三浦宏規

ミュージカルの話をしよう 第9回 [バックナンバー]

三浦宏規、バレエ少年の世界はミュージカルで大きく広がった(前編)

「俺、できないことあるんや」初めての挫折をバネにして

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生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。

このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。

第9回には三浦宏規が登場。あどけなさの残る面立ちと爽やかな歌声が特徴的な三浦は、クラシックバレエの経験に裏打ちされた所作が美しい若手ミュージカルスターだ。2016年に「ミュージカル『テニスの王子様』」跡部景吾役で注目を集め、以降目覚ましい成長を遂げてきた三浦。ミュージカル「レ・ミゼラブル」2019年公演では、日本のレミゼ史上最年少となる20歳でマリウス役を務めた。そんな彼が初めて立ったステージは、クラシックバレエの発表会。熊川哲也に憧れて踊り始めたバレエ少年は、いかにしてミュージカルの世界に魅せられたのか? 4月末、「レ・ミゼラブル」2021年公演に向けて稽古中だった三浦に、話を聞いた。

取材・/ 中川朋子

ヒーローごっこの感覚で始めたバレエ

──三浦さんは熊川哲也さんに憧れて、5歳のときにクラシックバレエを始められたそうですね。熊川さんのことを、どんなきっかけで知ったのですか?

テレビかDVDで、熊川さんのドキュメンタリー番組を観たんです。きらびやかなプライベートの様子も素敵でしたし(笑)、何よりもバレエをされている姿に憧れましたね。ダイナミックなジャンプや回転の華やかさは、当時バレエを観たことがなかった自分にとって衝撃的で。小さい子って、戦隊ものや仮面ライダーが好きでまねするじゃないですか。僕も仮面ライダーが好きだったんですけど、熊川さんに憧れてバレエを始めたのもそういう“○○ごっこ”をする感覚に近かったのかもしれません。

──バレエを始める前に、音楽や舞台との接点はあったのでしょうか。

母が音楽関係の仕事に携わっているので、毎日いやでもショパンとかを聴かされていました(笑)。家に帰ると音楽が流れているんです。母にピアノを教わっていた時期もありますが、やっぱり親子なので反発してしまって……「俺は踊りで生きていくんだ!」と言って、結局続けませんでした。でも今はこうしてミュージカルをやらせてもらっていますし、ピアノも続けていれば良かったなと後悔しています。

──初舞台は何歳のときだったのでしょう?

記憶はほとんどないんですが、たぶん5歳くらいかな。バレエを習い始めて割とすぐに、発表会に出してもらいました。バレエを習っている男の子は少ないので重宝されていたし、あまり上手じゃなくても男の子が真ん中に立つと画になるんですよ。だから僕も早くに出演させてもらったんだと思います。

クラシックバレエの舞台に立つ、幼少期の三浦。

クラシックバレエの舞台に立つ、幼少期の三浦。

──「バレエで食べていきたい」と考えた時期もあったそうですね。それほど夢中になった理由は何だったのですか?

何だったんでしょうね……でも、小さい頃からずっとやっていましたから、バレエしか知らなかったし、それ以外に何かしようと考えなかったからかな、と思います。例えばお父さんが野球選手で、子供の頃からキャッチボールをして野球部に入って、という方もいると思いますが、僕もそういう感じ。バレエ以外のことを思いつかなくて、それが当たり前だったから「一生バレエをやっていくんだろうな」と考えていて、食えるかどうかまではわかっていなかったんじゃないかなと。

──その後はバレエコンクールで入賞されるほどになりますが、バレエは十代で辞めています。

小学校高学年のときにひざをケガして、かなり大きな手術をしたんです。卒業式で松葉杖をついていたのを覚えているので、たぶん6年生のときかな。治療にはけっこう長くかかって、半年くらい何もできませんでした。今はすっかり良くなったので動きに支障はありません。でもバレエではタイツをはいて脚を伸ばしたときの真っすぐなラインが大切なのに、手術した場所がどうしてもボコッと目立ってしまって。それでもバレエはやれたと思いますが、僕は「どうせやるなら頂点を」と考えていました。だからひざのことが自分の中でずっと引っかかっていて。そんなときに、バレエ以外の舞台に挑戦する機会をいただき、15歳のときに上京して活動を始めました。

「俺、できないことあるんや」恋ブロで経験した挫折が転機に

──2015年には若手俳優たちがミュージカルナンバーを披露するコンサート「恋するブロードウェイ♪ vol.4」に出演されました。このコンサートで三浦さんは初めて、本格的にミュージカルの世界に触れられたそうですね。出演のきっかけは覚えていますか?

当時僕は15・6歳で、何もわからないままマネージャーさんに「行ってこい!」ってポンと放り込まれた感じでしたね(笑)。

16歳のときに出演した「恋するブロードウェイ♪ vol.4」の、三浦のソロビジュアル。

16歳のときに出演した「恋するブロードウェイ♪ vol.4」の、三浦のソロビジュアル。

──初めての恋ブロで三浦さんは、バレエ以外にもソロ歌唱を披露されていました。スーパーバイザーを岡幸二郎さんが務められたこの公演では、大山真志さん、内藤大希さん、法月康平さん、廣瀬孝輔さん、味方良介さん、矢田悠祐さんと共演されています。どんなことが印象的でしたか?

