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大杉漣お別れ会に北野武・草なぎ剛ら参列、太田省吾の妻が転形劇場時代を回想

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大杉漣の息子であり写真家の大杉隼平が撮影した遺影。

大杉漣の息子であり写真家の大杉隼平が撮影した遺影。

2月21日に66歳で永眠した大杉漣を偲ぶ「大杉漣 お別れの会『さらば!ゴンタクレ』」が、昨日4月14日に東京・青山葬儀所にて行われた。

1951年に徳島県で生まれた大杉は、太田省吾率いる劇団・転形劇場のメンバーとして活動し、80年にピンク映画「緊縛いけにえ」で映画俳優デビュー。その後は北野武の監督作「ソナチネ」をはじめ数々の映画やドラマ、舞台で活躍した。“ゴンタクレ”とは「悪者」「ごろつき」などを指す徳島地方の阿波弁で、大杉は2003年に「ゴンタクレが行く」と題した自伝的エッセイ集を刊行している。

遺影は大杉の息子であり写真家の大杉隼平が16年に撮影したもの。祭壇の前には大杉が生前愛用していた眼鏡や帽子、サッカーボール、自身がキャプテンを務めていたサッカーチーム“鰯クラブ”のユニフォームや愛用の自転車、音楽活動も行っていた大杉のギターなどの品々が置かれた。芳名板には本日参列した北野をはじめ、600人以上の映画監督や俳優、著名人の名前が記されていた。

「さらば!ゴンタクレ」は大杉のメモリアル映像からスタート。散歩をする大杉が「お仕事のセリフを覚えております」と語りながら自撮りをする映像に始まり、田口トモロヲのナレーションによる大杉の経歴紹介、そして大杉が出演した映画「変態家族 兄貴の嫁さん」をきっかけに、出演作のマッシュアップが始まった。その後も大杉率いる“大杉漣BAND”のライブ映像や、思い出の写真などが映し出され、締めくくりには、大杉隼平が父・大杉漣を写した最後の写真が披露された。これは1月21日に大杉の故郷・徳島で行われた大杉漣BANDのライブ中に、父の背中を写したものだった。

続いて、ゆかりの深い人々によって弔辞が読まれていく。大杉が出演した「緊縛いけにえ」「TATTOO(刺青)あり」「光の雨」などの監督であり、“お兄ちゃん”と慕われていた高橋伴明は、「面白い役者がいる」と噂を聞き、転形劇場の公演を観てすぐさま映画への出演交渉をしたと振り返る。「いつも何かを考え、いつも何かを見せてくれた。演出もアドリブなら演じる君もアドリブだった。楽しかったよな。陰と陽、静と動、善と悪、バカとインテリ。大杉はどちらに振り切っても納得のできる芝居を見せてくれたけど、その中間をぬるっとすり抜けるような部分が役者・大杉漣の味じゃないかと思っている」と語り、「大杉がもういないという事実を受け止めなければいけないという気持ちと、それを信じない気持ちがまだ俺の中で喧嘩してる。君はもう踏ん切りは付いたのか。もしそうなら俺も踏ん切りを付けるよ。君は一生分の仕事をした。いやそれ以上のことをやり切った。俺は大杉漣のキャスティングをあきらめる。最後に楽しい思い出を、そして青春をありがとう」と続けた。

またドラマ「僕」シリーズ3部作など多くの作品で共演してきた草なぎ剛は「そっちの生活はどうですか。漣さんのことだからもう元気にやってるでしょうね」と弔辞を述べる。やりきれなさを感じさせる声色で「本当に多くの顔を持つ漣さんだから、どれが本当の顔なのか聞こうと思ってました」と心中を明かし、「何度も何度も心の中で問いかけるけど、あの低い声で漣さんが笑って、笑顔が残るだけなんです。本当にずるいよ。人の命は儚いですよね」と語りかけた。そして「僕はまだやっぱり漣さんと芝居がしたいです。また漣さんが連れて行ってくれた海で好きな歌を歌いましょうよ。それまでしばらく待っていてください」と締めくくった。

太田省吾の妻であり大杉とは40年以上の付き合いがあった太田美津子さんは、転形劇場時代を回想し「大杉さんと初めて会ったのは、赤坂の木造アパートの1階にあった劇団転形劇場のアトリエだったでしょうか。緊張した騒がしい時代背景の中、新しい演劇を作ろうと集まった若者たちは、みんなひょろりとして長髪にあご髭と、今思うと異様な雰囲気でしたね」と話し始める。そして劇団の拠点だったアトリエ・T2スタジオのことを思い返しながら「アングラ劇団に貸すのを渋る大家さんをみんなで説得し、自分たちの手でスタジオを作り上げましたね。終演後などに、おいしいお料理とお酒、厳しい批評のおしゃべりをどれほど楽しんだことでしょう」と続ける。さらに「大杉さんは役者だけでなく、スタジオの企画・制作、T2マガジンの編集も担当し、大忙しでした。今でも深く心に残るのは、稽古の合間のくつろいだときや、舞台を無事に終えホッとしたとき、メンバーが屈託のない笑顔で笑い合っていたことです。劇団解散後、大杉さんは舞台に映画にテレビにと大活躍でしたが、劇団のメンバーと会うときはいつもあの笑顔でしたね」と思い出を話す。そして語りかけるような口調で「大杉さん今どこにいますか。先に旅立った人に会ったでしょうか。太田(省吾)は大杉さんに会ったらなんと言うでしょうか。驚くでしょうか。黙って涙を流すでしょうか。また会えたね、と喜ぶでしょうか。そちらで懐かしい人々とまた楽しく過ごしてください。また会う日まで、さようなら」と告げた。

