秋元才加

ミュージカルの話をしよう 第11回 [バックナンバー]

秋元才加、“川の流れ”に導かれて出会った舞台とミュージカルの世界(前編)

舞台は人間として、生き物として輝ける場所

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生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。

このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。

第11回に登場するのは、キリリとしたまなざしが印象的な秋元才加。アイドルグループ・AKB48時代、秋元は「強く気高く美しく」をキャッチコピーに活動してきた。以後もテレビや映画に幅広く出演し、昨年にはハリウッドデビューも果たしている。さらに近年、SNSで政治や社会問題についても発信し、社会的弱者に寄り添う姿でも支持を集める。そんな秋元は活動初期から演劇作品やミュージカルに出演し、舞台俳優としてもキャリアを重ねてきた。ストイックに仕事に取り組み、全方向に力を注ぐ秋元はいかにして舞台の世界に出会い、ミュージカルの魅力を今、どのように捉えているのか? 5月下旬、三谷幸喜が手がけるミュージカル「日本の歴史」再演の稽古に取り組んでいた秋元に、取材を実施。コンプレックスだらけだったという子供時代や舞台との出会い、ミュージカルで味わった挫折とそこからの奮起について語ってもらった。

取材・/ 中川朋子

洋楽とごっこ遊びが好きだった子供時代、コンプレックスが芸能界に向かわせた

──秋元さんは2006年に18歳で芸能界デビューしました。子供時代から人前でパフォーマンスをすることが好きだったのですか?

歌ったり踊ったりするのが大好きで注目されたいのに実は恥ずかしがり屋、というひねくれた子供時代でした。幼稚園の頃の発表会で、確か「シンデレラ」だったかな? ヒロイン役に手を挙げたのになれなくて、子ブタ役をやりました。でも当時はすごく自信があって、堂々と演じたのを覚えています(笑)。

──歌やダンスを習ったことはあったのでしょうか。

あまり裕福な家ではなかったので、ありませんでした。でも家ではずっといろいろなジャンルの海外アーティストの曲がかかっていて、マライア・キャリーさんやマイケル・ジャクソンさん、サイモン&ガーファンクルさんとかを聴いていました。親がいないときは、CDプレイヤーで曲をかけて大声で歌って。私の親には変なこだわりがあって、「洋楽は何を聴いてもいいけど、邦楽は美空ひばりさんだけOK」というルールがありました。あの頃は隠れてJ-POPも聴いていましたけど、親には自分たちが考える“本物”に触れてほしいという気持ちがあったのかもしれないですね。

──芸能界を目指したのはなぜなのでしょう。

昔からいろいろな人に成り切ることが好きだったんです。1人遊びが得意で、小学校から下校中はキャラクター設定を決めて「今日は泥棒に追われているつもりで」とか考えながら帰っていました。国語の授業では、そのキャラクターになったつもりで一生懸命音読して。それで小学5年か6年生くらいのとき「歌うのも好きだし、歌ったり演じたりできる仕事をしたい」とぼんやり考え始めて。テレビで「芸能人のお宅拝見!」みたいな番組を観て、豪邸に憧れたのもありますけど(笑)。私は父が日本人、母がフィリピン人のミックスなので、周りの子よりも体が大きかったり、見た目が違ったりしたことで、子供時代はいじめられていました。だけど芸能界なら、人と違うことも個性として肯定されて、コンプレックスだらけの自分ものびのびと生きられるんじゃないかなと思ったんです。

──子供のときに憧れていたスターは?

マイケル・ジャクソンさんです! それに祖母と両親の影響で、美空ひばりさんも大好き。私がAKB48のオーディションを受けようと思った理由は、秋元康先生が「川の流れのように」を作詞していたから。「そんな方ならきっと大丈夫!」と思ったんです。

エンタテインメントの基準はMJ、アイドル活動と舞台の両立に悩む日々

──秋元さんは2006年、高校2年生のときにAKB48のオーディションに合格しました。合格後1カ月でAKB48劇場デビューを果たし、初めてお仕事としてパフォーマンスをしてどのようなお気持ちでしたか?

