終わりなき日常の街・渋谷から生まれた「透明少女」
──デビューするにあたって出した条件は? こういうことをしたいとか、したくないとか。
したくないことはハッキリ言ったんだけど、当時の私はレコード会社と駆け引きをするようなテクニックを持ち合わせてないからね。ただ、メジャーっぽくしたくないという気持ちはすごくあってですね。そればっかり言ってましたね。自分たちのやりたいことを自然体でやりたいっていうことかな。やらされている感じが少しでもあると拒否反応を起していましたよね。
──そこは大事ですよね。
まあ、そうやって東京での生活が始まったわけやね。そしたらある日、EMIの部長だった子安(次郎)さんという方から、話したいことがあると連絡が入った。みんなで会議室に集まって、デビューにあたってのレクチャーを受けたね。子安さんが作った手書きのパンフレットみたいなのを渡されて。そこには「EMIへようこそ!」って書いてあった。コピー用紙で全部手書きよ(笑)。「EMIへようこそ! 君たちはこれからデビューするにあたって十分にその才能を発揮して我らと一緒に新しい音楽を作り上げよう」みたいなことが書いてあった。あとCDが世に出るまでの仕組みとか、CDが発売されたらミュージシャンがどのように収益を得るかとかの仕組みを教えてくれた。「音楽出版社とは」「著作権とは」とかね。お金の配分も、わかりやすく円グラフで書いてあった。最初にそういう説明があったね。
──面白いですね。デビュー講義みたいな。
社風というより、子安部長がそういう方だったんだと思う。非常に真摯にバンドのことを考えてくれた。そして全然偉そうじゃない。これも大きかった。
──だからこそ、ほかのレーベルとの天秤とかもなく、デビューまでスムーズに話が進んだんですね。
相当スムーズでしたね。スムーズというか、その道筋しかなかったんでしょうね。よくある、レコードレーベルが多数押しかけてきてこっちが選ぶみたいなさ。そういうこともなかったし。本当に偶然の出会いですよね。
──出会いの筋がよかったと。
すべては加茂さんが
NUMBER GIRL「透明少女」MUSIC VIDEO
宇多田ヒカルの大ヒットから受けた意外な恩恵
──博多では「透明少女」は生まれなかった?
確か、渋谷のO-EAST(現Spotify O-EAST)だったと思うんやけど、スーパーカーとイベントで一緒になった日をすごく覚えている(1998年6月28日)。渋谷に対してもこっちはいろいろな思いがありましてですね。どどめ色がかったピンクの街みたいな印象だった。新宿は我々にとってわかりやすい街なんです。博多の中州に雰囲気が似てるから取っつきやすい。でも渋谷という街は独特やった。90年代の現代日本を象徴する終わりなき日常を生きている少女たちがたむろしている街っちゅうかね。そういうイメージがすごくあったし、当時私はそういう少女たちの歌を作っていたから。そして渋谷には実際そういう少女たちがたくさんいたんだな。終わりなき日常を生きている少女たちが。制服を着た少女がライブに来て「NUMBER GIRL、よかったです!」とか言ってくれるわけよ。それまたウヒョー!となってですね。夢の中に生きているような感じだったのを今思い出した。そういう渋谷の街の風景にインスパイアされたんだね。本当にわかりやすい。
──名曲が生まれた瞬間の話。ゾクゾクします。
「透明少女」ができて、これをデビューシングルにしたいということで意見が一致した。それで東芝EMIのスタジオでレコーディングしたんですけど、音が全然ダメだったんですよ。「これダメ。メジャーっぽい」って私ははっきり言いました。EMIの人たちは「えー!」ってなったんだよね。メジャー第1弾のシングルで、こんなプロフェッショナルなレコーディングスタジオで、エンジニアが付いて、いい音で録音して何がダメなの?って。ただ、私にはあの音が本当に薄っぺらく感じてですね。それで「福岡で録り直す」って言ったんです。「SCOOL GIRL BYE BYE」をレコーディングしたスタジオで、同じプロダクションで、同じやり方。8トラックのMTRでね。そして、車に乗って福岡に戻って録るわけだ。そのやり方でデビューシングルを録音して、それがデビューアルバム(「 SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT」 / 1999年7月リリース)にもつながるわけですよ。
──まさにそこにメジャーっぽさに対する抗いがあった。
EMIスタジオの音はすっきりしすぎていた。音の分離がよすぎるといいましょうか。薄いなと思った。もっと渾然一体となった音像を求めていたんだね。まあ、それしか知らないから。ライブハウスやリハスタで鳴らしているときって音がグチャグチャですからね。そっちのほうがリアリティを感じるわけですよ。すっきりさせて聴きやすくすればいいだろうというものに対して、我々は「いやこれは足らない」と。空気を全部音で埋め尽くすようなあのドキュメント感、あの混乱状態のロックサウンドをドキュメントしたいと思った。メジャーのプロダクションじゃ無理だと思ったわけよ。そして、それを了承したわけですよ、当時のEMIは。
──加茂さんが決断した?
