラマ「青天を衝け」などに俳優として出演するほか、マレビトの会の「福島を上演する」に作家として参加。ダウ90000の蓮見翔を作・演出に迎えた公演「夜衝」を玉田企画の玉田真也と共同企画した。3月28日から30日にかけて東京・ユーロライブで上演される、 バックナンバー神谷圭介のほかの記事
神谷圭介(テニスコート/画餅) @kamiya_keisuke
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