パニックで全然覚えてない(笑)。でもデビューしたその日に、意識の変化を感じました。人前に立つとはこういうことかと実感したし、ステージの持つ素晴らしさと恐怖の両方を知りましたね。自分には全然技術がありませんでしたが、お金をもらった時点で「これだけのパフォーマンスをお客様にお返しできるか?」という意識が芽生えて。そのときに、昔の何でもなかった自分と決別した感覚になりました。

──初のステージが、明確な転機になったのですね。

唯一、「芸能界に入らなかったときのほうが楽しかったな」と感じることがあって……それは、ライブや観劇に行くと、つい舞台に立つ側の目線でいろいろ考えてしまうことなんです。何を観ても「こういうお客様がいらっしゃるのか」とか「音響こうなってるんだ」とか考えちゃう。私が人生で初めて観たライブは小学5年生のとき、マイケル・ジャクソンの東京ドーム公演でした。思えば何も知らなかったときのあのライブが一番楽しかった(笑)。マイケルのパフォーマンスは、今でも私がエンタテインメントを観る基準になっています。

2018年のミュージカル「ゴースト」より。(写真提供:東宝演劇部)

2018年のミュージカル「ゴースト」より。(写真提供:東宝演劇部)

──2008年には演劇集団アーバンフォレスト「おいしいタイミング」で初めて演劇の初舞台を踏みます。

AKB48のメンバーたちと一緒にゲスト出演しました。忙しくて当時のことはよく覚えていませんが(笑)、自前の衣装を用意するよう言われて驚いた記憶があります。私たちにはAKB48の制服の衣装があるのが当たり前でしたが、そのときに、演劇にも大規模なものから小さなものまでいろいろあると知りましたね。

──2009年にはAKB歌劇団「∞・Infinity」で初めてのミュージカルを経験されました。初のミュージカル出演を通して、ご自身の中で変化はありましたか?

「∞・Infinity」はAKB48の楽曲を集めた作品だったので、いわゆるミュージカルとはちょっと違う感じかもしれませんが、いつもは大人数で分担していた曲を1人で歌ったのを覚えています。観客の多くはAKBファンの方でしたが、AKB歌劇団に興味を持ってくださった舞台ファンの方も観劇してくださって。私はこの作品で「自分にはまだまだ実力がない」「何か技術を身に付けないと、半端な気持ちじゃミュージカルや舞台はできない」と確信しました。あの頃はAKBのライブを日々やりながら、ほかのお仕事もしていて。外部の舞台では舞台1本でやられている方とご一緒しながら、自分はライブのためにお稽古を休むことが頻繁にあって。仕方ないことですが、特に舞台はのどにも負担がかかりますし、「AKBとそれ以外の活動は両立できないかも」と思い始めていました。

舞台は人間として、生き物として輝ける場所

──2013年には「女優を目指していきたい」とAKB48を卒業されました。

卒業のときは「いつか演技のお仕事を中心にできたら」と思っていました。ただ“アイドル”ではなくなったあと、どういう肩書で活動したら良いかわからなくて。実は当時は「“役者”を名乗ってがんばりたい」という気持ちもあったんです。でもアイドルグループを卒業したばかりで“役者”や“俳優”を掲げることにためらいがありましたし、キャリアを積んだうえで、観てくださる方に「この子は役者だね」と思ってもらえて初めて“役者”を名乗れるんじゃないかと考えていました。だけど今は、自分がそう思うならどんな肩書でも名乗ればいいと思っています。

──秋元さんはAKB時代から今に至るまで、翻訳ミュージカルから三谷幸喜さんの作品までさまざまな舞台に出演されています。今後も舞台をやろうと思ったきっかけがあれば教えてください。