子安部長も含めて全員が。なぜ了承したかっていうと「Automatic」予算があったから。
──あ、宇多田ヒカルの特大ヒットの。
そう。東芝EMIに余裕があった。その恩恵でね。普通に考えたら、そんなこと許されるわけないんですよ。なんの実績もない福岡のローカルバンドがリハスタで録らせてくれって。「メジャーの言いなりになってなるものか!」という反抗期みたいなことではなく、単純に音を録ってみてスカスカだなって思ったわけですよ。絶対に俺が福岡で録ったほうが生々しくなると思ったし、結果的にそうしたことで今がある。宇多田さんには本当に感謝してます(笑)。
ワンカップを空けながら「さて、どうなるものか」
──今思い出したんですけど、このあたりのタイミングで僕のほうから向井さんにコンタクトを取りましたよね。「リズム&ペンシル」に、ジョナサン・リッチマンにPAとして接したときのことを書いてほしいと依頼して、快諾してくれました。もうデビューは決まっていて、渋谷のO-West(現Spotify O-WEST)で何バンドか出るショーケースライブがあるので、そこに来てくださいという連絡がEMIの人から来た記憶があります。そのライブで紙資料を渡されたんですけど、それが向井さんの手描きマンガだったんですよ。ありがちなインフォメーションとはまったく違ってた。
レコードレーベルの方法論として、デビューするにあたって当時、紙資料というものがあったんですね。紙資料はプロモーションツールです。プロフィールやパーソナルデータが書いてあって、実績みたいなやつが年表であってみたいな。EMIからこういう資料を作りますって言われたんだけど、「つまらんばい! 俺が作る! 全部マンガにする!」って言いました(笑)。表紙から何から全部イラストにしましたね。こっちの個性をアピールするには、レコード会社主導のよくあるテキストでやっても伝わらないなと思ったんですよね。だとしたら結成ヒストリーも含めてマンガにしてやるみたいな。
──高校時代にTelevisionを聴いて雷に打たれたような衝撃を受けるとか、そういうコマがあったと思います。
そして、マンガを描き終わったら最後に、東京にやって来てこれからメジャーで活動することになった気持ちの表名文みたいなものを書いたんですよ。それを最初のプロモーション資料にしたんですね。
──それを手書きでやったのは子安部長の資料が手書きだったことも影響してるかもしれないですね。
そうかもしれない。というか、それを見るのは販売店の人や音楽ライターの人だけど、どうしてでも伝えたいという気持ちが大きかったんだね。
──僕は98年の時点ではまだ音楽ライターじゃなかったんですよ。たまたま向井さんと知り合って、一晩飲んで、アルバムが出たから原稿を依頼したら、EMIからデビューすると聞かされて。そのライブを観に行くことがなければあのマンガは見られなかった。今考えるとそれも不思議な縁だと思いますね。僕自身もライターとしてデビュー前だった当時のいろんなことを今日話してて思い出しました。
私は98年の9月に東京に移り住んだんですが、最初の夜のことは今でも鮮明に覚えていますよ。終わりなき日常の街・渋谷に住もうと思ったから、渋谷に近い代々木八幡の商店街の中にある、当時で築40年の鉄筋アパート風呂なし月額5万円の部屋に移り住んだ。部屋には布団袋しかないんです。ほかには何もない。畳の部屋で、まだほどいてない布団袋を前に、ワンカップの酒を飲んだ。窓を開けると、秋口のちょっとひんやりした空気が漂ってくるわけよ。ワンカップを空けながら「さて、どうなるものか」ということを思ったね。
向井秀徳(ムカイシュウトク)
1973年生まれ、佐賀県出身。1995年、NUMBER GIRL結成。99年、「透明少女」でメジャーデビューを果たす。2002年のNUMBER GIRL解散後、
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- 松永良平
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1968年、熊本県生まれの音楽ライター。大学時代よりレコード店に勤務し、大学卒業後、友人たちと立ち上げた音楽雑誌「リズム&ペンシル」がきっかけで執筆活動を開始。現在もレコード店勤務の傍ら、雑誌 / Webを中心に執筆活動を行っている。著書に「20世紀グレーテスト・ヒッツ」(音楽出版社)、「僕の平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック」(晶文社)がある。
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