2011年、61歳で急逝した映画監督の
このたび映画ナタリーでは三沢と宇多丸の対談をセッティング。愛用の品々にまつわるエピソードなどから天才・森田芳光の素顔を語ってもらった。前編には三沢が宇多丸に贈った森田の腕時計のほか、8mmフィルム、編集機、アングルファインダーが登場する。
取材・
森田監督の時計を譲っていただくところに来るなんて(宇多丸)
──今回「森田芳光が愛したもの」というテーマのもと、森田芳光監督の私物を奥様である三沢和子さんにご持参いただきました。そして宇多丸さんには、三沢さんからプレゼントされたという森田監督愛用の腕時計をお持ちいただいています。宇多丸さんにこの腕時計をプレゼントされた理由を教えていただけますか?
三沢和子 森田と近いスタッフの方たちにも、一周忌の際にいろいろなものを差し上げたのですけど、この時計は誰かにあげられなかったんです。あまりに毎日森田が着けていたので、一番大事な人にあげたいと思っていたのですが、その相手を選べないまま10年経ってしまって。そんな中、3年前の新文芸坐での上映会や、今回の「森田芳光全映画」や、Blu-ray BOXのことで宇多丸さんには大変お世話になって。宇多丸さんとお会いしていなければ、こんなに森田が再注目されることはなかったと思うんですね。なので「この腕時計を差し上げるのは宇多丸さんだな」と。お似合いになりそうだったし。森田本人には似合わなくて、なんだか腕が重そうだったんですよ(笑)。
──確かに宇多丸さんの腕にばっちりハマってますね。
宇多丸 サイズも、なんのアジャストもしなくてもぴったりで。
──ちなみに森田監督はこの腕時計をいつ頃買われたんでしょうか?
三沢 すごくこういう腕時計が流行ったときがあって。2000年代だと思いますよ。少なくともその後半の5、6年はずっと着けていました。
──宇多丸さんはこの腕時計をいただいたとき、どのように思われましたか。
宇多丸 いいんですか?っていう。やっぱり時計って“受け継ぐもの”というニュアンスも強いし、恐縮で。僕なんかでいいのかという感じでした。もちろんうれしいし光栄ではあるんですけど。いただいた帰り、車の中で、マネージャーと「こんなところまで俺は来てしまった」みたいな話をしましたね。
三沢 (笑)
宇多丸 森田監督の時計を譲っていただくところに来るなんて、想像もしていなかったことですから。「あれ? なんでこんなことになってんだっけ?」みたいな。とんでもないところまで来てしまったというか、すごく責任も感じました。その一方で、ありがたいし、普通にかっこいい時計だから「やった」っていう気持ちもあります(笑)。さっきも、「アフター6ジャンクション」の月曜パートナーの熊崎風斗くんがずっと「かっこいいですねー」って。監督もそうなんでしょうけど、これは特に男の子心をくすぐるデザインだと思いますよ。
三沢 そうですよね、買ったときにみんな大騒ぎしてましたから。何十万円もするものじゃないんですよ。なのにたくさんの男子に「監督、なんですか、それ」って聞かれて、すごく自慢してたので。
宇多丸 ごついのもいいし、竜頭が斜めの位置にあるのもいいですね。説明書もネットで調べて、時刻もきっちり合わせて大事に使ってます。外見もきれいで、機能もまったく問題なくて時間も正確です。
三沢 森田も「三沢、あげるべき人をちゃんと選んだな」と思っています、間違いなく。
宇多丸 いやいやいや……。ほかにいろんな方がいらっしゃるのに、本当にすいませんという。
三沢 いや、全員納得だと思いますよ。ほかの誰かに聞いても「僕ではないでしょ」ってみんな言うと思います。
──実は僕自身、宇多丸さんの活動や「森田芳光全映画」から森田監督の映画の価値を改めて見直し、新しいファンになったというところがあります。おそらく同じような人は多いと思うので、そういう意味でこの腕時計はやはり宇多丸さんのところに行くべきだったのかと。
宇多丸 うれしい限りです。でも僕も、もともとファンでしたしよく知っているつもりでしたけど、全作品をスクリーンで観直し、「森田芳光全映画」を作った結果、改めてちゃんとファンになったというか、初めて真の理解のとば口に立ったと思っています。「これはどうなんだ?」と感じていたところの意味とか必然性を知ったり。たぶんみんなね、同じプロセスを踏んでファンになる、というか「面白い!」となるんですよ。森田さんは映画も面白いしご本人の物語も面白い。
森田が今いたらiPhoneで好き勝手にやっている(三沢)
──なるほど。今回、三沢さんにはいろいろお持ちいただいたのですが、まず8mmカメラと編集機です。
宇多丸 (編集機を眺めて)スプライサーですね。僕も高校のときに1回だけやっています。
──8mmフィルムで作品を撮っていたということですか?
宇多丸 はい。
三沢 それ見せてください。
宇多丸 ダメです!
三沢 (笑)
宇多丸 本当に向いてない、っていう……。
──フィルムが残ってはいるわけですね。
宇多丸 実家に行けばありますけど。
三沢 うわあ、観たい。
宇多丸 いやいやいや。やろうとしていたことはそれこそ森田さんと近くて、ミュージックビデオの監督になりたかったんですよ。
三沢 できるんじゃない?
宇多丸 でもやっぱり映像はダメです。コントロールしなきゃいけないこと、思い通りにならないことが多すぎて、めげました。
──この8mmカメラで、1978年の「
宇多丸 えー、ヤバいな。
三沢 当時、カメラをすごく動かしていたんですよ、8mmだから。もうダンスを踊ってるみたいに。森田は「カメラワークのために体を鍛えないと」と言っていました。だからいきなり35mmになったとき、キャメラマンの方が撮るので実はそこに不自由さを感じる部分もあったんです。
宇多丸 だから「
三沢 逆によかったんです。
宇多丸 その頃の森田さんはたぶん、「ちょっと落ち着いてください」っていうか、そのくらいでちょうどよかったんじゃないかと(笑)。
三沢 (笑)
宇多丸 クリエイティブって、枷があったほうがよかったりもしますからね。
三沢 最初から森田の好きなふうにカメラワークをやっていたら、誰にもわからない映画になっちゃったかもしれない。
宇多丸 今はiPhoneで映画を撮れる時代ですから、100%好きなことができるでしょうけど。最初から枷がない状態なら、森田さんはどうしていたか。
三沢 森田が今いたらiPhoneで好き勝手にやっていたでしょうね。
宇多丸 絶対やってますよね。デジタル撮影も早い時期にやっている(「
プライベートでは「タリモ」と呼んでいた(三沢)
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