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スピッツ「フェイクファー 」(写真提供:浅川英郎)

音楽シーンを撮り続ける人々 第9回 バックナンバー

「あっ」と驚く“濃いめ”を追求する浅川英郎

何十年も前の写真が今でも店頭に並ぶ面白さは、ほかにはない

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アーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺う本連載。第9回はスピッツや奥田民生、RHYMESTERなどの多くのアーティストのジャケット撮影に加えて、化粧品やアパレルブランドなど数々のテレビCMを手がける浅川英郎に話を聞いた。

取材・文 / 高橋裕美 インタビュー撮影 / 阪本勇 ヘッダ写真:スピッツ「フェイクファー 」ジャケット(写真提供:浅川英郎)

人と違うのもアリなんだ

僕が生まれた山梨県北杜市は「南アルプス天然水」のロケ地にもなっている山に囲まれた、まあ田舎です。そういうところで育ったので、大して情報も入ってこない。だから飛び込んできた情報はすぐにキャッチして、ビビッときたら自分の中で大事に育てているような子供でした。小さい頃からプロレスを観ていて、特に全日本プロレスの外国人選手が好きでした。アブドーラ・ザ・ブッチャーやザ・シーク、ザ・ファンクスとかに興奮してました。でも一番好きな選手はジャンボ鶴田。ファンの間でよく言われる“ジャンボ鶴田最強説”はいまだに信じてるくらい。初代タイガーマスクにもハマって「僕もプロレスラーになりたい」と思ったこともありました。近所のおばあちゃんちで、ミシンを借りてジャージの生地でマスクを作ってましたね。ルチャリブレ(メキシカンプロレス)の覆面レスラーが出ている雑誌を参考にして、見よう見まねで(笑)。

実はこのインタビューを受けるにあたって、そもそもなんで音楽の仕事をやってるんだろうって考えたんです。でも好きなものって理由がないじゃないですか。だから自分でもよくわからなくて。ただ、「あっ」と驚くようなものが好きだというのはありました。中学生の頃はプロレスやビートたけしが好きだったり、音楽だったらRCサクセション、(忌野)清志郎が好きだったり。洋楽ではThe Specialsが好きで、そこから2トーンを掘り下げていったりしました。ジャケットもいいし、音もパンクとスカが合わさっていて、そのシーン自体がヘンテコでいいと思ってました。

本や映画の趣味もそんな感じで、デヴィッド・リンチの「イレイザーヘッド」を中3のとき映画館に1人で観に行って、胸騒ぎしすぎちゃったくらい。僕が今この仕事をやっているきっかけっていくつかあるんですけど、「イレイザーヘッド」を観たのはけっこう大きかったと思います。田舎だったこともあって、自分の考えていることが人と違うのって恥ずかしいとかいろんな気持ちがあったんですけど、これを観て人と違うのもアリなんだと思えた。でもそれっきり、一度も観てない。観ちゃうと何かが終わっちゃうような気がするんですよ。当時の気持ちだけを残して、それを忘れないようにしようと思っているんです。

映像に興味があった

そもそも僕の実家は写真館をやっていたので、子供の頃からよく家の仕事を手伝わされていました。田舎だからか、警察の鑑識課の写真もうちで焼いていました。例えば「あの家のおばあちゃん、火事で死んじゃった」なんてとき、僕は黒こげの写真を見ていたし、山で遭難した方のご遺体の写真とかも見ていました。だから写真に対して夢とかそういうものはなかったんです。のちに自分が撮り始めるようになってから「父親が撮っていた集合写真、よかったな」とか思ったりはしましたけど。

高2のときかな、家に転がってた8mmで映像を撮り始めて。僕が監督と構想、編集をやって、撮影は写真部の友達に任せました(笑)。8mmの編集って、好きなところをハサミでカットしてテープで貼ってつなぐという超アナログな手法で。それがすごく面白かった。

あと、ちょうどその頃にMTVが始まって、ミュージックビデオってすごく面白いなと思ったんですよ。特にマイケル・ジャクソンの「Thriller」が衝撃的だった。狼男とか、ゾンビのダンスとか。ファンタジーというよりも、もっと“リアルじゃない”部分に飛び込んで行く世界というか。そういった“濃いめ”のものがとにかく好きで、将来は映像の仕事ができたらいいなとぼんやり思うようになりました。

