プライベートでは「タリモ」と呼んでいた(三沢)
──そして、このアングルファインダー(撮影画角の確認をする道具)ですが。
三沢 8mmのときからカメラワーク、編集、音とこだわっていたわけですけど、アングルが思っているものとちょっと違うと、森田は気になってどうしようもないわけです。独自にこのアングルファインダーを見て「いや、これは」と思ったときには言いに行っていました。いつからかモニターで画を確認できるようになって、このアングルファインダーは要らなくなりましたが。
──「TARIMO」とネームプレートが貼ってありますね。この呼び名は昔からのものですか?
三沢 小学校からです。森田が亡くなったあと、小学校の同級生の方がクラス会に私を呼んでくださって。みんな「タリモ」って言ってました。
宇多丸 へええ。
三沢 「タリモがあんな有名な監督になって」って(笑)。同じ森田という名字の人でいえばタモリさんのほうが有名だけど、年季は入ってるんです。
宇多丸 タモリさんと同じくジャズマンっぽい言葉の崩し方だなと思ってたんですけど、実は小学生からだったんですね。
三沢 実は私もプライベートでは「タリモ」と呼んでいました。だってほかに呼びようが……。下の名前で呼ぶような関係じゃないんですよ。友達みたいな感じです。
宇多丸 森田さんも「三沢」って呼んでましたし。
三沢 私たちが夫婦だということを知らない人がすごく多かったです。お葬式のときに喪主の名前を聞かれて「森田は嫌なんで三沢和子にしてください」と言ったら、葬儀社の方に「あり得ません! そういうことは。お葬式でそんなこと言う人いませんよ」とすごく怒られて(笑)。周囲の人に「三沢さん、こういうときぐらい妥協しましょうよ」と言われて森田和子にしたら、「森田和子って誰だ」「奥さんがいたんだ」なんて話になったぐらい。別に夫婦であることを隠していたわけじゃないんですけど。アナウンスする必要もなかったし。
宇多丸 それは葬儀屋が無粋ですね。何を言ってやがる、という(笑)。
三沢 三沢和子でよかったじゃないっていう。でもそのときは打ちひしがれていたから、素直に従ったんですが。
後編に続く
森田芳光(モリタヨシミツ)略歴
1950年1月25日生まれ、神奈川県出身。東京・渋谷区円山町で育つ。日本大学芸術学部放送学科に進学すると自主映画の制作を開始。1981年に「
三沢和子(ミサワカズコ)
1951年生まれ、東京都出身。大学在学中よりジャズピアニストとして活動する傍ら、のちに夫となる映画監督・
宇多丸(ウタマル)
1969年生まれ、東京都出身。1989年にヒップホップグループ・
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