2月、新型コロナウイルスの影響が拡大し始め、多くの劇場が公演中止か、続行かの判断を迫られた。そんな中、歌舞伎座は2月27日に、3月2日に開幕予定だった「三月大歌舞伎」の初日延期を決定。その後、8日、12日にもさらなる初日延期を発表し、18日には「三月大歌舞伎」の全公演中止を決めた。さらに4月7日には、5月から7月にかけて予定されていた「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」の延期も明らかに。結局、歌舞伎座は5カ月間にわたり休館することになった。そして8月1日、歌舞伎座は「八月花形歌舞伎」にて再始動する。再開した歌舞伎座では、感染防止のため、客席が前後左右一席ずつ空いた配置になったほか、1・2階の桟敷席と4階の幕見席はクローズされた。また大向うや掛け声は禁止、さらに上演時間が短い演目での4部制となり、上演中も扉を開けて換気を徹底するなど、さまざまな対策が講じられている。イベントの人数制限に対する規制緩和を目前に控えた9月中旬、歌舞伎座の“新しい日常”と今後について、歌舞伎座の橋本芳孝支配人に話を聞いた。
取材・
歌舞伎座 / 橋本芳孝支配人
思いがけず5カ月間が白紙に
──歌舞伎座は、2月27日に「三月大歌舞伎」の初日延期を発表しました。ほかの劇場の動きに比べて、早めの決断でしたね。
コロナの日本での感染は1月末にはニュースになっていたので、歌舞伎座としては2月興行の初日を開ける時点で、すでに(劇場の)表で接客するスタッフはマスクの着用をするようにしていました。ただ2月の半ばになってさらに感染者が増えたので、正直なところ、歌舞伎座だけでなくほかの劇場でも、公演自粛を求めるお客様の声があったんですね。2月26日は「二月大歌舞伎」の千穐楽だったのですが、その日に日本演劇興行協会(編集注:演劇の普及を図ると共に演劇に関する助成を行うことにより、演劇の健全な発展を目指し文化向上に寄与することを目的に掲げた公益社団法人)の会合があり、そこで東京以外の地域の劇場の方たちとも、お客様に対してどのように対応すべきかという議論になりました。会議では、東日本大震災のときのことが例として挙がったのですが、あのときは「少しでも芝居を開けて、お客様に観ていただくことが皆様への勇気付けになる。そのためにエンタテインメントがある」という考えがありました。でも今回は劇場にお越しいただくことにそもそもリスクがあり、興行の在り方がそのときとは少し違うのではないかという見解となりました。そこで歌舞伎座としても、少し様子を見ようということになり、初日延期の方針となったのです。
──その後、さらに初日が延長され、18日には中止となりました。
はい。ただ「三月大歌舞伎」についてはもう稽古も始めていましたし、大道具なども含めていつでも初日が迎えられる状態ではありました。また、3月半ばには舞台の配信をやる劇場や劇団も出始めていたので、それなら「ここまで準備して稽古も進んでいるのだから」ということになり、切符をお買い求め楽しみにしてくださっていたお客様のためにもと無料配信することになりました。その翌月、4月はそもそも舞台機構の点検で休館予定でしたので、歌舞伎座としては1カ月間の“様子見”の時間ができたのですが、5・6・7月は「十三代目市川團十郎白猿襲名披露」というビッグイベントを控えておりましたし、「その頃には状況が収まっているだろう」と思って襲名披露の準備を進めていました。
──そして4月7日に緊急事態宣言が発令されます。
團十郎襲名は、3カ月にわたる歌舞伎座の大事な興行だったので、1カ月だけ中止にするということではなく、すべて延期しようということになって。それにより、歌舞伎座としては3月から7月まで、5カ月間の興行が全部白紙になってしまいました。2月27日に初日延期を発表したときは、まさかこんなことになるとは思いもよらなかったです。
──その後、5月25日に緊急事態宣言が解除され、歌舞伎座は8月1日に「八月花形歌舞伎」で再始動しました。多くの劇場が7月末から少しずつ動き出している中、歌舞伎座の再始動がその気運を高めたと思います。
6月には感染者数の増加も一応の落ち着きを見せ、同時に経済を回していこうという政府の動きもありました。と言っても舞台は翌日からすぐに興行を打てるわけではないので、6月の段階では8月をめどに公演を再開していこう、という思いで動き出したんです。
ようやく1カ月終えて……でもホッとすることはない
──再開場に向けて、どのように“新しいルール”を作っていかれたのでしょうか?
