石神夏希が「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」に込める“希望の光” ──自分と世界の関係をもう一度結び直すために

「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」が、4月25日から5月6日まで、静岡芸術劇場ほかで開催される。「ふじのくに⇄せかい演劇祭」から2025年に改称した「SHIZUOKAせかい演劇祭」は今回が27回目。劇作家の石神夏希がアーティスティック・ディレクターを務める今回は、石神が演出するSPAC新作「うなぎの回遊 Eel Migration」など6つのプログラムを中心に展開する。「『せかい』はあなたの隣に住んでいる。」とキャッチコピーが掲げられた今年の「SHIZUOKAせかい演劇祭」について、石神に話を聞いた。

また後半ではプログラムより「マライの虎─ハリマオ」「マジック・メイド」「Qui som(キ ソム)?─わたしたちは誰?」「王女メデイア」について、各作品のアーティストが寄せたメッセージを紹介している。

取材・文 / 熊井玲撮影 / 平岩享

生活とクリエーションの場としての静岡

──石神さんは2020年に静岡に移住されました。それまで国内外のさまざまな土地を訪れ、サイトスペシフィックな創作を続けてきた石神さんにとって、静岡はクリエーションの場としてどのように見えたのでしょうか?

2019年に、宮城(聰)さんが統括プロデューサーを務められた「東アジア文化都市2019豊島」で「Oeshiki Project」(編集注:江戸時代から続く伝統行事で御会式を軸にしたアートプロジェクト)を実施しました。「Oeshiki Project」はクリエーション期間が1年くらいしかなくて、規模からすると通いでは間に合わないなと感じたのと、地域の人にとって大切な伝統文化に踏み込む形の創作だったので、自分の立ち位置やスタンスがすごく大事だと思い、ご近所に引っ越したんです。そのプロジェクトが終わって「次はどうしようかな」と思っているタイミングで、宮城さんの紹介で静岡市から「いわゆるフェスティバルのような枠組みとは違う、市民の日常に関わるような『まちは劇場』という事業で、新しいプロジェクトを立ち上げてほしい」とお声がけいただきました。「だったらやっぱり静岡に通うのではなく、住まないと無理だな」と思ったのが、静岡に移住することになった直接の理由です。ただ、私の両親が静岡市と藤枝市の出身で静岡には何度も来たことがあり縁がある土地だったのと、ちょうどそのタイミングで浜松の人と結婚することになって「じゃあ静岡に行くしかないだろう」と思いました。

石神夏希

石神夏希

──運命ですね!

そうですね(笑)。実は静岡の墓じまいをしようという話も出ていたので、先祖に呼ばれたような感じもしました(笑)。とはいえ、自分に関係のある土地なので、クリエーションという意味ではちょっと難しいなとも感じてはいて。それまでは、ある意味よそ者としてその土地に関わり、よそ者だからこそできることは何かを考えて、地域の個性や土地の面白さを見出すことをやってきました。また、何か新しいことを起こしたい人にとって、関係性がすでに出来上がっているコミュニティの中で行動を起こすのはなかなか大変なことですが、そんなとき、よそ者の私が風穴になることが1つの価値だった部分があります。なので、静岡で暮らしながら作品を作るのはどうなんだろうという思いもあって、「まちは劇場」プロジェクトで「きょうの演劇」をやったり、SPACで「弱法師」の演出をしながらも、長いアーティスト・イン・レジデンスをやっているような感覚で、「アウェイだな」と思いながら5年くらい活動していました。ただ子供も産まれたので、ここに住みここで仕事するのは現実的に良いことだと思いましたし、自分の子供が育つ土地にこれからどんなことが必要で、自分は何ができるのかは想像しやすかった。そういう意味で、SPACに関わることは興味深いなと思いました。

──静岡に拠点を移してから数年経った今、静岡という土地のポテンシャルはどう映っていますか?

ポテンシャルって、私は結局、課題だと思っていて。つまり“困っていること”がけっこう大事だと思うんです。これまでいろいろな土地を訪ねてきて、その土地の人はだいたい「ここには何もないよ」「面白くないよ」っておっしゃるんだけれど「いや、そんなことはないでしょう。どんなところでも面白さは見つけられますよ」というのが自分のスタンスでした。でも……。

──“客観性が持ちにくくなった”?