続いて「船を降りたら彼女の島」やドラマ「ニコニコ日記」などで共演経験のある木村佳乃、ドラマ「バイプレイヤーズ~もしも名脇役がテレ東朝ドラで無人島生活したら~」のキャスト・田口も哀悼の辞を述べる。田口は「覚めない夢を見ているようです。みんな漣さんが恋しい、そして寂しいです。あなたがいなくなった喪失感は大きくて。あまりにも急に大切な指針をなくしぼうぜんとしています」と噛み締めるように話す。そして大杉が好きだったというフォークシンガー・加川良の「伝道」の歌詞を引用し「『悲しいときには悲しみなさい。気にすることじゃありません。あなたの大事な命に関わることじゃあるまいし』。だからしばらくは漣さんのことを思って素直に悲しみます」と続けた。最後に「俳優、そして人間の先輩として漣さんと同じ時代を生きることができて幸せでした。僕たちは大杉漣の後輩であり続けたことを誇りに思います。本当にありがとうございました。バイプレイヤーズ同志一同」と遠藤憲一光石研松重豊との連名で語った。そしてお別れの会は大杉漣BANDのメンバーによる「出航」「金色のウイスキー」の献奏で幕を閉じた。

囲み取材には椎名桔平生田斗真北村一輝笹野高史泉ピン子加藤茶村上信五関ジャニ∞)、高橋克典が参加。また「変態家族 兄貴の嫁さん」の監督である周防正行も参列した。大杉の訃報を受けて昔のシナリオを引っ張り出したという周防は、初めて助監督として参加した作品、初めて脚本を手がけた作品、監督デビュー作である「変態家族 兄貴の嫁さん」、一般映画デビュー作である「ファンシイダンス」のすべてに大杉が出演していることを明かす。そして「僕の監督人生は大杉さんが『変態家族』に出演してくれなかったらまったく別のものになっていたと思います」とコメントした。

このほかお別れの会には黒沢清瀬々敬久三池崇史塚本晋也SABUといった映画監督や長谷川博己尾野真千子松田龍平村上淳でんでん向井理二階堂ふみ速水もこみち森山良子要潤ユースケ・サンタマリア川島海荷白竜哀川翔八嶋智人安田顕名取裕子品川徹吉田羊渡辺真起子相島一之勝矢岸部一徳大森南朋斎藤工比嘉愛未新木優子國村隼水谷豊吹越満田口浩正柳楽優弥りょう堀部圭亮中村獅童葉山奨之岩松了平岡祐太菅野美穂小池栄子鈴木京香山本耕史稲垣吾郎ダンカン竹原ピストル三宅裕司松村邦洋安藤なつメイプル超合金)、木本武宏TKO)、浜田雅功ダウンタウン)といった著名人らが参列。また大杉と同じ事務所ZACCOに所属する古舘寛治はお別れの会の受付に立っていた。

斎場にはファン用のブースも設置され、ファンは大杉が出演した舞台「象」の公演時に楽屋にかけられていたという暖簾をくぐり献花台へ。そこには大杉が出演した新藤兼人監督作「石内尋常高等小学校 花は散れども」の制作時に作られたというフェイスマスク、「仮面ライダー」シリーズで演じた地獄大使のパネル、レギュラー出演していた「ぐるぐるナインティナイン」の「グルメチキンレース・ゴチになります!」の衣装、大杉の故郷である徳島のサッカーチーム・徳島ヴォルティスのユニフォームなどゆかりの品々が置かれていた。お別れの会には約700人の参列者、そして1000人のファンが参加。最後に、大杉隼平が会場の外からお別れの会を見守っていたファンのもとに駆け付け「ありがとうございます」と静かに頭を下げる場面も。

大杉の戒名は「優月院漣奏球孝信士(ゆうげついんれんそうきゅうこうしんじ)」。「“月”を見て偲びたい」「“漣”は親しんだ芸名」「“球”は愛したサッカー」「“孝”は生まれたときからの名」という思いから、夫人の弘美さんが月、漣、球、孝を希望したという。これに「優しい人柄であり、俳優の“優”を」「表現する・演奏するの“奏”」も加えられた。月の光のように穏やかに輝いていたという意味も込められている。

なお大杉にとって最後の主演映画であり、初のプロデュース作品となった「教誨師(きょうかいし)」は、10月6日から東京・有楽町スバル座ほか全国で順次公開。また昨日4月14日から20日にかけて東京・目黒シネマにて「大杉漣追悼上映:北野武監督作品2本立て」が開催中だ。

※草なぎ剛のなぎは弓へんに前の旧字体、その下に刀。
※古舘寛治の舘は舎に官が正式表記。

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