辞典とは、言葉や漢字を集め、一定の順序に並べ、その読み方・意味・語源・用例などを解説した書(「広辞苑」より)。1960年代に小劇場と呼ばれる演劇シーンが立ち上がってから約半世紀超、小劇場を愛する演劇人や観客たちが独自の文化を形成してきた。「東葛スポーツ・金山寿甲の小劇場用語裏辞典」では、小劇場で使用されるさまざまな演劇用語を、岸田國士戯曲賞受賞作家の
まえがき
演劇には演劇用語がある。医学には医学用語があり、数学には数学用語があり、哲学には哲学用語があるのと同様である。そして、医学を怪しむためには医学用語を、数学をせんさくするためには数学用語を、哲学をもてあそぶためには哲学用語を知っておいた方がいいように、演劇とおつきあいするためには演劇用語を知っておいた方がいい。
……というまえがきから始まるのは2003年に出版された別役実著「うらよみ演劇用語辞典」です。小劇場には小劇場用語があります。小劇場とおつきあいするためには小劇場用語を知っておいた方がいいですし、知っておいていただくことで望まないおつきあいをしなくても済むのかと思います。
索引「初日 / 千秋楽 / 全ステ」
・初日
1回きりの上演でない以上、公演には必ず“初日”というものが存在します。稽古場では常設のセットを建て込み、劇場入り後も仕込みの日数を十分に確保し、準備万端で臨む商業演劇に比べ、ゲネプロもろくにできないまま半ばぶっつけ状態で幕が開く小劇場演劇とでは初日に漂う緊張感が違います。ずっとマイムで稽古してきて、本番になってはじめて実物を手にする小道具。稽古で「ここに映像入りまーす」としか説明されてこなかった、未だ目にしていない映像。何かしらの都合上(落ち度)で開演10分前に急遽追加される台詞。そのとき、俳優の緊張感が最高潮に達します。そのシビレ感を楽しみたいのか、初日専門でご覧になるスキモノのお客さんも少なくありません(宮崎吐夢さんも必ず初日にお見えになります)。
昨今、“前半割”などと言って公演期間中の前半のチケット料金を割り引く劇団をちらほら見かけますが、とても残念な気持ちになります。初日をもっと愛でて下さい。僕が主宰する東葛スポーツでは、石焼ビビンバの器がワイヤーづたいに飛んでくるという演出の仕掛けがうまくいかず、開演時間を30分遅らせたことがあります。これが小劇場演劇の初日です(だと思っています)。逆に、初日から妙に仕上がっている小劇場演劇を疑って下さい。それはきっと小劇場演劇の顔をしたまた別のものです。
・千秋楽
1回きりの上演でない以上、公演には必ず“千秋楽”というものが存在します。一般的には、初日から上演回数を重ねていき、千秋楽に上演の完成形に達すると思われがちですが、必ずしもそうではありません。僕の肌感覚として、千秋楽は出来が悪いことが多いです。最後だというのに、なにか余力を残すように不完全燃焼のままに終わるのです。なぜか。それはバラシが待っているからです。無意識のうちに、バラシのために体力を温存させてしまうのです。千秋楽を終え、バラシをスタッフに任せて打ち上げ会場に直行するなどということは小劇場演劇ではごく稀です。俳優であろうと、楽屋掃除から衣装をクリーニングに出す・出さないの仕分け(さらに白洋舍のローヤルクリーニングコースか否か)、小道具の整理(再演などしないのに)、公演期間中に差し入れられたお菓子の分配(喧嘩にならないように)、客席や平台の運び出しの力仕事に、そのまま2tトラックのハンドルを握り、荷下ろしまで行うのです。あの辛く過酷なバラシ作業を考えれば、本番中に体力を温存したくなる気持ちもわかります。千秋楽に過度な期待を寄せないで下さい。皆さんもBBQが佳境にさしかかったとき、「あーあ、このあとこれ全部片付けるのか……」とやるせない気持ちになったことがあると思います。俳優たちはそんな気持ちで千秋楽の舞台に上がっているのです。重い。これが小劇場演劇の千秋楽です。
逆に、千秋楽であるにも関わらず、向こう見ずでエネルギッシュな小劇場演劇を疑って下さい。それはきっと小劇場演劇の顔をした、やりっぱなしのグランピング演劇です(東葛スポーツでは、近年ようやく俳優に仕込みやバラシの作業をお願いしないで済むようになりました)。
・全ステ
僕の息子は茶碗蒸しが大好きで、回転寿司に行くと2~3つ平らげます。先日、3つ目の茶碗蒸しの蓋を開けた息子がこう呟きました。「さっきのと全然違うなあ」と。皆さんは茶碗蒸しを食べても1つだと思います。1つでは茶碗蒸しの表情の違いに気づきません。3つも注文すると、火の通りが甘くてシャバシャバしたもの、すが入っているもの、上に乗った三つ葉が干からびているものなど、茶碗蒸しも三者三様の表情を見せてくれます。と同時に、やはり茶碗蒸しは料理としての難易度が高いのだなと感じさせてくれます(妻が茶碗蒸しに挑戦した際、最終的にたまごスープとして食卓に並びました)。
演劇も茶碗蒸しと同じです。同じ演目でも、2回3回と見比べることで、上演回ごとにこんなに違いがあるんだと気づいていただけるはずです。その最たるものが“全ステ”です。公演期間中に行われる全てのステージを鑑賞することを全ステと言います。旧ジャニーズの興行などにおいてはお馴染みですが、小劇場演劇を全ステするお客さんなどいないと思っていました。
しかし、以前東葛スポーツに全ステするお客さんが押し寄せた公演がありました。2018年上演の「袋とじ『根本宗子』」という根本宗子さんと東葛スポーツのコラボ公演で、このときばかりは根本さんの人気の凄さを思い知らされました。チケット発売日に500枚売れたのにもまず驚いたのですが、全ステするお客さんたち(客席1列分が埋まるくらいの人数)の存在に度肝を抜かれました。誤解してほしくないのですが、僕は全ステを推奨しているわけではありません。何にせよ、過剰に摂取するのは控えたほうがいいと思います。息子も先日、茶碗蒸しを食べ過ぎたのか吐いてしまいました。はま寿司金町駅前店の皆さま、大変ご迷惑をおかけしました。
金山寿甲 プロフィール
脚本家・演出家。演劇ユニット・東葛スポーツ主宰。ラップやサンプリングなどヒップホップからの影響と、俳優が本人役で出演するなどリアルとフィクションが交錯する作風が特徴。2023年、「パチンコ(上)」で第67回岸田國士戯曲賞を受賞した。
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てれびのスキマ/戸部田 誠 @u5u
千秋楽が不完全燃焼で終わる理由は… | 東葛スポーツ・金山寿甲の小劇場用語裏辞典 Vol.7 - ステージナタリー https://t.co/l3VsrFSckQ
“演劇も茶碗蒸しと同じです。同じ演目でも、2回3回と見比べることで、上演回ごとにこんなに違いがあるんだと気づいていただけるはずです”