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細野ゼミ 10コマ目(中編) [バックナンバー]

細野晴臣とテクノ

YMOブーム期に細野晴臣は何を考えていたのか? ワールドツアー、テクノカット……さまざまなトピックを交えながら聞く

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YMOワールドツアーの裏話

──“現象”と言えるほどブレイクしたYMOですが、そもそもユニットを始める際は、所属レーベルだったアルファレコードとの話し合いなどもあったと思います。

細野 そうだね。アルファレコードを創設した村井(邦彦)さんは、アメリカのショービジネスに強い憧れがあったんで、アメリカ的なビジネスをやることに野心を持っていたんだよね。のちにアルファアメリカを作るんだけど、僕はそのときに呼ばれて、プロデューサー契約をしたんだよ。英語で「I can do anything for you」って言われて、「なんだ?」と思った(笑)。プロデューサー契約なんて当時の日本にないから。そのとき“アドバンス”って言葉も初めて聴いたよ。「アドバンス払うから」って言われて……「ああ、前払いか」って(笑)。

安部 細野さんには野心はあったんですか? 「海外でいっぱいライブしたい」とか。

細野 ないない。レコーディングのことしか気にしてなかったよ。でもYMOの1枚目を作ってる頃、紀伊國屋ホールでやった「フュージョン・フェスティバル」っていうイベントに出たんだ。それがYMO最初の舞台で、そのときはフュージョンバンドのフリをして出た(笑)。それをトミー・リピューマが見ていて、僕らに興味を示したんだよ。

──トミー・リピューマはアメリカの名プロデューサーで、ジョージ・ベンソンをヒットさせたことで特に有名です。YMOを世界に広めたことでも知られています。

細野 トミー・リピューマは、A&Mレーベル(アメリカの音楽レーベル)の傘下で、ホライズンっていうレーベルを始めたばかりだった。ドクター・ジョンとかが移籍したりしてきて、ヘンテコリンなレーベルだった。で、それまでA&Mレーベルは日本ではキングレコードと契約していたんだけど、YMOの1作目を作っているときに、A&Mがアルファに移ったってニュースを知ったんだ。そういう経緯があって、「1枚目はA&Mから出すことになるんだろうな」ってなんとなくわかっちゃったわけ。その後は1カ月、2カ月単位でいろいろ話が展開していって、川添象郎(音楽プロデューサー)さんって人が入ってきてツアーを計画して、あれよあれよという間にワールドツアーに出ちゃった。だから、ワールドツアーは村井さんの考えなんだよね。

ハマ 周りのスタッフ陣にとっても、ビッグプロジェクトだったという。

──細野さんが幸宏さん、坂本さんにYMOの構想を伝えるときは、海外でツアーを行うことも想定されていたんですか?

細野 レコーディングだけしか考えてなかった。でも、そんなに日本では受けないけど、音楽好きや“モノ好き”が、1つの国につき数パーセント、数万人はいるだろう、と。そういう人たちを相手にしようよって始めたんだよね。ビジネスよりも、“音楽好き”のほうが勝っていたから。ただ、「いい音楽はちゃんと届くだろう」という信念はあった。っていうのは、小学校、中学校、高校とヒットチャートを聴いて育ってきたから。ヒットチャートはみんないい曲だったからね。今と違うんだよ、それが(笑)。

ハマ いい曲がちゃんとヒットチャートに入っている。

細野 そうなんだよ。当時は、チャートに入っていない曲を聴くとつまんないんだよ、やっぱり。だからいい音楽を作りたいっていう野心はあったんだよね。それが売れるかどうかはわからないけれど。

──細野さんの音楽家としての野心と、周囲のビジネスマン的な野心が合わさって、YMOという大きなムーブメントが生まれたんでしょうね。

細野 そう。アルファレコード自体はユーミン(荒井由実)が大ヒットしていたこともあって、順調だったわけだよ。それもあってか、僕らがツアーをやるときも、“Aクラス”のツアーを組んでくれてね。誰も僕らのことを知らないのに。だからやるたびに物議を醸していたわけ(笑)。

ハマ 「なんだったんだあれは」っていう(笑)。

細野 一番素直に受けたのはイギリスだったな。現地の人たちは、ああいう音に慣れていたのかな。

細野晴臣は音楽が好きすぎる

安部 ハマくんは音楽をやっていて、野心とかない? 「あんなところでライブができたらいいな」とか、勝手に景色を想像してさ。「好きで作ってるだけで、周りは関係ねえ」って状態になりたいとか。

ハマ 俺はあんまりない。「武道館で絶対やる」とか「海外に絶対行く」とかもないね。もちろん人によるんだろうけど。

安部 細野さんの話を聞いていて、本当に天才だなと思って……“天才”なんて言いたくはなかったですけど(笑)、天才なんだなって。深く自分を見つめて、社会とはまったく関係なく自分の好きなことを突き詰めて、そうしているうちに、何かの運命で、違うところからYMOを海外のビジネスにしたいという人が出てきたりして。でも今は「◯◯に行きたい」とか、自分で明確に意思を表現しないと実現しない世界なのかな。意思表示をしないと、誰も組んでくれないというか。

細野 運命というか、あの頃は世の中に勢いがあったんだよ。日本自体に。戦後のピークの時代だったからね。バブル以降、全部崩壊しちゃった。今なんて、その崩壊のあとの、“1ドル140円”の世界だよ(笑)。

安部 でも、“時代が違う”ってことに甘えてはいけないというか。これだけいろんなことに出会える社会でもあるけれど、“自分のことを掘る”ってことをちゃんとやらないといけないなって。細野さん、はっぴいえんどとかがどんどん再評価されたときもそうだし、YMOで世界ツアー行ったときとかも、天狗じゃないですけど、「俺すごいのかも」って思った時期とかないんですか?

細野 なんかね、自信がないんだよね。いつも。

安部 はああ……(笑)。

ハマ それがこのゼミの中でも細野さんからすごく出てくるワードだよね。僕らが細野さんの好きなポイントでしかないんですけど。

細野 だって自分と音楽の関係って、本当に“ただ好きすぎる”ってだけで、続けている根拠がそれしかない。それしか拠りどころがないからそう言うしかない。好きだってことだけは誰にも負けないつもりだよ(笑)。

ハマ ホント、そういうことなんですよね。前、あっこゴリラが細野さんに「細野さんもギャルなんですね!」って言ってた(笑)。細野さんのことを“ギャル”って言ったのはたぶんあの人しかいないんだけど、「音楽が好きすぎる」って、言葉を言い換えるとそういうことだなって。

──なんだか最終回のような雰囲気になってしまいましたが(笑)……まだテクノミュージック編の途中です。次回はサウンドにフォーカスした内容に軌道修正しながら、ダンスミュージックとしての“テクノ”について触れていきたいと思います。

<近日公開の後編に続く>

細野晴臣

1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。9月にオリジナルアルバム全3作品をまとめたコンプリートパッケージ「"audio sponge" "tronika" "LOOPHOLE"」を発表した。

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安部勇磨

1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカル&ギター。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表した。2022年9月21日にnever young beachとしてニューシングル「こころのままに」を配信リリースする。

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ハマ・オカモト

1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2021年9月29日にニューアルバム「KNO WHERE」をリリース。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。

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