私、自分があるようでなくて……秋元康先生にも、「お前は“川の流れ”に沿っていけば、自分に合う道に誰かが導いてくれるはず。だから最初は全部トライしてみろ」と言われたんです。昔は何も知らなかったから「とにかく映像に出たい」と考えていて。でもAKB48劇場のライブに来てくださった舞台関係者の方が、私に舞台のお仕事をくださいました。それでいくつかの舞台に出るうちに、コツコツ鍛錬して作り上げる舞台の良さを知り、「もっとやりたい。舞台が好きだな」と思うようになって。私はAKBでいつも“センター”にいたわけではありませんでした。でも舞台では、端にいる人でも輝いて見える瞬間がある。私はその人の“人間”が全部出るのが舞台だと思っています。だから「舞台で輝いている」と言われるのが一番うれしい。私も人間として、生き物として輝けているのかなって。

「ゴースト」で味わった悔しさが、歌と向き合うきっかけになった

──秋元さんがこれまでに経験されてきたミュージカルで、特に印象に残っている作品はありますか?

パッと浮かぶのは、2013年の「ロックオペラ モーツァルト」。山本耕史くんと中川晃教さんがモーツァルトとサリエリを交互に演じ、私はコンスタンツェ役で、演出はフィリップ・マッキンリーさんでした。耕史くんに「般若みたいな顔で演出家の話を聞いていたよね。その表情で演出家の話を聞く役者、いないよ」と言われたのを覚えています(笑)。AKBの活動が忙しく、あまり稽古に出られないという負い目もあったんでしょうか。慣れない舞台で戸惑っていた部分もあったんだと思います。いろいろなことが目まぐるしくて、ついていくのに必死でした。それから、2018年の「ゴースト」も印象に残っています。私は子供のときから歌が大好きでしたが、人に評価されることを考えて歌っていたわけではありませんでした。だからデビューしてから、人前で歌うことに怖さやコンプレックスを感じるようになった。それで「苦手意識を克服できたら」という思いもあって、「ゴースト」のオーディションを受けました。でも出演が決まってからすごく苦戦したのを覚えています。

──秋元さんが「ゴースト」で演じたモリーが歌う楽曲群は、音域が広くてロングトーンも多く、とても難しそうです。

当時はあまり知識がなく、どこまで歌えるのか自分の限界をわかっていませんでした。「ゴースト」は、オーディションで「歌えます。いけます。練習します!」と言ってたら合格してしまった(笑)。だから決まってからが本当に大変で。ただ、出演のチャンスをくれた方々には本当に感謝しています。私はいろいろなジャンルのお仕事をしていますが、急に“舞台に立てる体”に切り替えることはできません。「ゴースト」をきっかけにボイストレーニングを本格的に始めました。いつでも舞台に立てる心身を、日々の生活から作ろうと思ったんです。「ゴースト」のあとには三谷幸喜さんの「日本の歴史」初演も控えていましたし、そこからは「歌うことに本気で向き合おう!」と決めた1年になりましたね。

2018年のミュージカル「ゴースト」より。(写真提供:東宝演劇部)

2018年のミュージカル「ゴースト」より。(写真提供:東宝演劇部)

前編では芸能界を目指した理由、舞台やミュージカルとの出会い、アイドル活動とほかの仕事を両立させることの葛藤について語ってもらった。後編では「日本の歴史」を中心に、同作の初演の思い出、ミュージカルにおける音楽の魅力、俳優としての今後の目標などを聞く。

プロフィール

1988年、千葉県出身。2013年までAKB48のメンバーとして活動した。多数のバラエティ番組や映像作品で活躍し、映画「山猫は眠らない8 暗殺者の終幕」ではハリウッドデビューを果たす。また舞台出演も続けており、主な出演作に三谷幸喜作・演出の「国民の映画」や、「にんじん」「ゴースト」といったミュージカルがあるほか、“即興ミュージカル”を作る無観客配信公演「あなたと作る~etude The 美4」オンライン演劇「スーパーフラットライフ」などにも参加した。近年ではテレビ東京系の「アイカツプラネット!」に出演。同じくテレビ東京系のドラマparavi「にぶんのいち夫婦」が放送中だ。

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ruka339 @ruka339

「私はコンスタンツェ役で、演出はフィリップ・マッキンリーさんでした。耕史くんに「般若みたいな顔で演出家の話を聞いていたよね。その表情で演出家の話を聞く役者、いないよ」と言われたのを覚えています。」 https://t.co/2eGGsUbkj7

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