生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。
このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。
第1弾には現在32歳、脂の乗ったミュージカル界の正統派スター・
取材・
幼少期は音楽まみれ!
──海宝さんと言えば、ミュージカル「アニー」に出演されていたお姉さんの影響で、この世界に入られたというのは有名なエピソードです。
2歳か3歳くらいの頃から舞台裏で遊んでもらったり、家でも姉とミュージカルごっこをしたりして、自然とミュージカルに触れるような環境にありました。スカートをはかせられて、「アニー」で一番小さいモリーのまねをしたり(笑)。子役事務所に入っていたのですが、僕はその中でも異端で。映像やモデルの仕事が多い中、ミュージカル好きなマネージャーがいろいろなオーディションを受けさせてくれたんです。
──デビュー作となったミュージカル「美女と野獣」のチップ役やミュージカル「ライオンキング」の初代ヤングシンバ役を演じられましたね。高校生の頃にはぐっと舞台出演が減ったようですが、何か理由があったのでしょうか。
高校生くらいの役があまりなかったんですよね。今は若くして十代後半の役を演じる方もいますが、当時はそういう作品自体も少なかったし、ストレートプレイや映像、声の仕事など、そのときにできる仕事を続けていた感じで。特に舞台から離れようと思っていたわけではないんです。
──どんな学生だったんですか?
高校時代は現代音楽部でバンドをやっていて、レミオロメンやBUMP OF CHICKENをカバーしていました。あとはデュオを組んで、文化祭でゆずの曲を歌ったり。勉強は小学校ではまったくしていなかったけど、自然と自分でするようになりました。英語は特に面白いと感じて、スピーチコンテストに出たりしていました。中学時代はエイブラハム・リンカーンの「ゲティスバーグ演説」を覚えてスピーチしたり、高校時代には自分の仕事やエンタテインメントについて先生と一緒に原稿を作ってスピーチしましたね。
──昔から英語に興味があったんですね。
英語で歌いたいという欲がすごく強かったんです。「英語の曲を歌いたい!」と思って、歌詞をカタカナに起こして、聞き直しては書き出してっていうのを1曲、1週間くらいかけて全部訳したり。趣味としてやっていたから、誰に披露するわけでもなく……まあ、周りにもそんな子はいませんでしたね(笑)。
──英語の歌を自ら研究したり、バンドを組んだり、まさに音楽と共に育ったような幼少期ですね。
父親が特に音楽好きだったこともあって、送り迎えをしてくれる車の中でいろいろな曲を聴かせてくれたんです。1960年代から1980年代にかけてのアメリカンポップスや日本のポップス、歌謡曲、オーケストラ、イージーリスニングなど、そこで知識の幅が広がって。もちろんミュージカルの楽曲もずっと聞いていました。いろいろな音楽に触れたことが自分の人格形成に大きな影響を与えていると思いますね。仕事で悩んだときに音楽を聴いて癒やされたり、自分のやりたいことだと再認識できたり。気分転換に映画も観ますが、そこにも音楽はあるし、ジムで走るときもやっぱり音楽は聴いていますし(笑)。
「ミス・サイゴン」では“持ち物”以上のことを要求され、大きな刺激に
──海宝さんは大学受験の時期にミュージカル「ミス・サイゴン」のオーディションにも挑まれ、そこでミュージカルの道へ進む決断をされます。人生の分岐点となる決断だったと思いますが、それが「ミス・サイゴン」以外のミュージカル作品でも受けていましたか?
どうなんでしょうねえ。子供の頃から憧れていたミュージカル「レ・ミゼラブル」だったとしてもそっちを選んでいたと思いますけど、今考えると、特にこの作品に19歳で出会ったというのはタイミングだったと感じます。「ミス・サイゴン」でなければ今は違う場所にいるかもしれないなと。
──「ミス・サイゴン」でなければ得られなかった経験とは。
「ミス・サイゴン」は、現実にあった戦争が題材で、とてもシビアな作品。演じる側も並々ならぬエネルギーや心構えが必要です。そんな作品に十代の終わりに出会って、ある意味、自分の“持ち物”を飛び越えたものを要求されるんですよね。僕はアンサンブルのGI(アメリカ兵)を演じていたんですけど、冒頭での乱痴気騒ぎで女性と絡むシーンには緊張したし、経験したことのないような世界観や場面、演技に向き合うという意味でとても勉強になりました。先輩にも怒られながら、1年という長い期間をかけて作品に臨む、モチベーションを保つ方法や歌・踊りのレッスンなど、学んだことすべてが財産です。実は、自分が出るまで「ミス・サイゴン」を観たことがなくて(笑)。思い入れが強すぎない、未知なる作品に、フィルターなしの状態で飛び込むことができたのも、恵まれていたと思います。
──「ミス・サイゴン」だけでなく、出演者を募るオーディションの情報は、ほかにも目にしていたのでは?と思うのですが。
僕は事務所に入っていたので、自分からオーディションがあるかどうかを調べることはなかったんです。でも、「ミス・サイゴン」は当時、読売新聞の一面にバーンとオーディションの広告が載ったんですよね。家でたまたまそれを目にして、事務所に「受けたい」という話をして。 “運命的な作品”というのはけっこうそうで、ミュージカル「アラジン」のオーディションもニューヨークに「レ・ミゼラブル」の勉強をしに行くときに空港で見つけて、急いで事務所に相談しましたし(笑)。「やりたい!」と思う作品とのいい出会いがありますよね。
──「自分にはそれしかない」という気持ちで進路を決めるのと、いろいろな選択肢がある中から選び取るのでは、“向き合い方”が違ってくると思うのですが、海宝さんはこの世界に入るとき、どちらの気持ちが強かったですか?
ミュージカルというのは、自分にとって特殊なもの。僕はほかの多くの人にない出会い方をしていると思うんですよね。遊びの1つとして始まって、小学生時代からミュージカルが学校よりも身近な存在としてあった。だからあまり具体的にほかの道を考えたことはないんですけど、「ミス・サイゴン」に出たいと思ったときが「この道で行く」ということだったんだと思います。
前編では海宝のミュージカル原体験から人生の岐路となった「ミス・サイゴン」の出会いまでを語ってもらった。後編では自身の音楽活動とミュージカルの関係や「レ・ミゼラブル」のマリウス役、もう一度演じたい役などについてたっぷりと聞く。
プロフィール
1988年、千葉県出身。7歳のときに劇団四季のミュージカル「美女と野獣」チップ役で舞台デビュー。その後、劇団四季「ライオンキング」の初代ヤングシンバ役を務めた。主な出演ミュージカルに「レ・ミゼラブル」「ジャージー・ボーイズ」「アナスタシア」、劇団四季「アラジン」「ライオンキング」「ノートルダムの鐘」など。また自身がボーカルを務めるロックバンド・シアノタイプが2018年にメジャーデビュー。2019年にはソロとしてウォルト・ディズニー・レコードよりデビューを果たす。12月にはセカンドアルバム「Break a leg!」をリリース予定。今後の出演作には、2021年3月にブロードウェイミュージカル「アリージャンス~忠誠~」が、8・9月にミュージカル「王家の紋章」が控える。
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