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細野ゼミ 7コマ目 [バックナンバー]

スライ・ストーン追悼企画

細野晴臣、スライ・ストーンを語る

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誰も真似ができないスライの曲作り

──細野さんがここまで“ファン”な感じでお話しされるのも珍しい気がします。

細野 まず、“ミュージシャン”という意味で好きになったから。自分がベーシストの頃にね。やっぱりスライの曲作りというのは誰も真似ができない。特に日本人は。

ハマ 先ほど話に出た「Running Away」とか、本当に独特な曲ですよね。なんでしょうね、あの不思議な感じ。コーラスワークもホーンアレンジも面白いし、あとは間奏の複雑なベースライン。近年で言われるミニマルファンクみたいなものの源流なのかもしれませんね。ジェームス・ブラウンとか、あの手のものとはワケが違うファンク……というか、“ファンキーな音楽”。

細野 スライはダンスミュージックから逸脱しちゃってるんだね……全部いいんだよ。

──スライがバンドとしての全盛期だった1970年代あたりは、日本ではどういう評価だったんですか?

細野 どうだったんだろうな。僕の周りのミュージシャンはみんな影響されていたけどね。僕はベーシストとしてチャック・レイニーを追いかけていたけど、全然違う音楽スタイルだから「これは勉強しないとできないな」とは思った。チャック・レイニーからも影響を受けたけど、まったく違うジャンルとしてスライが好きだったよ。そういえば、僕の孫もベースを弾いてるけど、チャック・レイニーにベースを教わったと言っていたよ。ベース教室みたいなものに行って、一緒に写真を撮ってた(笑)。

ハマ チャック・レイニー、来日したときにベースクリニックをやっているんですよね。

──ここまでゼミを通してチャック・レイニーの名前が挙がっていますから、このゼミにもお呼びしたいですね。

細野 緊張しちゃうよ(笑)。

安部 あははは。

ハマ 細野さんが一番キッズになりそう(笑)。スライの話に戻ると、ちょっと余談なんですけど、僕は学生の頃テクニカルなものやエキサイティングなものが好きだったので、バラードとかミドルテンポの曲のよさがイマイチわからなかったんですね。でも「Fresh」の「Que Sera, Sera」のカバーを聴いたとき、「あ、バラードってこういうふうに聴けばいいんだ」って思えたんです。初めてあの手の曲を聴いて感動したんですよ。そういう原体験があるから「Fresh」が好きなんですよね。

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細野 「Que Sera, Sera」のカバー、いいよねえ。あのカバーは誰も思いつかなかった。

安部 ここまでみんな大盛り上がりしてますけど……僕、1個も頭の中で音が鳴ってないんですよ。

一同 (笑)。

安部 だから、今日帰りに聴くのが楽しみです。

ハマ  「Que Sera, Sera」を聴いたら泣いちゃうかもよ。

安部 「Fresh」ね、聴いてみます。

ハマ でも、「Fresh」までの作品はどれも素晴らしいですよね。いい曲ばかり。

僕にとっての20世紀の音楽の締めくくりが、スライとブライアン・ウィルソンの死だった

細野 それにしても、スライとブライアン・ウィルソンが同じ年に亡くなったのは僕にとって大きな意味があるな。20世紀の音楽がどんどん消えていくというか、現役の音楽家がどんどんいなくなっているというか。ドクター・ジョンや、ニューオーリンズ音楽の礎を築いたデイヴ・バーソロミューが2019年に亡くなったとき、僕の中でのニューオーリンズ音楽は終わったと思ったんだ。そして今年になってスライとブライアン・ウィルソンの訃報が届いて、「これからは20世紀の音楽を懐かしんで聴くしかないな」と思った。僕にとっての20世紀の音楽の締めくくりが、スライとブライアン・ウィルソンの死だったね。

ハマ 2人の訃報が続いたというのも、ちょっと感じさせるものがありますよね。

安部 確かに、そうだよね。

細野 そうなんだよ。しかも同い年でしょ。あれほど影響力と才能を持ってる人、見当たらなくなってきたよね。

──先日オジー・オズボーンも亡くなって……とまた訃報を持ち出すと締め方が難しいですけど、そろそろお時間です。前回のブライアン・ウィルソンの回に比べると、今回は“スライの思い出”を語り合うような回になりましたが、楽しく話を伺うことができました。

ハマ でも、こうして素晴らしい音楽をみんなで語り合って紹介して、次の世代に伝達していくことしか、もはやできない感じもするので。山下達郎さんも「サンデー・ソングブック」のブライアン・ウィルソン追悼回では、おしゃべりするよりも曲をかけ続けていたらしいんです。そうやって残したり広めたりするしかないよな、と思いつつ。

──達郎さんは、The Beach BoysのCDのライナーノーツを執筆されていたほどの初期からのフリークですからね。

細野 彼は特に感慨深いだろうね。

ハマ そして物悲しく終わるのが嫌だとかではないんですけど、前回と今回のトピックの中で細野さんがブライアン・ウィルソンにインタビューをしに行ったというのは、僕の中で最高のエピソードでした(笑)。

安部 驚いたよね、「会ってたんだ」って(笑)。

プロフィール

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2023年5月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」が発売50周年を迎え、アナログ盤が再発された。2024年より活動55周年プロジェクトを展開中。2025年6月に2ndソロアルバム「トロピカル・ダンディー」のアナログ盤が再発された。

安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカリスト兼ギタリスト。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、アジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2024年11月に2ndソロアルバム「Hotel New Yuma」をリリースし、初の北米ツアーを行った。never young beachとしては2025年12月8日に初の東京・日本武道館公演を行う。

ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。2025年2月に10枚目のアルバム「4EVER」をリリースした。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

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読者の反応

清義明 @masterlow

この細野晴臣の対談でが言われてるBlue noteのスライストーンのライブ、東京国際フォーラムのだべ?

俺、いましたよ!

1時間近く本人出てこなくて、やっと出てきたら1曲だけボソボソ歌って?帰っちゃったやつ。

でもみな生きてる爺さん見れただけでありがとう感謝モード https://t.co/hfMOGrHbnC

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