左から裕木奈江、デヴィッド・リンチ

レジェンドの横顔 第6回 [バックナンバー]

デヴィッド・リンチの世界に身を投じて:「インランド・エンパイア」と「ツイン・ピークス The Return」

裕木奈江が感謝と哀悼の意をつづる

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映画監督デヴィッド・リンチが78歳で死去した。「エレファント・マン」「ブルーベルベット」「マルホランド・ドライブ」など唯一無二の作品を手がけてきた彼は、世界中の映画ファンに愛されている。

映画界で活躍した人々の功績や魅力に迫る連載「レジェンドの横顔」第6回では、リンチの監督作「インランド・エンパイア」「ツイン・ピークス The Return」に出演した裕木奈江に執筆を依頼。現場での思い出や作品の魅力をつづってもらった。

「デューン/砂の惑星」に惹かれた中学生時代

デヴィッド・リンチ氏がこの世を去ったことに深い喪失を感じています。彼の作品と現場での思い出を振り返りながら、偉大な映像作家としての功績を称え、感謝と哀悼の意を込めて語らせていただきます。

映画監督デヴィッド・リンチは、現代の映像芸術における巨匠として知られています。観る者を夢と現実の曖昧な境界へと引き込み、記憶や時間、存在そのものについて問いかけます。そんなリンチ作品の中でも、特に挑戦的な2つのプロジェクト──「インランド・エンパイア」と「ツイン・ピークス The Return」──に俳優として出演させていただいたことは私にとってとても幸福で特別な体験でした。

私が彼の作品を初めて観たのは日本で「デューン/砂の惑星」が公開された時でした。中学生だった私が何故この映画を選び観に行ったのか記憶が定かではありませんが、当時横浜で映画を観るとなると横浜駅周辺の映画館になり、その宣伝ポスターが私の暮らしていた私鉄沿線にも張り出されていたので、それを目にし惹かれたのだと思います。まだ海外映画やサブカルチャー、アート映画の知識もなかったので、彼の他の作品との相関関係など考えず娯楽作品としてスクリーンを見つめていました。館内のほとんどの観客は大人で、暗闇の中とはいえ子供は自分だけに思えました。そこで私はカイル・マクラクランさんの顔に「この美しい造形は本物の人間の顔なのだろうか?」と魅入っていました。それが後にNAIDO(ツイン・ピークス The Returnで私が演じたキャラクター)がクーパーの顔に触れる時の仕草に生かされるわけです。

その後は日本で起こった「ツイン・ピークス」ブームに乗じレンタルビデオ屋さんに通い、そこから興味を持ち「イレイザーヘッド」「エレファント・マン」「ブルーベルベット」「ワイルド・アット・ハート」と彼の作品世界に没入していきました。

「インランド・エンパイア」:底なしの夢への旅

「インランド・エンパイア」は、ローラ・ダーンさんが主演を務め、3時間にわたる幻想的かつ挑戦的な作品です。作中で私は彼女のハリウッドの悪夢の中での鑑賞者でしたが、現場での撮影はまさに「未知の領域」でした。リンチ監督は脚本をほとんど用意せず、私に渡されていたのはFAXで届いた英語の長台詞のみで、前後のストーリーは知らされていませんでした。撮影当時の私はロサンゼルスに行き来し始めたばかりで英語力も低く、セリフの内容が難解なので戸惑い、演じるためのヒントを求めると「とにかく覚えて、一生懸命伝えようとして語って欲しい」とだけ指示されました。私を腕に抱く恋人がテリー・クルーズさんであることも当日知りびっくりしました。「役のイメージに合う、汚れを気にせず済む服装で来るよう」と言われたので絵面にした時に意味のつきがちな赤や黄色などを避け白トップスとカーゴパンツ、裸足で行きましたが、「白すぎる」ということで現場の路面に擦りつけて汚しをかけることに。

リンチ監督はこの作品でデジタルビデオカメラを使用し、従来のフィルムでは得られない「粗さ」と「親密さ」を追求しました。完璧なショットではなく、むしろ俳優が不意に感情表現そのものになった(ように見える)瞬間を求められました。