そんな感じで中高を過ごし、なんとなく日本大学芸術学部の映画学科を受験したんです。映画学科は落ちたんですが、あとから転科すればいいと思って写真学科に入って。でも入ってみて、スチールのほうが自分がやっていたことの延長線上にあるということに気付きました。どういうものを作るか考えて演出して編集するといった、自分がやってたことに近いのは写真だった。大学では面白い友達ともたくさん出会えて、レコードジャケットをカッコいいと思うようになったのも、ニューウェイブ好きな友達に4ADというレーベルを教えてもらったのがきっかけでした。音楽も好きだけど、それよりもそこが出してるレコードのジャケットにやられちゃいました。

RHYMESTERでジャケット撮影の道へ

日大を卒業したあとは、流行通信社のスタジオに就職しました。ファッションに特別興味はなかったんですけど、当時発行されていた「流行通信」で扱うファッション写真に濃い写真がたくさんあったというのが理由です。そんな中、僕の一番の親友の戎康友は大学卒業と同時にフリーカメラマンになって、僕も早く独り立ちしたいという気持ちになっていたところに、学生時代からの知り合いに「一緒に仕事しない?」って声をかけてもらったんです。それが、RHYMESTERの1stアルバム「俺に言わせりゃ」のジャケット撮影でした。当時RHYMESTERのメンバーは大学生。歳が近かったこともあって意見をぶつけ合うことができて、「レコードジャケット作るのってすごく楽しいな」「ジャケットだけを撮るカメラマンになりたい」と思うようになりました。

アーティストと打ち合わせをする際は、自分で「こうしたい」というのはあまり決めていきません。ただ、会話の中で得たイメージやひらめきは、とことん言うようにしています。RHYMESTERは当時インディーズでアートディレクターもいなかったので、2枚目のアルバム「Egotopia」のときは、メンバーと1日中打ち合わせをしました。中でも一番と言えるジャケットが3枚目のアルバム「リスペクト」です。このビジュアルは「結局、日本語でヒップホップやるとニセモノって言われちゃう」という話から始まって。そこから、「でも100年くらい前は日本人が洋服を着て写真を撮ることだって、そういうことだったんじゃないの?」って幕末の写真を見ながら話したんですよ。そうやってコンセプトが決まり、ネガが付いてるポラロイドで撮って古い写真っぽく仕上げて。ポラの味だけだと足りないから、もうひと味足すために雑に現像したんです。撮ってすぐ剥がしたり、レンジでチンしたり、その辺にほっぽり投げたり。そうするとゴミとか傷が付くじゃないですか。そんなふうにめちゃくちゃなことをやって、でも最後はビビりながらちゃんと水洗いして(笑)。そこで培った“どれだけ写真を汚くできるか”というテクニックは、クラムボンのアルバム「imagination」にも生きました。

このジャケットを一緒に作った木村豊くん(Central67)は、大学の同級生だったアートディレクターの中村至男くんに紹介してもらって意気投合して、今でも仕事が続いている間柄。木村くんと初めてジャケットの仕事をしたのはフィッシュマンズのアルバム「Neo Yankees' Holiday」です。このときはカラーネガフィルムを自分で現像しました。現像は既定の温度があるんですけど、それを完全に無視して高温で現像して、失敗すると終わり。いいものができると思ってやってみて、ムラムラにはなったのですが、ハイコントラストのいい味がでました。実は、ジャケットの写真は当時僕がまだプリントのスキルがなかったので戎康友に焼いてもらって……これは初めてネタばらしします(笑)。

スピッツ「フェイクファー」で極まった

そんなめちゃくちゃなことをやっていたらスピッツの草野マサムネくんがこの「Neo Yankees' Holiday」のジャケットを見て、木村くんにデザインを依頼するようになったみたいです。僕が初めてスピッツの撮影をしたのがアルバム「ハチミツ」でした。RHYMESTERのときのように、マサムネくんを中心にいろいろと話をして。木村くんとも、The Smithsのジャケットみたいに“スピッツといったらこれ”みたいなものを作りたいねって話していたんです。それからスピッツのジャケットはまったく関係ないモデルの女の子をよく使ったんですけど、それまでバンドメンバー以外の日本人がジャケットに出てくるって、ほかのアーティストでもなかったと思うんですよね。当時スピッツを知らなかった人は、「この子がメンバーなの?」ってなったと思う。

