新型コロナウイルスの感染拡大により休業を余儀なくされ、今、全国の映画館が苦境に立たされている。その現状にもどかしさを感じている映画ファンは多いはず。映画ナタリーでは、著名人にミニシアターでの思い出や、そこで出会った作品についてつづってもらう連載コラムをスタート。今は足を運ぶことが叶わずとも、お気に入りの映画館を思い浮かべながら読んでほしい。
第1回はミニシアター支援をいち早く呼びかけ、ブログでも劇場スタッフへのインタビューなどを展開している
文
深谷シネマとわたし
僕は子どものとき、学童保育に通っていた。
その学童には、ときどき変なおじさんが車でやってきた。
ヨイショ、と映写機とスクリーンとフィルムを下ろすと、子供たちに映画を映写して見せてくれる。中には「
このおじさんは、「地元に映画館を作りたい」と夢みがちに語っていた。
僕は子供心に「無理だろうな」と思っていた。そのおじさんは「男はつらいよ」の寅さんを思わせるフーテン感だったし、地元の埼玉県深谷市はいわゆる文化とは程遠い土地に思えたからだ。
中学に入るとおじさんのことは忘れてしまい、その後、僕は東京へ出て映画の勉強をした。大学卒業した後はフリーターのような生活をしながら自主映画を撮っていた。
2002年頃、「地元に映画館ができた」という話が聞こえてきた。
帰ったら本当にできていた。あのおじさんが作ったのだ。
映画館の名は、深谷シネマ。その人の名は、竹石研二さん。学童保育で上映をしてくれていたおじさんだ。
竹石さんは、2002年の開館から現在までずっと館長を務めている。
深谷シネマは、竹石さんの人柄もあって多くの人が集う場所になっている。先日惜しまれながら逝去された大林宣彦監督は名誉館長を引き受けていたし、山田洋次さん、阪本順治さん、塚本晋也さんらベテランから、僕のような若手まで多くの映画人が舞台挨拶にくる。上映後、竹石さんは近所の居酒屋でみんなと嬉しそうに呑む。ベロベロになって「帰りは適当に帰ってね」と顔を真っ赤にして言う。
「
「午前中には終わると思います」と告げてあったが、10分近くの1カット長回しだったので撮影は伸びに伸び、日が暮れてきた。そもそも脚本段階で、「こんなに地元をバカにしたような映画には協力したくない」と竹石さんが言っていたので、「深谷市」ではなく「フクヤ市」という名前に変えて妥協したのだ。それが撮影になると、竹石さんがつい「深谷市」と言ってしまう。何10テイクも重なって、ようやくオッケー。
その後、映画が完成して深谷で初お披露目したとき、竹石さんはボロボロ泣いていた。
「あの時は、地元をバカにしてるなんて言ってごめん。俺は脚本を読めてなかった」、そう言って握手してくれた。親子ほど年が離れているのに本気で謝り、本気で握手してくれた。そういう人だ。
いまコロナ禍により、深谷シネマも一時休館で苦しい状況にある。
そもそも市民映画館として、市民の力で成り立ってきた場所である。毎年ギリギリの状態で経営をつづけてきた。補償なき自粛の前では、風前の灯の苦しみだろう。
そんななか、インタビューをしていろいろ聞いてみた。
個人的に全国のミニシアターにZoomでインタビューして、現状を聞き取りしている(※随時アップしていく予定 / 映画監督 入江悠 オフィシャルサイト)
「大変な状況ですが、コロナ禍の後に何か目標はありますか?」と竹石さんに聞いた。
返ってきた返事にビックリした。
「日本全国の自治体の約5分の4には映画館がないんです。つまりそこではスクリーンで映画を観るという楽しみができない。だったら、やることは決まってます。文化ホールでもいい、非劇場でもいい。スクリーンで映画を観てもらえるように上映活動していきたいんです」
自分の深谷シネマのことじゃなく、上映活動への新たなる目標だった。
Zoom越しに笑った竹石さんの顔は、学童へ上映活動にやってきたあのおじさんそのままだった。僕はうれしくなった。
竹石さんの人生は、深谷シネマと上映活動とぴったり重なっている。僕は、子どもの頃に映画の楽しさを教えてもらった者として、全力で支えなきゃいけないと思っている。
※映画ナタリーでは、業界支援の取り組みをまとめた記事「今、映画のためにできること」を掲載中
入江悠
1979年11月25日、神奈川県生まれ。2009年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で「SRサイタマノラッパー」がファンタスティック・オフシアターコンペティション部門でグランプリほか多数の映画賞を受賞し、注目を集める。主な監督作は「ジョーカー・ゲーム」「日々ロック」「太陽」「22年目の告白ー私が殺人犯ですー」「ビジランテ」「ギャングース」、ドラマ「ふたがしら」シリーズなど。2020年には「AI崩壊」が公開された。映画メルマガ「僕らのモテるための映画聖典」を配信中。
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入江悠 Irie Yu @U_irie
「深谷シネマとわたし」書きました。
ボクにとって映画の父みたいな深谷シネマ館長。
出会いは、小学生のとき学童保育に映写に来てくれるフーテンのおじさんでした。
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