映画史に燦然と輝くレジェンドたちの功績や魅力に迫る本連載。第3回では100本以上の出演作を残し、2011年7月19日に71歳でこの世を去った俳優・
このたび、遺作となった「
文
没後10年、今なお映画の現場をともにする“完璧な晴れ男”
私はどこへ行くにも、撮影の時も、必ず原田芳雄さんの遺影となった写真を携えている。普段は手帳に挟み、撮影時は、脚本に挟み、常に芳雄さんと行動を共にしている。
撮影時、一転天気が崩れてきたら、空に遺影を掲げて、「その雨雲を蹴散らしてください」と、芳雄さんにお願いする。なぜなら、芳雄さんは、完璧な晴れ男だからだ。暫し空高く掲げていると、ほぼ100%の確率で、雲が割れ、その隙間から、太陽が顔をのぞかせる。ロケ地が、タイのバンコクであろうが、ロシアのハバロフスクであろうが、ニューヨークであろうが、キューバであろうが、雲行きが怪しくなると、すぐさま遺影を天高く掲げた。キューバのスタッフたちは、その圧倒的な効き目に、「それ、売ってくれないか」と本気で云ってきた。私のスタッフもその効果を知っているので、撮影部などは、天候が下り坂になると私に「監督、そろそろ芳雄さん(の遺影)をお願いします」と云ってくる。つまり、掲げてくれ、ということだ。
あるとき、天候悪化を予測して、早めにその遺影をカメラの三脚のちょっとした突起の上に据え置いた。拡げた三脚に置くと、ちょうど空を見上げる角度になるのだ。どんよりとした空が、一転晴れてきた。ほら、みろと想った矢先に、撮影技師がアングルを変えようと、ガサッと三脚を動かした。で、不安定な場所に置いてあった遺影はぽろっと、地面に落ちた。それも汚い地面に。あっと想った途端、みるみる黒雲が沸き上がり、凄まじいどしゃ降りに。しかも、私たち撮影隊がいる場所のみに豪雨が容赦なく……。周りを見渡すと、100メートル先は晴れている。あぁ、遺影を落としたからだ。その場にいて、慌てて雨宿りをした石橋蓮司さんは、私に向かって「見てたぞ、おい、てめぇ、芳雄落としちゃっただろ!」と、怒鳴った。
芳雄さんのご家族にその遺影の効果について伝えると、「あんた、芳雄をあっちこっちに連れ廻って、成仏できねぇだろ、て怒ってるわよ」と返された。逆の場合もある。脚本上、そのシーンが雨の設定の場合、特殊な器機で人工的に雨を降らせるのだが、当日雲ひとつない晴天じゃリアリティ的に困る。そんな時は、芳雄さんには申し訳ないと想いつつ、脚本から遺影を取り出し、現場から離れた所へと、遠ざける。なんと、ひどいふるまいと、私自身も自覚しているのだが……。
てなことで、私はいまだ、芳雄さんと共に映画を作っている。出演は叶わないが、作品作りに付き合ってもらっているのだ。晴れ男というだけでなく、いつもそばにいてほしいその一心で。芳雄さんの思考や言葉にどれほど私は救われてきたことか。
芳雄さんから戴いた多くの金言の中で、最も印象的だったのは「“おもしろい”のその上に、“おかしい”がある」だ。芳雄さんと呑んでいるときにその言葉があり、私はすぐ手帳に書きとめた。その意味について、勝手な私の解釈だが、“おもしろい”を構成するのは物語のあり方で、“おかしい”を構成するのは人そのもの。言い換えると、前者はシチュエーションコメディで、後者はおかしな連中が織りなす人間喜劇。その金言をそう受け取って、できるだけおかしな俳優たちに集まってもらい、その俳優自身のおかしみを役柄へと戴いてみんなで遊ぶ、それを目標にしてきた。普段から、異形、異端、辺境に生きる俳優は、自身のおかしみにも気づいてない。それ自体が、そもそもおかしい。そんな道徳、倫理、正義なんぞ無縁だという俳優が私にとって最高の演者だ。