それからスピッツの作品をいろいろ撮らせてもらっていく中で、「もう極まっちゃったな」と思ったのがアルバム「フェイクファー」。僕が撮影していた頃は毎回、色がキーワードだったんですよ。「ハチミツ」は緑で、「インディゴ地平線」がブルー。「フェイクファー」は、草野くんが持ってたビジュアルイメージが白の世界観で、「白でやりたい」って言われていたんです。で、迎えたジャケット撮影の前日に大雪が降ってしまって「明日撮影どうします?」となって。でも僕、「待てよ、この大雪でイメージは白……絶対いいものができるに違いない!」って思ったんです。僕のそれまでの経験で言うと、やったことがないことや、ちょっとやりづらいことって、やってみると見たことのない世界に行けるんですよ。実際、このときも「大雪で撮影中止か?」みたいな状況だったんですけど、撮影してみると極上のものが返ってきた。それも含めてやりきったと思えたんですよね。

「フェイクファー」が最高すぎて「これ以上はあるのか」って木村くんと話していたんですけど、その年に高橋徹也くんの「ベッドタウン」のジャケットを撮影して。これも極まった1枚です。今思うと自分の転換期になったのはこのときだと思う。「自分より濃い人が現れたな」と思ったんですよ。これまでも自分のやりたいことを強く持っているアーティストはいたけど、彼は自分が出演する前提でプランを話してきて、どれも全部面白い。ミュージシャンだけどパフォーマーでもあり、特に「ベッドタウン」では彼が見た悪夢を再現したいと言っていて。内容は、気付いたら部屋が水浸しでどんどん埋もれていって、最後はウッドベースにつかまって助かる……って、そんなのやったことないしアガるじゃないですか。僕も木村くんもいろいろ考えて。プールの中に部屋を作ったんですよ。この撮影は最高でしたね。いろいろなジャケを作ってきましたけど、「どれが一番?」と聞かれたらこれなんじゃないかな。それ以来、彼とは木村くんも含め、今に至るまでずっと一緒にやってます。

何より音楽が好き

ただ面白いことをやりたいと思って、その延長線上でジャケットの仕事をやって、あっという間に時が過ぎちゃった。だけど、最近気が付いたんですよ。ミュージシャンは自分の作品としてアルバムを作っているけど、僕が作っているのは誰かのジャケット。じゃあ僕のものってなんなんだろう……と。そう考えたら、心にポカンと穴が開いちゃって。自分のために撮る写真はないのかと考えた、その1つが、僕のアートブック「Wani Wani」の表紙で使った写真だと思いました。「フェイクファー」の撮影で、ファーの小物を空に掲げて写真を撮ったとき、自分の中に妙な高揚感があったんです。ジャケット撮影って、大体はセットアップして決め込んで撮るんですけど、これは思いつきで撮ったものなんです。それがきっかけで、偶然出会って「あっ」と思ったものを撮影するようになり、それをDVDにしたり、東京と大阪で写真展を開催したり、写真集を作ったり、プリントを販売したり、「O2O2 Snapland」シリーズとして展開し始めたんです。今ではすっかりライフワークになってます。

今後の話をすれば、やっぱりずっとジャケットの撮影をやっていきたいです。ジャケットは1枚の写真しか店頭に並ばないからこそ、「あっ」と目を魅くような濃いめのものを作れば作るほど面白い。だからやりがいがあるし、何より音楽が好きだから楽しい。しかも、何十年もずっと昔に撮影した写真が今でもCD屋に並んで売っているんですよ。そういうものってほかにないじゃないですか。だから今、10代、20代の若い子たちでも僕の写真を知ってくれていたり、写真展をやると足を運んでくれてつながることもできる。そういうとき、ジャケット写真をやっていて本当によかったなと思うんです。時代の流れなのか最近は映像の仕事が増えてはいますけど、でも僕は、これからも新しいレコードジャケットを撮り続けていきたいなと思っています。

浅川英郎

山梨県出身。日本大学芸術学部写真学科卒業後、流行通信スタジオ入社。その後フリーランスとなりCDジャケットやミュージックビデオ、テレビCMの撮影を手がける。2018年からは、これまで撮り続けてきたジャケット写真などから厳選した作品を集めた音楽写真展「Musikfoto」や写真展「O2O2 Snapland」を開催している。

世界各地をPlaubel makina67で切り撮った写真集「O2O2 Snapland」と、そのオリジナルプリントを、浅川英郎オフィシャルサイト「O2O2.net」にて限定販売中。
#Snapland #Musikfoto

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