今年1月、東京の老舗クラブ・青山蜂が“特定遊興飲食店の無許可営業”の容疑で改正風営法の施行後全国初の逮捕者を出し、さらに3、4月には都内のいわゆる“小箱”と呼ばれるクラブやミュージックバー約10店舗が一斉に警察の立ち入り捜査を受けた。この一連の事件は音楽好きの中で大きなトピックとしてSNSなどで広まった。東京・神宮前の古い一戸建てを改装した人気店bar bonoboも警察から指導を受けた小箱の1つだ。bar bonoboのオーナーである成浩一は、この店を拠点に約15年にわたり日本のクラブカルチャーを下支えしてきた人物。青山蜂の件をきっかけに発足された業界団体・ミュージックバー協会(MBA)にも会員として名を連ねる彼は、クラブシーンが変化を余儀なくされる現状をどう見ているのか。音楽ナタリーでは成の連載を通して現在の小箱の状況を追っていく。初回では成がbar bonoboを始めた経緯を中心に聞いた。
取材・
■“神宮前のトラさん”が遺した一軒家
bar bonoboは、昭和の風情を残す“リカリスイビル”の中にある。“ビル”とは言っても建物は昭和35年に建てられた木造一戸建てで、神宮前の景観の中で異彩を放つ。店内はバーカウンター、メインフロア、2階の座敷席、テラス席から成り、友人の家でくつろぐようにお酒や音楽を楽しめる場所として愛されている。この店の主であり、リカリスイビルのオーナーでもある成浩一は、昭和38年生まれの54歳。大学卒業後にアメリカへ渡ると、ニューヨークでの約10年の音楽活動ののちに帰国した。帰国後は音楽から距離を置いて生活をしていたが、2003年12月23日にbar bonoboをオープン。以来、自身もDJを行うなどして音楽の楽しさを発信し続けている。
「この建物はもともと“トラさん”という街の名物オヤジがキープしていたもの。トラさんはここの1階でパートナーと一緒に飲み屋を営んでいました。彼自身はもともと有名ブランドのオートクチュールデザイナーで、自分でスピーカーメーカーを立ち上げるほどのオーディオマニアでもあった。そんなわけで1階は防音がしっかりされた防音ルームでした。僕が知り合った頃、トラさんはアパレルもオーディオも辞めていて、いつも店で呑んだくれていた(笑)。僕はその飲み屋の常連客だったんですけど、あるときトラさんが飲み屋を辞めることになった。でも家賃は払わなくちゃならないから、『トラさんのスピーカーを使わせてくれるなら、僕がここでバーをやるよ』と切り出しました。それで常連仲間と一緒にここで店を始めたんです」
■楽しい場所がお金に負けるのはつまらない
ニューヨークでギタリストとして活動していた経緯を持つ成は、トラさんから借り受けたリカリスイビルでミュージックバーを作ることを決意する。
「防音がしっかりしているし、僕もギターをやっているものですから、最初は個人スタジオにしようと考えたんです。でも月に1回くらいしか使わないだろうし、それはもったいないな、と。それでニューヨークで体験した『The Loft』のことなどを思い出して、音楽を提供する飲食店をやってみようかなって」
「The Loft」は、1970年代にニューヨークでDJのデヴィッド・マンキューソがスタートさせた伝説的なクラブパーティ。のちのクラブカルチャーに大きな影響を与えている。そのように自身がニューヨークで洗礼を受けた「The Loft」の自由なバイブスに惹かれてbar bonoboをオープンさせた成に、1年後に転機が訪れる。トラさんが亡くなった。
「ここの2階にトラさんが住んでいて、たまに下に降りてくるとみんな『わー!』と盛り上がっていました。でも店を始めて1年くらいで白血病で亡くなった。当時の大家にトラさんが亡くなったことを伝えたら、『出て行くか、格安で買わない?』って提案されたんです。その頃は僕も店が面白くなっていたんで、リカリスイビルを買って大家になりました。そのローンは今も返していますけど。でも買ってすぐに、今度は土地を売ってくれという話がきた。当時はこの店の周りに、ここと同じような古い建物が3つあったんです。それをすべて潰して更地にすると80坪くらいの土地になるから、再開発ができたんです」
地上げによって、最終的に店の土地は“いい価格”が提示された。しかし成はリカリスイビルを手放さず、現在まで店を続けている。これについては、「この店だけが残っているから、マンションを建てたりすることもできない。まあ迷惑ビルみたいなもんです(笑)」と笑う。
「もちろん売るかどうか考えました。ただ僕の通帳に0は並ぶけれど、そのお金を使って何か始めるというアイデアもなかった。だったら売ってもこの店が無くなるだけだよなって思って。あと東京にはよくある話で、楽しい場所がお金に負けて無くなるっていうのは非常につまらないじゃないですか。だから続けようと思ったんです。でもそのあと、盆休み中に謎の火事が起こったりして……この店、歴史を語ると長くなると言うか、いろいろ曰く付きなんです。火事のときはトラさんが遺したスピーカーが無事だったし、火災保険を利用して焼けた部分にテラス席を作って営業を続けることにしました。テラスを作ってから店に複合感が出てより面白くなった気がします。そういう意味ではラッキー。僕が燃やしたんじゃないかと言う人もいるくらい(笑)」
■この店は実験の場
個性の強いDJたちが連日フロアを盛り上げているbar bonoboだが、ブッキングに成が関わることはほぼない。イベントの内容は日替わりで働くスタッフたちがそれぞれ考え作り上げていく。スタッフは全部で15、16人で、それぞれパートとして働いているそうだ。「僕は何か指示を出すことはなく、完全に放任主義。どんなに忙しくても手伝わないってことをルールにしているくらいだから(笑)」。店に漂う自由な雰囲気は、そんな成の性格によるところが大きい。
「スタッフはそれぞれある種のアナキズムが通っている人が多い。みんな副業的にお小遣いを稼ぎつつ、人生の楽しみとしてモチベーション高く働いてくれていると思います。僕がブッキングに関わるのは週末のパーティくらいで、基本的にはお客さんとお酒を飲んで、一緒に踊って、人と人をつないでっていうホスト役。大げさかもしれませんが、この店って僕とスタッフとか、お客さんとスタッフの関係の実験の場なんです。オープンの頃、僕は昼間の仕事もしていたので、この店は副業的に始めたものでした。趣味のようなものだから、あまり儲けに走らずに好きなことだけをやっていくってスタンスで始められたのがよかった。最初から儲けに走っていたら内容がブレていたかもしれません。そしてここ10年くらいで、この店の仕事だけで十分食べていけるようになりました。今は理想的な形で店を回せていると思います」
次回はbar bonoboが警察の立ち入りを受けた際の様子や、ミュージックバー協会の活動などについて聞いていく。
<つづく>
- 成浩一
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1963年、山形県生まれ。1990年代をアメリカで過ごし、バンド・のいづんずりのニューヨーク版のギタリストとして活躍した。帰国後の2003年12月に東京・神宮前2丁目にミュージックバー・bar bonoboをオープン。オーナーとして店の経営を担いながら、自らDJも行っている。
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