そうですね、暮らしているとやっぱり街の解像度がすごく上がってくるので。たとえば静岡って全国的に見ても穏やかで平和な、ほっこりしたイメージで捉えている人が多いように思います。実際すごく住みやすい場所で、大体のものはあるし交通の便も良くて、だからこそ人が流出しやすい土地柄でもあります。ただそんな暮らしやすい場所だからこそ、心の内のドロドロした部分、ザラザラした部分を表出する場がなく、表面化しない苦しみを抱えている人もいるんじゃないかと思うし、演劇や劇場がそこに応えられる部分はあるかもしれないなと思います。また静岡県は大きいので、たとえば「うなぎの回遊」ワーク・イン・プログレス公演を行った浜松はブラジルからの移住者が多かったりと、地域によって言葉も雰囲気もかなり異なります。なので、静岡でどういった作品を作るのが良いかということは、いろいろと試行錯誤を重ねています。

石神夏希

石神夏希

それでもこの世界は生きる価値がある、と思わせてくれるプログラムに

──「SPAC秋のシーズン 2025-2026」のディレクションに続き、今回は「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」のアーティスティック・ディレクターを務められます。演劇祭に向けて発表された石神さんのメッセージ(参照:ABOUT | SHIZUOKAせかい演劇祭2026)で興味深く感じたのは、核の部分は宮城さんがこれまでおっしゃっていたことと近しいのに、語り口が全然違うという点です。また、SPAC初代芸術総監督の鈴木忠志さん、そして2代目の芸術総監督の宮城さんが語ってきた「世界」という言葉と、石神さんの言う「せかい」にも違いも感じました。石神さんは「せかい」をどんなふうに捉えていらっしゃいますか?

確かに……。たとえば宮城さんは西洋とアジアの対比ということを意識して、そこに戦略的に存在感を示すということをやってこられたと思います。同時にアーティストとしての感覚としては、世界から切り離されたと感じる孤独な人間──“世界の孤児”とご自分のことをおっしゃいますが、自分の双子のような人がきっと世界の果てにいるはずで、そういう人たちと演劇や劇場を通じて出会うことができる、という意味で出会おうとしていた「世界」があったのだと思います。一方で私は地域共同体というものが崩壊していることが前提で育った世代で、地元らしい地元はなく、親戚も近くには住んでおらず、いわゆる郊外に住む核家族でした。共同体の中の同質性や助け合い、悪く言えばしがらみは断絶していましたが、他方、学校や友達の間ではSNSなどで異常な密度のコミュニティが存在していて。そのようなマーブル模様の関係性に囲まれてきた自分の感覚からすると、世界の向こうにいる他者よりも、壁一枚隔ててすぐ隣にいる人を全然信用し合えない関係のほうが、ある意味切実な危機感なんじゃないかと思います。そしてそんな“すぐ隣にいるのに見えない他者”同士でも、地震や災害、コロナといった状況下では協力しなくてはいけないし、今は海外にルーツを持つ方も増えているので、“移民 / 外国人 / 日本人”といった分け方ではもう分けられないんじゃないか、とも思います。

石神夏希

石神夏希

──「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」のラインナップ作品全体を通して大事にされたことはありますか?

演目によって選んだ理由はけっこう違うのですが……「それでもこの世界は生きる価値がある」という希望を少しでも示すということが、「SHIZUOKAせかい演劇祭」の持つ個性なんじゃないかと思っています。これまでこの演劇祭では「祝祭」という言葉が使われてきましたが、祝祭って私の解釈では、お互いの存在を喜び合う、みたいなことかなと思うんです。この世界はいろいろと大変すぎるけれど、それでもやっぱり、生きていくに値する何かがあるんじゃないか。そう思えるような場所にしたいなという思いがあります。