3月の時点で、すでに消毒や検温は必要だろうと話していて、初日延期を決定したあともその準備やシミュレーションをしていました。また松竹の直営劇場である新橋演舞場や大阪松竹座、南座とも連携し、どうしていくかを検討して。6月に入ると、今度は東京都の感染拡大防止ガイドラインが出たので、より具体的に感染リスクを避けなくてはいけなくなり、専門家のご意見もうかがって、換気を十分にする方法やソーシャルディスタンスを意識した座席配置などの準備に取り掛かりました。同時に制作スタッフとは、興行的にどうすれば良いかを考え、今まで通りの2部制から、出演者・スタッフを1部ごとに総入れ替えする4部制というアイデアが出てきたんです。それを基本にしつつ、もしも感染者や濃厚接触者、体調不良者が出たら劇場としてどうするか、というガイドラインを制作と一緒に作成しました。また劇場の案内スタッフとさまざまなシミュレーションを重ねる中で、観劇時の注意喚起をパネルで出すといった工夫や、お客様が密にならない退場方法など、初日ギリギリまで考えました。
──初日が開いたときにはホッとされましたか?
いや、「初日が開いて良かった」というよりも、「これから26日の千穐楽まで無事にいくだろうか……」と思ったのが正直なところでしたね。実際にお客様が入らないとわからないこともあったので、現在も毎日、試行錯誤しています。
──お話を伺っていると、「それほどまでしても開けなくてはいけないのか」と思うほど、劇場の方たちがさまざまなご尽力をされていることに驚きます。
劇場を開ける以上は、お客様に安心して来ていただけるようにしたいと思っていますし、ご出演の方たちにも舞台に立っていいお芝居をしていただきたい。そのことによって、このような状況でも劇場にお運びいただいたお客様に満足していただきたいし、少しでも劇場の生の空間を感じ取っていただきたい。そういう思いでいっぱいでした。ですので、もし実際に体調不良者や感染者が出てしまった場合でも、興行をすぐ中止して消毒などの対応を徹底し、なるべく早く公演を再開できるようにしたいと思いながら最初の1カ月終えて……でもやっぱり毎日ホッとすることはないですね(笑)。つまりこれは、コロナ禍ではずっと続くことですから。ただ「八月花形歌舞伎」の千穐楽で図らずもカーテンコールが起きて、歌舞伎って基本的にはカーテンコールがないんですけど、(松本)幸四郎さん、(市川)中車さん、(中村)児太郎さんが舞台にお立ちになったんですね。そして幕が閉まってお客様を送り出したときは少しだけ安堵感が……でも数日後には、「九月大歌舞伎」が始まるわけですから(笑)。
劇場では、ぜひ空間ごと楽しんで
──自粛期間中、歌舞伎俳優たちがトークライブやZoomを使った上演などネットを通じてさまざまなアクションを起こしていました。橋本さんはそのような動きをどうご覧になっていましたか?
