加山雄三

愛する楽器 第22回 [バックナンバー]

加山雄三、愛用エレキギターを語る

“エレキの若大将”の一途な楽器愛「フェンダーとモズライトしか知らないよ」

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アーティストがお気に入りの楽器を紹介するこの連載。第22回は加山雄三を迎え、彼の代名詞とも言えるMOSRITE製のギターやGSブーム以前に愛用していたFENDERのJazzmasterの思い出、エレキギターとの出会いのエピソードなどを伺った。

取材・文 / 松永良平 撮影 / 西槇太一

ノーキー・エドワーズから譲り受けたMOSRITE

僕にとってのMOSRITEは“愛する”というより「弾き慣れている」と言ったほうがいいよね。昔はFENDERのほうが多かったんだけど、1965年にベンチャーズが来日したときに、ノーキー・エドワーズ(The Venturesのリードギタリスト、2018年没)が、MOSRITEのホワイトモデルをくれたんだよ。それ以来、そっちを弾かなきゃいけなくなっちゃった(笑)。と言うのは冗談としても、弾いてるうちに自分でもMOSRITEのほうが弾きやすくなっちゃったんだな。ネックも細いしね。

ライトゲージっていう弦の存在も、MOSRITEで初めて知ったんだ。それまではチョーキングなんて「どうやったらあんなふうにフイーンって音にできるんだろうか?」と思ってたからね。「ああ、こんなに簡単にチョーキングできるんだったら、今まであんなに苦労することなかったな」って解決した。だからベンチャーズのおかげでMOSRITEも知ったし、ああいうギターの弾き方ができるようになったって言ったほうがいいのかな。

MOSRITE加山雄三50周年記念モデル。

MOSRITE加山雄三50周年記念モデル。

MOSRITE加山雄三40周年記念モデル。ヘッドがKAYAMAの“K”にデザインされている。

MOSRITE加山雄三40周年記念モデル。ヘッドがKAYAMAの“K”にデザインされている。

今日持ってきたMOSRITEは、僕の50周年の記念で日本のMOSRITE社にエバーグリーンの色で作ってもらった。MOSRITEの加山雄三モデルで、(製品版は)ヘッドの形がMOSRITEの「M」じゃなくて、ネックの先が「K」の形で、自分が弾くギターにはKY-000番というナンバリングを。こだわったのは弦高とピッチの調節かな。MOSRITEを持ってからは、もうほかのギターは弾けなくなったね。この2つのピックアップが特徴で、ここから出る音が非常にパキパキしてて、シャープなんだ。

自分はいろんなギターを弾いてきたタイプじゃない。与えられたギターを気に入ったら一途にそれをもうずっと弾いてきた。だからこのFENDERとMOSRITEしか知らないよ。GIBSONのギターを弾いた時期もあったけど、あんまり縁がなかったな。使っていたGIBSONは箱(ホロウボデイ)だったからさ、俺とはサウンドの傾向がちょっと違うんだよ。Jazzmasterはランチャーズの頃にも使っていたけど、MOSRITEが手元に来てからはあんまり弾かなくなってね。MOSRITEに比べると、ちょっとネックの幅が広かった。弦高をうんと下げて弾いて、すごくペケペケした音にしてたね。「霧雨の舗道」(1966年)では、このJazzmasterを使ったんじゃないかな。ペケペケした音にするのが狙いだったんだよ。

多重録音の名曲「ブラック・サンド・ビーチ」

若き日の加山雄三。MOSRITEのほか、FENDER Jazzmasterも使用していた。

若き日の加山雄三。MOSRITEのほか、FENDER Jazzmasterも使用していた。

エレキギターとの出会いは、当然ベンチャーズより前ですよ。まだ自分が学生時代の1950年代だから。でもその頃に使ってたのは、こういう形(ソリッドボディ)じゃなくて、いわゆる箱型(ホロウボディ)のジャズギターだった。当時はカントリーミュージックが主だったからね。やがてエルヴィス・プレスリーが流行ってきてからは、エルヴィスの曲の間奏とかを自分でも真似して取り入れたりしてたね。60年代に入って登場したベンチャーズが新鮮だったのは、全部がギターだったこと。しかもカントリーの場合はアコギもあるし、スチールギターもある。でもベンチャーズの場合はリードもサイドも全部がエレキギターだった。ベースもエレクトリックだったし。