印象深いのは、ローラ・ダーンさんが吐血するシーンで、セットではなくハリウッド・ブルバードで撮影したことでした。星のタイルが所々にある汚れた路上にパイプで仕込まれた血糊が流れる様は象徴的で、このような徹底的なこだわりが、「インランド・エンパイア」の複雑さと美しさを生み出しているのだと感じました。

「ツイン・ピークス The Return」:新たな次元への扉

一方、「ツイン・ピークス The Return」は、1990年代に放送されたカルト的人気を誇るドラマ「ツイン・ピークス」の続編です。リンチ監督がTwitterで「That gum you like is going to come back in style」(君の好きなガムがまた流行るよ!)とTweetしてから楽しみにしていましたが、自分にオファーが来るとは思っていなかったので驚きました。私はこのプロジェクトでは、いわゆる「新キャラクター」として参加しましたので長年愛されてきたキャストと共に演じることに最初は緊張を感じました。しかし現場は作品を作り続けてきた「組」の安定感があり、その不安はセット入りしてすぐに消え去りました。

「ツイン・ピークス The Return」は、オリジナルシリーズの25年後を描いていますが、単なる続編ではありません。それは、シリーズ全体を再解釈し、さらに深い次元へと押し進める作品です。第8話「Gotta Light?」は、特にその象徴です。核実験のシーンから始まるこのエピソードは、視覚的にも聴覚的にも挑発的で、まるで視聴者を別の次元へと誘うかのような感覚を与えます。この回の内容は多くの出演者には知らされていなかったため、オンエアの後は私たちも興奮しました。

このプロジェクトでは、「時間」という概念が特に重要なテーマとして描かれていますが、撮影中にはシーンの順序が非線形であることは知らされていませんでした。またあるシーンでは、隠されていたエリアからこの世に落ちたNAIDO(私の役)への演技指導で、リンチ監督は「野生の生き物のような鳴き声」とだけ説明し、カメラの前に立つ私に自由に演じるよう求めました。彼の指示はいつも抽象的でありながら、俳優として直感的にその意味を感じ取れるものでした。

リンチ監督の創造性の源

リンチ監督の作品に参加して印象的だったのは、彼の創造性の源についてです。彼は「アイデアは深いところからやってくる」と語り、その深い場所にアクセスするために毎日超越瞑想を実践していたそうです。瞑想による内なる静けさが、彼の創作の原動力になっているとインタビューでよく話していました。私も超越瞑想ではありませんが、呼吸法やマインドフルネス瞑想を実践しており、それが10時間以上の特殊メイク装着中でもパニックを防ぐ助けになりました。そのため、リンチ監督が撮影現場で創造性を保つために瞑想を取り入れているのは、とても有用だと感じました。

また、リンチ作品が「難解」と言われる理由についてですが、一般的な娯楽作品が非現実的な「型」を持つのに対し、リンチ監督のような現代アート的アプローチではその型がないため、型を求める観客には難しく感じられる、ということだと理解しました。

「インランド・エンパイア」と「ツイン・ピークス The Return」に出演することで、私はデヴィッド・リンチの世界を体験することができました。その世界は時に混沌としていて、論理では説明できないものばかりですが、そこには独特の美しさと深い洞察があります。デヴィッド・リンチの作品は、私たちの固定観念を揺さぶり、未知の感覚を体験させてくれます。これらの作品を観た後には、自分自身の中にも、まだ知らない扉があることに気付くでしょう。それこそが、リンチ作品の真の魅力であり、彼の作品がこれからも愛され続ける理由ではないでしょうか。

裕木奈江(ユウキナエ)プロフィール

神奈川県出身の女優・歌手。1990年代に「北の国から '92巣立ち」「ポケベルが鳴らなくて」などに出演し注目を集める。2004年にギリシャへ留学し、その後はクリント・イーストウッドの監督作「硫黄島からの手紙」や、デヴィッド・リンチの監督作「インランド・エンパイア」に参加。2017年にはリンチが手がけた「ツイン・ピークス The Return」にも出演した。

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mold @lautrea

裕木奈江が語っている。

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