岸田繁(くるり)の音楽履歴書。

アーティストの音楽履歴書 第46回 [バックナンバー]

岸田繁(くるり)のルーツをたどる

父から影響を受けたクラシック、夢中になった「ドラクエ」、いつしか好きになっていたロック……系統のない濃密なリスナー遍歴が生み出した音楽性

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気が付けば好きになってしまっていたロック

ロックの話が全然出てきませんね(笑)。正直、中学校の前半くらいまでは、あまり好きじゃなかったんです。ちょうど80年代の後半に「イカ天」「ホコ天」ブームがあって、若いバンドマンがこぞって髪の毛をツンツンさせ、エレキギターを持って飛び跳ねていた。その映像に、なぜだか強い拒絶感を抱いたんです。どこかにまだ「音楽は自分だけの楽しみ」という幼い思い込みがあったんですかね。とにかく、あれは気恥ずかしいと思ってしまった。

ただ、ロックへの固定観念が解けるのは意外と早かったです。1つには、買ってもらったラジカセでFM放送を聴くようになったのが大きかったです。そうすると、嫌でもいろんな曲が耳に入るので、必然的に気になる曲がチラホラ出てくる。あと、1歳上のいとこが、日本語のロックをいろいろ吹き込んだカセットテープをくれたんですよ。THE BLUE HEARTSとかTM NETWORKとか、爆風スランプとか。それを聴いているうちに、気が付けば好きになっていました(笑)。TMはアルバムも集めました。THE BLUE HEARTSは「TRAIN-TRAIN」がとにかく好きで。メッセージというより、あの闇雲なエネルギーですよね。今にして思うと、ショボい自分のところまで降りてきて、一緒に走ってくれてる感じがしたんだと思う。要するに、ロックですよね。

中学時代、周りの友達は洋楽ばかり聴いてました。仲間に入るためにCDを貸してもらって。手当たり次第、何でも聴きました。Guns N' Roses、マドンナ、シンディ・ローパー、マライア・キャリー。あとRun-D.M.C.やHeavy D & The Boyzみたいなヒップホップ系も。そうこうするうちブラックコンテンポラリーが好きになりまして。一時期はボビー・ブラウンに入れ込みました。「ロックなんてうるさいだけや」とか、背伸びしたりして(笑)。

ただ、The Beatlesだけはずっと好きでした。最初に聴いたのがいつだったかはもはや覚えていないんですが、おぼろげな記憶だと、テレビの「ひらけ!ポンキッキ」で流れていたのかな。どの曲を聴いてもお腹に落ちるというか。自分ごとのように自然と体に入ってきたんですよね。その感覚は、今に到るまでずっと続いてます。父親も何枚かアルバムを持ってまして。一番聴いたのは「ホワイトアルバム(The Beatles)」ですかね。でもこれは順番とか付けられません。どのアルバムもそれぞれ好きなので。

The Whoは今も特別

初めてギターを買ってもらったのは中学3年生の頃だと思います。スポーツとかは苦手だったので、何か自己アピールをしないとと思って。ただしエレキではなくナイロン弦のガットギターでした。一瞬、教室に習いに行きましたが、すぐにやめてしまって。The Venturesの「Pipeline」とかビートルズの「Day Tripper」とか。最初はああいうシンプルなリフの曲を、1人独学でコピーしていました。

で、楽器を始めると、やっぱり聴く音楽の傾向も変わってくる。それまで敬遠気味だったギター系のロックがだんだん好きになってきました。ちょうどその頃、CDウォークマンも買ってもらって。中学高校まで1時間半くらいかけて通ってたんですが、行き帰りずっと聴いてました。Crowded Houseとか、U2とか、わりと陰りのあるギターサウンドが好きだった気がします。

高校に上がって、コピーバンドを始めました。ちゃんとリードギタリストがいたので、僕はオマケみたいなもんです。キーボードもいて、最初に練習したのはビートルズの「Hello, Goodbye」と「Let It Be」だったかな。やることがないので、「ほんなら適当にアルペジオとか弾いといて」って言われて。あまり存在感がなかった(笑)。ただ、そこのリーダーでボーカルの子が、わりとルーツロック志向だったんです。で、Led Zeppelinとかエリック・クラプトンとか、ボブ・マーリーのCDを貸してくれて。すごく好きになりましたね。曲はもちろんサウンドそのものが、それまで聴いていた音楽とは全然違って思えました。ロックという音楽を心底カッコいいと思うようになったのは、たぶんこの時期からです。

ボブ・マーリーでよく聴いたのは「Legend」というベスト盤。当時はレゲエという音楽をほとんど理解してなかったけれど、ビートルズと一緒で、聴いた瞬間から体に馴染む感じでした。2曲目に「No Woman, No Cry」という代表曲のライブバージョンが入っていて。途中からお客さんが大合唱するんです。あれが僕、たまらなく好きで。普通は「そんなんサブいわ」って思いがちなんですけど、ボブ・マーリーのこの曲と、長渕剛さんの「乾杯」のライブバージョンだけは特別。クラプトンも代表曲がたくさん入ったベスト盤、ツェッペリンは1stアルバムが好きでした。

