市川猿翁が不整脈により83歳で死去、市川中車・市川團子がコメント

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市川猿翁が、9月13日6:55に不整脈により死去した。83歳だった。

市川猿翁(c)松竹

市川猿翁(c)松竹

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猿翁は1939年12月9日、三代目市川段四郎の長男として東京都に生まれた。1947年に「二人三番叟」の附千歳で三代目市川團子を名乗り初舞台。1963年に「吉野山」の忠信、「黒塚」の鬼女などで三代目市川猿之助、2012年の「口上」と「楼門五三桐」の真柴久吉で二代目市川猿翁を襲名した。

1968年の「義経千本桜 川連法眼館」で狐忠信の宙乗りに挑み話題を呼んで以降、数々の作品に宙乗りを取り入れ、5000回を超える宙乗りの記録がギネスブックに登録されている。また「ヤマトタケル」「オグリ」「新・三国志」といったスーパー歌舞伎を作り上げたほか、海外での歌舞伎公演やオペラの演出も手がけた。1994年に外務大臣表彰、2000年に紫綬褒章を受け、2010年には文化功労者に選ばれている。最後の舞台は2013年12月に京都・南座で行われた「襲名披露口上」だった。

市川中車(c)松竹

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訃報を受け、猿翁の長男である市川中車は「長く険しく、それでも『夢』に邁進した歌舞伎俳優人生でした。一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました」とコメント。

市川團子(c)松竹

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猿翁の孫である市川團子は「私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。この先は、祖父が大切にしていた『天翔ける心』『夢見る力』を忘れずに、精進して参りたいと思います」と語った。

葬儀は親族葬にて執り行われ、後日お別れの会が催される。

市川中車コメント

9月13日、父、二代目市川猿翁が天命を全う致しました。

長く険しく、それでも「夢」に邁進した歌舞伎俳優人生でした。

一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。

多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。

皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました。

心より厚く御礼申し上げます。

市川團子コメント

私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。

まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。

この先は、祖父が大切にしていた「天翔ける心」「夢見る力」を忘れずに、精進して参りたいと思います。

今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

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読者の反応

流水りんこ🏳️‍🌈 @RinkoWaters

亡くなられてしまった。大学生の頃この方の小鍛冶も千本桜も知盛もみんな観た。三階の千円席で猿之助さん(当時)が宙乗りでぐんぐんこっちへ来るのを観るのが好きだった。宙乗りの後(続↓)市川猿翁が不整脈により83歳で死去、市川中車・市川團子がコメント(コメントあり) https://t.co/KAKsU8qtvf

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