The Monochrome Setのネオアコに目覚めるきっかけになった「Jacob's Ladder」のアナログ12inchシングルを手にするカジヒデキ。

渋谷系を掘り下げる Vol.4 [バックナンバー]

カジヒデキが語る“僕が渋谷のレコ屋店員だった頃”

「レコードショップを中心とした口コミからブームが生まれた」

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“レコード=おしゃれ”という概念

90年代前半と言えば、マッドチェスター、アシッドジャズ、ジャズグルーヴ、ブリットポップなど海外で新たな潮流が続々と巻き起こっていた時代だ。日本ではフリッパーズ・ギターの解散後に、小山田圭吾Corneliusとしての活動を、小沢健二がソロ活動を開始し、ORIGINAL LOVEやピチカート・ファイヴもヒットを生むなど、渋谷系と呼ばれるアーティストが音楽シーンに爪痕を残し始めたタイミング。彼らがメジャーシーンで幅広い層から支持されるようになった頃から、渋谷系周辺のカルチャーが注目されるようになる。そしてこの時期、80年代後半から本格化したクラブカルチャーの盛り上がりとも相まって、アナログレコードが再び脚光を浴びることとなったのだ。

カジヒデキ

カジヒデキ

「すごく覚えてるのは、91年の年末にフリッパーズ・ギターの3枚のアルバムがアナログ化されたとき。限定リリースということもあって一瞬で売り切れました。あの時期を境にレコードブームが爆発した印象があります。中でも印象的だったのが、女の子たちがレコードを買うようになったこと。それは明らかにフリッパーズの影響ですね」

CD全盛の時代で、もはやレコードは過去のものとされていた90年代初頭、“レコード=おしゃれ”という概念が生まれ、10~20代の女子が輸入レコードを買うという現象が起きたのだ。

「フリッパーズがいろんな雑誌の連載でインディギターポップやネオアコを紹介したり、雑誌『Olive』に頻繁に登場したりしていたことも大きかったと思います。2人が紹介するレコードはジャケットもかわいいし、音楽的にも洗練されている。それをきっかけに女の子たちがレコードを買うようになり、レコ屋ブームみたいなものが訪れた印象があります。当時すごく売れたのはWould-Be-Goodsのアルバム。フリッパーズやカヒミ・カリィさんが推していたel Records(※1つ目の「e」はアキュートアクセント付きが正式表記)のレコードが売れましたね。あとはフランス・ギャルのベスト盤もロングセラーでした」

ZESTの定番だったWould-Be-Goods「The Camera Loves Me」とBad Dream Fancy Dres「Choirboys Gas」のアナログ盤。

ZESTの定番だったWould-Be-Goods「The Camera Loves Me」とBad Dream Fancy Dres「Choirboys Gas」のアナログ盤。

女子だけでなく、レコードは音楽に飢える男子の心もしっかりとつかんだ。コレクター目線の嗜好品ではなく、まだ誰も知らない音楽をいち早く聴くための必須アイテムとして、レコードは当時のマニアックな音楽ファンにとって喉から手が出るほど欲しいものだったのだ。輸入盤は入荷枚数が限られており、さらに新しいインディ系のバンドは、CDリリースされず7inchや12inchアナログでしか聴くことのできない音源も多かった。

「ブリットポップが流行ったときもすごかったです。特にBlurの『Girls & Boys』の12inchシングルは、たくさん売った記憶がありますね。それがほかのお店に全然入らなくて、入荷すると100枚くらいが瞬時に売り切れました。でも数回『ポスターが入ってない!』って、お客さんからクレームが来たのを覚えています(笑)」

Blur「Girls & Boys」12inchシングルと付属のポスター。

Blur「Girls & Boys」12inchシングルと付属のポスター。

空前のレコードブーム到来

気が付けば、マンションの一室で営業していたZESTは満員のお客さんでごった返す日々。カジ曰く「お客さんが押し寄せて、92年ぐらいは、夕方になると毎日店内が満員電車みたいな状態(笑)」となった。

ZESTの品ぞろえに触れると、ネオアコ、インディポップ、ニューウェイヴ、パンク、ガレージ、ロカビリーのLP、12inchシングル、7inchシングル。CDも置いていたが、主軸は完全にレコード。新譜だけでなく、イギリスで買い付けた中古盤の取り扱いもあった。結果、ベレー帽の女子とパンクスが背中合わせでレコードを探すという、それまでにないような光景も見られた。当時のZESTには時期は前後しつつ、カジのほかにも、前述の仲、神田朋樹(Favourite Marine)、松田“CHABE”岳二(CUBISMO GRAFICO)といった渋谷系カルチャーの重要人物たちが勤務していた。ノアビル時代は狭い店だったので、店番は基本1人、商品の入荷時など忙しいときは2人での業務だった。

カジヒデキの直筆によるZEST(旧店舗)の見取り図。

カジヒデキの直筆によるZEST(旧店舗)の見取り図。

「ZESTはレコードを10枚ぐらい面出しできるようになっていて、入荷のタイミングでラインナップを変えるんですけど、新譜を全部買っていく人がけっこういました。あとZESTのレコード袋も人気だったんですよ。デザインがすごく凝っていて。そういう意味では社長がセンスがある人だったというのはすごくあります」

ZESTでは、日本の音楽はほとんど取り扱いがなかった。例外的に置かれていたのは、瀧見憲司のCrue-L Recordsや仲真史のESCALATOR RECORDSといった元ZEST店員が立ち上げたレーベル、小山田圭吾が主宰していたトラットリアからの作品やピチカート・ファイヴが出すアナログ盤など、簡単に言うと店にゆかりのあるレーベルやアーティストの作品以外、ラインナップはほぼ洋楽だった。

カジヒデキ

カジヒデキ

「身近な人たちがインディペントレーベルを立ち上げたのは、僕らの周りのシーンが大きくなる起爆剤の1つになりました」とカジは語る。90年代は自分たちでDIY的に何かを始めるような機運が高まっていた時期でもあった。Crue-LやESCALATORなどのインディレーベルと同時期に、雑誌に目を移すと「Barfout!」や「米国音楽」「クッキーシーン」といったインディマガジンが続々と創刊された。

「パンクに通じるDIY精神ですよね。それをレーベルを通じて体現していたのが、瀧見さんや仲くんだったんだと思います。高校生の頃にバンドブームが起こって、パンクバンドがみんなメジャーに行っちゃって、僕らは『パンクなのに全然DIYじゃないじゃん!』って思ったんです(笑)。だから瀧見さんがCrue-Lを始めたときのDIY的な姿勢はすごく革新的でした。『本来のインディはこうじゃないの?』って瀧見さんや仲くんはわかっていたんだと思います」

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スウェディッシュブームの発端

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吉田光雄 @WORLDJAPAN

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