あとはやっぱり、The Whoかな。最初は本家じゃなくて、コピーバンドが「Pinball Wizard」を演奏するのを観たんだと思います。その後、先輩がミュージックビデオを見せてくれて、めっちゃカッコいいなと感動しました。ビートルズみたいな完璧な自然さはないけど、ちょっと不完全なところが逆にドラマチックでいいんですよね。スタイリッシュだし、楽曲もキャッチーだし、応援したくなる。僕にとっては今も特別なバンドです。

1つひとつ、マイペースでやっていけたら

この頃、家の近所に輸入のCD屋さんができまして。かなり足繁く通いました。時代も分野もバラバラだけど、その店で買ったCDは今も大事に持ってます。ジェームス・ブラウン、Jellyfish。あと、Nirvanaもそうかな。イングヴェイ・マルムスティーンとかMr. Bigとか、Extremeみたいなハードロック系はがんばってコピーしてみたけれど、難しかった(笑)。でも、聴いてる分にはすごく楽しかったです。

コピーはしなかったけれど、その頃に買ったCDで特にハマッたのがプリンス。高校1年の冬かな、Prince & The New Power Generation名義で「Love Symbol」というアルバムが出て。脳天を撃ち抜かれました。なんでしょう、とにかく自由な感じがしたんですよね。スリリングで楽しくて、エッチな声とかもいっぱい入っていて(笑)。知らなかった世界をめいっぱい見せてくれた。音楽って、こんなにもいろんなことができるんだと。

その輸入盤屋でバイトしていたお姉さんと友達になって、磔磔とか拾得とか、地元のライブハウスにも一緒に通うようになりました。クラシック音楽以外の生演奏を知らなかったので、目の前でエレキギターがグワーンと響きドラムがドコドコ鳴ってるのは、やっぱり衝撃だった。わりとブルース寄りのバンドが多くて、鮮明に覚えているのは騒音寺とLUCKY LIPS。あと、ザ・フクロクというカバーバンドがいまして。Sly & the Family StoneとかKool & the Gangなどのファンクを演奏するのがすごくカッコよかったんです。それまでMr. Bigのポール・ギルバートみたいなギターに憧れていたのが、ここでまたガラッと変わりまして。自分はファンクのギタリストになろうって、一時は本気で思ってました。それでワウペダルを買い込んで、変なサイケ風の衣装を着たりして(笑)。高校生なのに頑ななルーツ志向とストイックさは、たぶん、当時の京都という土地柄も大きかった気がします。

高校生活も後半になると、ライブハウスに通いながら自分で曲も作るようになりました。4トラックのMTR(マルチトラックレコーダー)を手に入れて。見よう見まねで音を重ねるのが、面白くて仕方なかった。一応、ちゃんと作ろうと努力はするんですよ。でも実際にできあがるのは、現代音楽まがいのワケわからん代物ばっかり。録音機材もなかったので、ヘッドフォンをマイク代わりにして。自分の声を多重録音して喜んでいました。

佐藤(征史)さんと出会ったのは18歳、高校3年生のときですかね。それまでは同じ学校にいても、ほとんど交流はなかったんですよ。その後、大学で同じ音楽サークルに入って。一緒に毒猿ペピヲというバンドをやってました。ただ、これはあまりうまくいかなかったんです。で、解散して「もうバンドはええかな」と思っていた矢先に、たまたま佐藤さん、森(信行)さんと組んだ即席バンドでコンテストに優勝しまして。それで「もしかしたらプロで食うていけるかも」と勘違いしちゃった(笑)。今にして思えば、身の程知らず以外の何者でもないですけど。まあ、運と引きがよかったんでしょうね。周りの人にも恵まれましたし。それでなんとか、今日までやってこられた感じです。

大学時代の岸田繁。

大学時代の岸田繁。

くるりの1stアルバム「さよならストレンジャー」ジャケット。

くるりの1stアルバム「さよならストレンジャー」ジャケット。

僕の音楽の聴き方って、ずっとこんな感じなんです。その時期によって興味の対象が変わって、あんまり系統立ったところがない。今後やってみたいこともいろいろありますけど、どれもこれも思いつきみたいなもんで。例えばレゲエに打ち込むとか、イタリアに進出してみる、とかね。1つひとつ、マイペースでやっていけたらいいなと。

ただ、若い頃の音楽体験はやはり濃密だったと思う。プロのミュージシャンになって以降は、あんなふうに「自分1人の宝物」みたいな感じで音楽にのめりこむ機会は少なくなりました。その意味では大事な時間だったと、改めて感じます。まあ、変なところにピンポイントで反応する癖は、ずっと変わらないですけどね(笑)。ジャンルをとことん掘り下げるとか、今もあんまりしませんから。それよりは日常の中でふと「あ、この曲ええな」と思って、Shazamで調べるほうが楽しい。昔も今も、ずっとそういう感じです。

岸田繁

1976年生まれ、京都府出身。作曲家。ロックバンド・くるりのボーカリスト / ギタリスト。くるりは1998年にシングル「東京」でメジャーデビューした。代表作は「ばらの花」「ワンダーフォーゲル」「琥珀色の街、上海蟹の朝」など。ソロ名義では映画音楽のほか、管弦楽作品や電子音楽作品なども手がけている。2023年3月にくるりの新作「愛の太陽 EP」をリリースした。

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