本作は、日本近代演劇の礎となった3作品を、30代の気鋭の演出家3人が連続で上演する「かさなる視点―日本戯曲の力―」シリーズの第2弾。今回は、上村が安部公房の戯曲「城塞」を演出する。
「城塞」は1962年に初演された戯曲。戦時下のとある家庭の広間で繰り広げられる、「和彦」と呼ばれる男とその父、また彼らを取り巻く人々のやりとりが描かれる。出演は
戯曲に対して上村は「戦後から現代に繋がる日本人の精神を時にグロテスクに、かつ愚かに、そして何よりも“今”に対する鋭い批評眼を持って描くことが、今回の私の重要な役割のように思います」とコメントしている。
上村聡史コメント
太平洋戦争における日本の敗戦は、現代に至るまでの私たちの生活にさまざまな影響を与えてきました。そして戦後の崩壊した風景から、政治、科学、経済の進歩とともに成長したこの国・日本は、衛星カメラでみると電力という名の光が24時間、途絶えることなく燦々と輝いて映る、そんな国にまで成長を遂げました。その国に生きる私たちの生活は充足する満足感に溢れましたが、これからの10年後、100年後を見据えると、なぜか不安に満ちた個人の虚無感と全体の閉塞感が溢れ、混沌とした浮遊感によって現在の生活が形成されているように思います。 全体と個の在り方はますます乖離し、己の為に生きることは、もはや利己の為に生きることへと変換されてしまったような気がします。
昭和37(1962)年に初演された「城塞」は、敗戦から17年後のある富裕層の邸で、男、その父、男の妻、家に仕える従僕、男に雇われた若い女、という不可思議に集った共同体が、敗戦の記憶を持ちながらもそれぞれの立場から利己の主張によって、この共同体のバランスが危うい状況へと変化していく筋立てになるのですが、彼らの抱える特権階級意識、戦争観、愛国精神に対する言及は、どこか危機意識や未来への憧憬を喪失した現在の無自覚な私たちと繋がっているようでもあります。そして登場人物たちはこの危機的状況をある手段を用いて回避しよ うとしますが、それは紛れもなく人間が古代から現代に至るまで行ってきた“夢へと渡る魅惑的な儀式”であり、そのあたりの人間の不変的な感覚と現代の進歩に歩調を合わせながら合理的に生きる感覚が、喜劇的なバランスで表出されていくところにこの戯曲の妙味があるのでしょう。
そのような安部公房が紡いだ劇世界に対し、戦後から現代に繋がる日本人の精神を時にグロテスクに、かつ愚かに、そして何よりも“今”に対する鋭い批評眼を持って描くことが、今回の私の重要な役割のように思います。
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来年4月、新国立劇場で安部公房『城塞』が上演されます。
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