第1回となる今回は、「まえがき」「(1) ティン・パン・アレイ」「(2)私と東京」と題したパートをお届けする。志磨独特の文才が冴えるこの貴重な文章を、アルバムを聴きながらぜひ読み込んでみてもらいたい。
毛皮のマリーズ 2ndアルバム「ティン・パン・アレイ」全曲解説
まえがき
初冬とは申せ毎日ひどい寒さが続きますが、貴社ますますご健勝のこととお喜び申し上げます。いつも一方ならぬお力添えにあずかり、誠にありがとうございます。
この度、我々毛皮のマリーズの新作『ティン・パン・アレイ』が無事完成と相成りました。つきましては、もはや恒例となりました私志磨遼平によります「アルバム全曲解説」を送らせて頂きます。同封のサンプル盤と合わせてお楽しみ頂けたらこれ幸いであります。
さて、今回我々が、否、私が、と言った方が正しいのかもしれません。私が完成させましたこのアルバムは、通常のロックバンドが発表する新譜、メジャー・デビューを果たし赤丸急上昇中のバンドが満を持して送り出すセカンドアルバムとしては若干異質な作品となりました。この作品を誤解なきよう、ただそのままに楽しんで頂く為に私の筆は10Pもの解説を要してしまいましたあはははは!
であるからして、今回の全曲解説は大小5つのパートから成り立っております。年の瀬近づきお忙しい中、誠に恐縮ではありますが何卒お目通しの程宜しくお願い申し上げます。
(1) ティン・パン・アレイ
『「ロコモーション」 「恋の片道切符」 「ワン・ファイン・デイ」 「ダ・ドゥ・ロン・ロン」 「ラストダンスは私に」 etc… 誰しも一度や二度は耳にした事があるに違いない永遠不滅のオールディーズ・ヒットの数々。50年代後半~60年代のはじめに次々と送り出されたこれらロックンロール時代のポップ・ソングのほとんどは、ニューヨークのブロードウェイの一角に位置する、あるビルに集った若く才能あるソングライター達によって生み出されたものだった。ブリル・ビルディング──そこはまさに、黄金期のアメリカン・ポップスを支えたヒットソング大量製造工場だったのだ』 (「レコード・コレクター」97年5月号/萩原健太氏による記事から引用)
ブロードウェイ1619にあったそのビルには朝から晩まで絶えずレコード会社のプロデューサーが“新しいヒット・ソング”の楽譜を探しに訪れ、また実際に演奏させてみるのです。そこから漏れるすさまじい騒音から、その一角はこう呼ばれる事となります。ブリキのなべを絶えず叩いてるような路地──“ティン・パン・アレイ”と。
ただただ音楽を生むだけに寝起きする、という幸せな日々を得、その為の素晴らしい環境も手にした今の私の新作のレコーディング現場には、様々な名うてのセッション・マンが入れ替わり立ち替わり訪れ、彼らの為に書かれる楽譜が次々と飛び交っていました。
そして、そんな現場から生まれた私の幸福な一枚には、これほどふさわしいタイトルもないように思われました。これが、私が私の新しい作品を『ティン・パン・アレイ』と名付けた理由であります。
(2)私と東京
私が上京したのは2001年5月21日、19歳になったばかりの頃でした。
割と裕福な家庭の一人息子として育ち、世間知らずなお坊ちゃんだった私に初めてのしかかる生活の二文字は、あまりに残酷で味気のないものでした。
人並みはずれた怠惰な性格に鞭打って労働に出、同じく安賃金で働く真っ黒に焼けた男どもの生産性のかけらもない会話に耳をふさぎ、やっと手にしたお給金は電車に乗って帰れば次の日のパン代にも困る、といった有様では当時の私がこの生活の舞台“東京”を憎むのも無理もない事でした。新百合丘、葛西、町田、東武東上線、西武池袋線… 当時を思い起こさせるこれらの単語を私は未だ無条件に嫌います。今となっては可笑しいですが本当に私はこの頃電車やバスの中で一人さめざめ泣いたものでした。生活による強姦、非生産的拘束時間、あぁ!私の人生に圧倒的に要らないもの、私がこの世で最も憎むものよ!
幼い私が東京を許すまで(もしくは東京に許されるまで)にかかった時間は短いものではありませんでした。気付けば私は20代半ばに差しかかっていました。
そして私の東京に対する感情を変えたのは、やはりと言うべきか、とてもとても大きな一つの恋愛でありました。私の魂を捧げた恋愛、 “ビューティフル”そして『Gloomy』以降の私の制作全てに影響を及ぼしている大きな恋愛、彼女が育った街こそ“東京”に他ならないのでした。
彼女と原宿を、表参道を、外苑前を、青山を歩くこと、それは私にとって美しい東京を知ることでした。彼女が私に話して聞かせる記憶や思い出は、全て東京の情景に彩られ、それを私が愛おしく思わないはずはありませんでした。
ある夜、私は彼女と青山から六本木を抜け、夜明けの東京タワーを見に行ったことがあります。薄明るい夏の朝にそびえ立つ巨大な東京タワーは、その日から私の愛すべき生活のシンボルとなりました。
岡崎京子のマンガや(あの)90年代に渋谷/下北沢から発信された音楽にみた憧れの街。私の生活の舞台はいまや「東京」ではなく、私の中によみがえった「トーキョー」に代わっていたのです。
そして彼女も去った今… ってなんの話だよ!!
…いや、まぁ実際彼女も去り。私は私でいくつもの夢を叶え。気付けば周りには愛すべき人達が増え、今日も私は東京の街に暮らしています。
多くの人が自ら選んで移り住んだ街。暮らす為だけに設計された街。昼も夜も目的と生産に溢れ、眠らない街。「愛と資本主義」の街。
彼女を育んだ街、彼女が愛する街、世界で最も美しい街、そして私が私になった街。
はじめて彼女から離れた私に溢れた音楽は、失った恋の追憶ではなく、舞台となった街へのテエマでした。
東京に暮らす全ての恋人たちへのBGM、そして私を生んだこの街に似合うのは、清潔で、何にも屈せず、厳かに鳴る美しいメロディであるべきです。
※明日1月20日に全曲解説・第2部「(3)全曲解説」を掲載します。
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