芳雄さんがいなくなってから、ときどき夢に芳雄さんが現れる。私のおやじよりも現れる頻度が高い。で、夢に見る芳雄さんは、いつも笑っている。微笑むとかじゃなくて、ゲラゲラ、あるときは躯ごとのけぞって笑っている。そんな芳雄さんを見て、私は安堵する。「なんだ、あちこち連れ廻ったけど、全然怒ってないじゃん」と。
以上、冗談みたいだが、ほんとうのことです。
阪本順治拝
原田芳雄 略歴
1940年2月29日生まれ、東京府東京市足立区(現:東京都足立区)出身。工業高校を卒業後、会社員として働き出すも数カ月で退社して俳優座養成所に入所する。正式な座員となり、1967年にテレビドラマ「天下の青年」で本格的にデビュー。赴任したての熱い青年教師役で主演を飾る。翌1968年に「復讐の歌が聞える」で銀幕デビューを果たした。その後も着実に俳優道を進み、圧倒的な存在感と演技力で映画人たちから高い支持を得ていく。
名匠・鈴木清順と組んだ1980年公開「ツィゴイネルワイゼン」はベルリン国際映画祭審査員特別賞など国内外の数々の賞を受賞。そのほか「反逆のメロディー」「竜馬暗殺」「原子力戦争」「生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言」「われに撃つ用意あり」「美しい夏キリシマ」「歩いても歩いても」など出演作は100本以上に及ぶ。鉄道好きが高じてバラエティ番組でも活躍。「タモリ倶楽部」内のコーナー「タモリ電車クラブ」では、俳優としてのアウトローなイメージを覆す無邪気な姿を見せた。またミュージシャンとしてライブ活動も行い、渋い歌声でブルースを歌唱。世代を問わず多くの人に慕われ、生前には毎年年末に関係者を招待して自宅で餅つき大会を開催していた。
2008年10月末に早期の大腸がんと診断され、2011年7月19日に肺炎のため71歳で死去。遺作である「大鹿村騒動記」が7月16日に封切られた3日後だった。映画界への多大な貢献をたたえ、同年8月9日の閣議で旭日小綬章の授与が決定された。
関連作をピックアップ
「どついたるねん」
阪本順治の長編デビュー作。元プロボクサー・赤井英和の自伝的小説をもとに、赤井本人が主演で映画化された。試合中にダメージを負い再起不能となったボクサーが、奇跡の復活を目指すさまを描く。ジムのトレーナー役の原田芳雄は体重を10kg減量して挑んだ。
「大鹿村騒動記」
長野県の大鹿村を舞台に、300年以上の歴史を持つ“大鹿歌舞伎”と伝統文化を守り続ける村人たちの悲喜こもごもが描かれる。原田は大鹿歌舞伎に人生を捧げてきた主人公に扮した。たびたび作品をともにしてきた阪本と原田。「いつか真正面からぶつかり合う映画を」という2人の願いが、原田の遺作となった本作で実現した。
「一度も撃ってません」
2020年7月に公開された阪本の最新作となるハードボイルドコメディ。約18年ぶりに映画主演を務めた石橋蓮司をはじめ、大楠道代、岸部一徳、桃井かおり、佐藤浩市、江口洋介、妻夫木聡ら、原田とゆかりのある俳優が集結した。原田の自宅に集まる毎年恒例の行事で、阪本やキャスト陣が盛り上がって映画の企画が生まれたという。劇中で主人公たちが集まるバー「y」の看板は、原田が生前書き残した文字をもとに制作された。
阪本順治
1958年10月1日生まれ、大阪府出身。大学在学中より石井聰亙(現:石井岳龍)、井筒和幸、川島透らの現場にスタッフとして参加する。1989年、赤井英和主演の「
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マスオタカノリ @littlebachbook
〝…芳雄さんから戴いた多くの金言の中で、最も印象的だったのは「“おもしろい”のその上に、“おかしい”がある」だ。〟
…『半世界』の稲垣吾郎や長谷川博己には「おもしろい、おかしい」に加えて不可解さが在った。乱闘シーンにも人物の在り方と不可分な不可解さが宿っていた https://t.co/OIE38agOqY