苦すぎるくらいに苦い思い出しかないですね。当時は恥ずかしくて、悔しくて、現場に行くのが嫌でした。ミュージカルがどんなものなのかも知らなかったし、歌ったこともなかったし。本当に歌が嫌いだったのに、ソロで歌う場面まであって。岡さんが「なんだ、この歌が下手な16歳は……」と、冷ややかな目で僕を見ていたのを、若いながらに感じていました(笑)。だけどあのとき大希くんやゲストの海宝直人さんといった素晴らしい歌声の先輩たちとご一緒して感じたのは、悔しさでした。それまで自分は何でもできると思っていたのに、「俺、できないことあるんや」と。

──その後も何度か、恋ブロのシリーズ作品に参加されています。どのように歌の苦手意識を克服されたのでしょう。

初の恋ブロではすごくショックを受けましたけど、その悔しさがバネになりました。できないことがあるのがとにかく嫌で、「なんとかしたい」という気持ちが強かったんです。ボイストレーニングに通ってみたこともあるんですが、歌い方の正解がよくわかっていなかったのでピンとこなくて。それで恋ブロのとき、稽古や本番で自分の歌を復習するために録音していた音源で先輩たちの歌声をたくさん聞いて、まねして歌いました。それを続けていたことが糧になり、気付いたら歌が好きになっていて。初めは嫌いで苦手だからやっていたのに、好きになれて本当に良かった。これで歌が嫌いなままだったら、今このお仕事をやっていませんから!(笑)

──以前、岡幸二郎さんがこの連載で、三浦さんについて「恋ブロのあと歌がとても上達したので、自分のオーケストラコンサートにもゲスト出演してもらった」と歌声を褒めていらっしゃいました。

岡さんのコンサートに呼んでいただけたのは、本当にうれしかったですね。恋ブロはやっぱり、自分がこのお仕事をする大きなきっかけになった公演です。「この曲はどういう話の中で歌われるんだろう?」と思って舞台やDVDを観て勉強したおかげで、ミュージカルに詳しくなれましたし。いきなり放り込まれたことに、今となっては感謝しています(笑)。ただ歌は今でも、好きになったり嫌いになったりしていますね。「身になってきた」と思えるときもあれば、ズドーンと崖から突き落とされて「まだまだだな」と実感するときもありますし。どの作品でどんな曲を歌っても、常に壁は感じています。

三浦はvol.4のあとも「恋するブロードウェイ♪」シリーズに出演。こちらはvol.6での、少し大人びたソロビジュアル。

三浦はvol.4のあとも「恋するブロードウェイ♪」シリーズに出演。こちらはvol.6での、少し大人びたソロビジュアル。

テニミュで“ライバル”たちに出会い、世界が大きく変わった

──恋ブロのあと三浦さんは、2016年から2020年まで「ミュージカル『テニスの王子様』」で跡部景吾役を演じられました。テニミュを通じて学んだ一番大きなことは何ですか?

テニミュでは基礎から何もかも教えてもらいましたが、自分がすごく気を付けなきゃと思ったのはコンディション管理です。出演していたときは1タイトルにつき50から60公演ほどあって、ツアーから帰ってきたらまた次の稽古があって、という生活でした。十代くらいの男の子たちがそんなにたくさん舞台に立つなんて、なかなか経験できません。本番ではほとんど出ずっぱりで歌って走って……あんなに走る舞台ってほかにはないんじゃないかな(笑)。実は、体調が良くないのをおして本番に出た日もありました。たくさんのステージに立たせてもらったことで、体調管理の大切さを学びましたね。

──テニミュを皮切りに、大舞台への出演が続いています。

年上の共演者が多かった恋ブロと違って、テニミュでは同世代のキャストとたくさん出会いました。バレエでもそうでしたが、僕はずっと大人の方々に囲まれながら舞台に立ってきて、でもテニミュでは“スタート地点”に立ったばかりの同年代のみんなが、切磋琢磨していました。そういう、舞台をやっている同い年くらいの人たちにあまり会ったことがなかったので、「みんなに負けたくない」という気持ちが芽生えましたね。共演者のみんなはライバルであり、同時に友達でもある。そんな感覚はテニミュに出るまで知らなかったので、自分の中の世界が大きく変わったのを感じました。

前編では、バレエとの出会いとミュージカルとの邂逅、そしてテニミュを通じて感じた自身の変化について語ってもらった。後編では彼のキャリアにとって大きな転機となったミュージカル「レ・ミゼラブル」や、三浦が考えるミュージカルを観る楽しさ、そしてステージに立つ楽しさを聞く。

プロフィール

1999年、三重県出身。5歳でクラシックバレエを始め、数々のバレエコンクールで入賞を果たす。東京ワンピースタワー「ONE PIECE LIVE ATTRACTION~Welcome to TONGARI Mystery Tour~」では、モンキー・D・ルフィ役を担当。近年では「ミュージカル『テニスの王子様』」3rdシーズンで跡部景吾役、「ミュージカル『刀剣乱舞』」シリーズで髭切役を務め、「恋するブロードウェイ♪」シリーズ、「Nostalgic Wonderland ~song & dance show~」シリーズ、ミュージカル「モンティ・パイソンのSPAMALOT」などにも出演している。またディズニー楽曲のカバーアルバム「Disney 声の王子様 Voice Stars Dream Selection III」にも参加。8・9月にはミュージカル「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ」再演、11・12月にはミュージカル「GREASE」が控える。

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