「SPAC秋のシーズン 2025-2026」でも、「きょうを生きるあなたとわたしの演劇」ということをテーマに掲げ、“物語を編み直す”ことを目指してきました。私たちは生まれる前からいろいろな物語を背負わされてきて──たとえば自分の国や性別、社会的なクラスなど、いろいろな背景や条件を物語として背負わされている。さらに、そのように社会から思い込まされている物語を内面化してしまうことによって、病気になったり自殺してしまったりするんじゃないか、内面化した物語との齟齬で、これだけ自殺する人が多いんじゃないかと私は思っていて。でもそれは、その人がおかしいのではなくこの社会がおかしいんだということに気づいて、自分と世界の関係性をもう一度結び直すことができるようになるといいなと思うし、その点で、演劇や劇場には物語を編み直す力、語り直す力があると思っています。自分の生きている物語を自分自身で編み直す力は、生き延びるために必要な力だと思うし、物語を編み直すことができると次の一歩も変わってくるはずなので、演劇や劇場を通して生きていく可能性をちょっとずつでも増やしたい。それが演劇や劇場ができることなんじゃないかと思いますし、そのために自分は演劇をやっています。かつては私が演劇をやる理由を、「生まれてこなければよかったと思う人がいない世界にしたいから」と言ってたんですけど、「SHIZUOKAせかい演劇祭2026」に関しても、生きていくに値する世界だと光を見せてくれるような作品を選びたいと思ってプログラムを組みました。特にサーカスアーティストや俳優、ダンサー、ミュージシャン、陶芸家など多様な人たちによるパフォーマンス「Qui som(キ ソム)?─わたしたちは誰?」は、必ずしもすべてが明るい世界観というわけではありませんが、希望を失ってない人たちの力強さがあります。カンパニーの共同体としての連帯感や熱量も高く、「この人たちと出会ったらみんなちょっと元気になれるんじゃないか」と考え、ラインナップしました。彼らの作品のセリフで「私たちの内側に外側がある」というような言葉があるんですけど、私たちの内側、つまり心の中にこれからの世界を生み出していく力や種があり、内側から変えていくことが未来を変えることになるんだという、そのような種を伝染させてくれる作品だと思っています。

石神夏希

石神夏希

また「うなぎの回遊」、そして下島礼紗さんの新作ワーク・イン・プログレス公演「さあ環境に抵抗しよう、死に抵抗しよう。そうさ生に抵抗するのさ、」については、世界に向けた演劇を考えたとき、地域の物語ってその対極にあると思われがちですが、地域は本当にクリエイティビティの宝庫だと思うんです。そこに私たちがアクセスすることができたら今まで聞いたことのない物語がいっぱいあるはずで、これまでになかったクリエイションもできるはずなんです。そしてプロフェッショナルな演劇人である自分たちや劇場も、「地域の人たちに私たちが何かを提供します」というスタンスではなく、地域の皆さんのクリエイティビティに触れ、「地域の人と一緒に作っていく」ことで、自分たちが変化していくことが大事なんじゃないかなと。なので、SPACが公共劇場としての地域との関係性をこれまで以上に築いていくために地域に関係するトピックやモチーフを取り扱いたいなと思いますし、その地域により深く根ざすことによって、世界に届くものができるんじゃないかと思っています。

「うなぎの回遊 Eel Migration」ワーク・イン・プログレス公演より。(Photo by Suzuki Ryuichiro)

「うなぎの回遊 Eel Migration」ワーク・イン・プログレス公演より。(Photo by Suzuki Ryuichiro)

また「その地域の人たちにとって、劇場が自分に関係ある場所だと思ってほしいな」という思いがあって。知人が出演しているとか、地域に関することが描かれているとか、演劇という切り口じゃないところで「あ、なんか私に関係ある話をしてる」と感じてほしくて、その結果、プロジェクトに関わる人が増える──たとえばいろいろな人が手伝ってくれたりとか、「これはこうじゃなくてこっちだろう」といった議論が生まれたりすることも含めて、みんながワイワイ言いやすくなると思うんですね。なので、劇場が対話の場として開かれるきっかけとして、ある種の地域の物語を扱っていきたい。演劇に興味はないけれどこの話には興味があるという人が地域の中にはいると思うので、そういったことも扱っていきたいという思いがあります。