お客様に劇場や歌舞伎のことを忘れないでいただくのは大事なことですし、配信を通じて俳優さんたちの声なり姿なりが見えると「元気なんだな」というアピールになっていいなと思いました(笑)。しかも次から次へとさまざまなアイデアが出てきたのは素晴らしいことですよね。ただお芝居を観るということ自体は画面を通してできますが、劇場としてはやはり、劇場に来るまでの高揚感や観終わったときの感激など、生の舞台の価値を大切に、劇場空間でのおもてなしの空気を大切にしないといけないとも感じました。と同時に、これは3月の無料配信のときに感じたのですが、配信は、これまで歌舞伎をご覧になったことがない方の歌舞伎への“第一歩”にもなったなと。また「図夢歌舞伎」での「忠臣蔵」など、配信を通して歌舞伎の様式性、音楽性をアピールできたと思います。それによって「今度は生で観てみたい」と感じていただければと思いますので、意味があったと思いますね。弊社も先月末から歌舞伎の配信を事業として始めましたので、例えば「とにかく歌舞伎が観たいけれど、劇場までは来られない」という方にぜひご利用いただきたいと思っています。
──歌舞伎座では現在、感染予防の一環として劇場内での食事や大向う、掛け声が禁止されていたり、幕間がなくなったりと、これまでとは少し違う状況の中で公演が行われています。
そうですね。でもだからこそ、ぜひこの機会に劇場2階のロビーをご覧になっていただきたいんです。これまで劇場にお越しになっても、幕間にはお弁当を召し上がられたり、売店をご覧になったりと、実はあまり劇場の中をゆっくり歩かれたことがないのではないかと思いますが、歌舞伎座の2階ロビーには日本画の大家の作品が飾られていて、季節ごとに入れ替えられているんです。開場から開演までの時間を利用して、そういった歌舞伎座の空間をゆっくりご覧いただくことができますので、私はぜひそこもアピールしたいですね(笑)。
ポスターに込めた2つの思い
──また自粛期間中には2種のポスターが掲出され話題を呼びました。このポスター制作には橋本さんも関わっていらっしゃるそうですね。
歌舞伎座宣伝部のメンバーと、劇場に焦点を当てたポスターを作ろうと相談するなかで、「何かいいキャッチコピーを」と言われたんです。そこでパッと「鈴ヶ森」の権八のセリフ、「ゆるりと江戸で……」を思いつき、「ゆるりと 歌舞伎座で 会いましょう」というコピーを提案しました。あのポスターを制作していた頃は、まだまだ先がどうなるかわからないとき。お客様にも「今劇場に来てください」とは言えない状況で「でもいつかまた、ぜひ来てくださいね」という思いを込めています。
──もう1枚は、歌舞伎座の座紋である鳳凰丸をデザインした看板です。
歌舞伎座では顔見世のときだけ“櫓揚げ”をするんですが、歌舞伎座の座紋である鳳凰丸を染め抜いた幕で櫓を囲み、それを正面玄関の上に飾ります。鳳凰は不死鳥なので、それを看板に使ってはどうだろうと宣伝部のメンバーに提案しました。先ほど「そんなに苦労してまでなぜ劇場を開けるのか」というお話がありましたが、歌舞伎には役者だけじゃなく衣裳、カツラ、小道具、大道具とそれぞれに伝統を持ち、伝承されてきた技術があり、でも公演がなければその毎日の積み重ねが途絶えてしまいます。その意味でも、1日でも早く公演が再開できるようにと願いを込めて、この2種のポスターを作成しました。
──歌舞伎座にとっての“新しい日常”が始まって2カ月。9月19日にはイベントの人数制限も規制緩和されましたが、今後についてはどのようにお考えですか?
8月の再開場の際には、劇場の感染対策防止策に注目していただき、お客様には安心して劇場にお運びいただくことができました。そして緊急事態舞台芸術ネットワークの努力もあって、人数規制が緩和されたことにはとても感謝しております。そのうえで、引き続きお客様に安心してご覧いただくには、どのようにしていけばいいのか。9月にはイヤホンガイドの貸し出しを再開しましたが、桟敷席や4階席の販売、劇場内の売店営業、客席の100パーセント稼働はまだできていません。10月以降はそういった点も踏まえ、状況を見ながら、少しずつ考えていきたいと思います。
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ryugo hayano @hayano
歌舞伎座の、再開への道のり | 舞台とわたしの新しい日常 Vol.6 https://t.co/5HXARsHB9A
歌舞伎座の“新しい日常”と今後について、歌舞伎座の橋本芳孝支配人に話を聞いた。