加山雄三

加山雄三

「ブラック・サンド・ビーチ」(1965年)は全部、僕1人で弾いてるんですよ。多重録音の曲を日本で最初に商品化したのはこの曲じゃないかな。当時はまだクリックもない。その状態でドラムを入れて、ベースを入れて、メロディを乗っけて、さらにオブリガードを入れて、そういう録り方だったね。AからG、F、Eと降りてくコード進行を逆さにやったらどうなるんだっていうことで、この曲ではGから上がっていった。そしてそこにメロディを乗せてみたら、うまく乗っかった。ただそれだけの曲なんだ(笑)。それを今でもみんなにカッコいいと思ってもらえてるんだから、ありがたい話です。奇跡だよね。

「ブラック・サンド・ビーチ」はなぜだか売れたんだよ。ベンチャーズまでカバーしてくれたしね。それはうれしいよ。俺の作った曲を大御所のノーキーが演奏してくれたわけだから。あと、俺がロックフェスに出てたときも、昔作った英語のオリジナル曲を、若いメンバーが「これはすごくいいですよ」と言ってみんな覚えてきてくれるんだよ。素晴らしいよね。

弾きたい人がいるならどんどん使ってほしい

加山雄三

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加山雄三所有のFENDER Jazzmaster(詳細な年式不明)。

加山雄三所有のFENDER Jazzmaster(詳細な年式不明)。

そういえば、僕はディミニッシュコードの押さえ方が普通と違って、低音弦を上から親指で押さえてたんだよ。それを昔はみんな「お前、そんな変な持ち方しちゃダメだよ」って笑っててさ。そしたら、カントリーギターの名手チェット・アトキンス(1924~2001年)の先生と言われるマール・トラヴィス(1917~1983年)のそのコードの押さえ方が、僕と同じだったんだな。「俺は大先生の通りにちゃんとやってんだから」って変な自慢したこともあった(笑)。そういう意味で、僕の弾き方は全部自己流なんだよね。

60年代、俳優の仕事も忙しかったのによく音楽もやれたねって言われるけど、俳優というのは、ここだけの話ウェイティングビジネスと言ってね、待ってる時間の長いこと長いこと(笑)。そういうヒマなときに、ちょろっとギターを弾いたりしてたっていうのが本当だったね。あの待ち時間もギターには役立ってた。

加山雄三所有のFENDER Jazzmaster(詳細な年式不明)。

加山雄三所有のFENDER Jazzmaster(詳細な年式不明)。

アメリカのナッシュビルはカントリーのメッカだけど、あの街にギターのミュージアムがあるんだよね(The Gallery of Iconic Guitars at Belmont)。そこに行くと、誰それが使ったギターがこれ、みたいな感じで飾ってある。チェット・アトキンスが弾いてたギターを探して、写真を撮ったもんです。今、静岡の西伊豆に僕のミュージアム(加山雄三ミュージアム)があって、ノーキーにもらった白いMOSRITEが飾ってあるけど、そこで一緒に写真撮っている人だっているかもしれないね。(加山が所有する60年代Jazzmasterが、ビンテージギターとして現在高価になっていると聞いて)ああ、もし「弾きたい」という人がいたら、こういうのもどんどん使ってもらったほうがいいんだよ。誰かが弾いてくれれば、ギターだっていつもきれいにしてもらえるだろうし。

加山雄三(かやまゆうぞう)プロフィール

1937年、神奈川県横浜市生まれ。慶応義塾大学法学部政治学科卒業後、1960年に東宝と専属契約を結び芸能界入りする。1961年7月に主演映画「若大将」シリーズがスタートし、挿入歌「夜の太陽」で歌手デビュー。1966年にシングル「君といつまでも」が大ヒットを記録し、その後も多数のヒット曲を発表する。弾厚作名義で作曲家としても活躍し、自身の楽曲のほか、日本テレビ系「24時間テレビ『愛は地球を救う』」のテーマソング「サライ」などの作曲を担当。2013年に宮城で開催された野外フェス「ARABAKI ROCK ROCK FEST.2013」への出演をきっかけに翌2014年にTHE King ALL STARSを結成した。2019年にはCD7枚組アルバム「岩谷時子=弾 厚作ワークスコレクションBOX」をリリース。映画「ジュマンジ/ネクスト・レベル」日本語吹き替え版で声優に初挑戦するなど、マルチな活躍を見せている。

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