GREAT TRACKS×音楽ナタリー Vol. 2 [バックナンバー]
高橋徹也とは何者か?
24歳の若者が90年代のポピュラーミュージックシーンに放った“怪物”
2024年7月24日 19:00 14
ソニー・ミュージックレーベルズのアナログ盤専門レーベル「GREAT TRACKS」と音楽ナタリーによるコラボレーション再発企画が4月にスタート。その第2弾として、
「チャイナ・カフェ」は1997年7月にシングルCDとして発表された作品。洋楽的なセンスを感じさせる洗練されたサウンドと文学性の高い歌詞の世界で、“ポスト渋谷系”的な存在として受け取られていた彼が、唯一無二の“特殊性”を発揮し始めたエポックメイキングとも言える作品が本作「チャイナ・カフェ」だ。アーティストとしての本質にギリギリで向き合った末に完成した本作での自信と確信を胸に、高橋は名作との誉れも高い2ndアルバム「夜に生きるもの」(1998年)の制作に突入していく。そんな彼の活動を長きにわたり追い続けているのがライター、フミヤマウチだ。本稿ではヤマウチに、高橋徹也との出会いから、彼がアーティストとして“覚醒”するまでの流れを当時の時代背景を交え、克明につづってもらった。
文
“渋谷系”が市民権を得ていた1996年に登場
高橋徹也との最初の出会いは1996年の夏、当時所属していた編集部のデスクに置かれていた歯磨きセットだった。そのセットには高橋徹也という新人がシングル「マイ・フェイヴァリット・ガール」で9月21日にデビューする旨が表書きされていて、その曲のサンプルCDのほか、アートワークを踏襲した深緑色の歯ブラシと歯磨きチューブが同封されていた。よく見ると自分のみならずスタッフ全員のデスクにそのセットが置かれていた。
新人ミュージシャンのデビューに際してメーカーが販促物を制作する例はいくらでもあるが、そのリキの入り方と方向性のナゾさに、キューンソニーレコード(現キューンミュージック)のチームの、この新人を情熱(とユーモア)で支えていこうという意思が見てとれたのだった(ちなみにその後も、高橋のリリースに際して謎に使える販促物がちょいちょい作られることになる)。
1996年というと、かつては一部の若者によるある種の音楽的活動の呼称だった“渋谷系”というワードが市民権を得て、日本のポピュラーミュージックが変化の途上にあった時期だ。ピチカート・ファイヴの「ベイビィ・ポータブル・ロック」が、本人たちとクルマの映像とともに連日連夜テレビCMとして流れていたり、1994年のアルバム「LIFE」以降、シングルリリースに集中していた小沢健二は、最新曲「ぼくらが旅に出る理由」で音楽ファンの留飲を下げていたりしていた。一方で、サニーデイ・サービスが2月に発表した2ndアルバム「東京」が大きな反響を呼んでいたり、同じく2月にデビューしたTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTがラウドなロックンロールの復権を印象付けていたり、新たな動きはそこかしこで起こっていた。世に出るのはまだ先の話になるが、キリンジが活動をスタートさせたのもこの年だ。
そんな年にリリースされた高橋徹也の「マイ・フェイヴァリット・ガール」は、当時の耳には“渋谷系”的に響いた。洋楽カタログのバックグラウンドを感じさせる、センスあふれる質の高いポップソング。その音楽性を支えるムーディな歌声は、個人的には(歌声が似ているということではなく)モリッシーを彷彿とさせたが、少なからぬ人が小沢健二を連想したようで、CDショップの店頭や音楽媒体などでは小沢の名前が引き合いに出されることもしばしばあった。
同じ年の11月1日、1stアルバム「ポピュラー・ミュージック・アルバム」がリリースされ、高橋徹也というシンガーソングライターの全貌が明らかになった(今思えばそれはまだ一端でしかなかったのだけれども)。シングルから引き続き東京スカパラダイスオーケストラの川上つよしと青木達之のプロデュースによる数曲のほかは、高橋本人のプロデュース曲であった(一部キーボーディストの上田禎との連名)。
全体的なムードは当初のイメージ通り“渋谷系”の延長線上にあり、アルバムタイトルからも“高橋徹也の考えるポピュラーミュージック”の具現化を目指した作品であることがうかがえるものの、彼ならではの特殊性をそこかしこに聴くことができた。中でもアルバム中盤に収められた「バタフライ ナイト」は、かつてのニューソウルの精神性が音楽的に高い次元で日本語ポップスに昇華された、このアルバムのハイライトといえるトラックだ。そこで歌われるスケール感のある、映像的というより短編小説的な詞世界は、その背景に膨大な読書量(特に海外文学)があることを容易に想像させた。
高橋徹也「ポピュラー・ミュージック・アルバム」
怪物が牙をむいた瞬間の記録
明けて1997年。アルバムからのカットとなるマキシシングル「真夜中のドライブイン」が2月21日にリリースされた。「バタフライ ナイト」といい、高橋徹也は“夜”を舞台にした楽曲が印象的だな――そんな軽い感想を吹き飛ばす“怪物”がこの後に待ち受けているとは、当時微塵にも思っていなかった。ここでようやく、このテキストの主題である「チャイナ・カフェ」の登場となる。
7月21日にリリースされたマキシシングル「チャイナ・カフェ」……いや、この作品がマキシシングルという尺度で制作されたものでないことは、タイトルトラックが2曲目に収められていることからも明らかだった。オープニングトラックである「ナイトクラブ」からして衝撃だった。この曲は主人公が抱える落ち込みとイラ立ちを歌詞とメロディとアンサンブルで重層的に描く、重く陰鬱なダウンテンポナンバーだ。自分が知る限り、当時、こんなに華やかさとはかけ離れた曲から始まるJ-POPのCDはほかになかった。この作品のリリース時、高橋は雑誌のインタビューでこの曲に関して“まんま俺”のようなことを語っており、ここに本質があるのかとびっくりした記憶がある。
続くタイトルトラック「チャイナ・カフェ」は、「……ショウ!」というほかで聴いたことのない掛け声から始まるニューウェイブディスコなナンバーだ。ファンキーなカッティングではなくダルなコードストロークのギターサウンドがニューウェイブ的で、その歌詞と相まって、イライラしっぱなしの曲の主人公に付きまとい続けている不穏さが描かれていく。時折耳に入る不協和音や菊池成孔による体にまとわりつくようなサックスがその不穏さに拍車をかけ、リスナーである自分が何に巻き込まれているのかわからないままディスコ的な高揚感が高まっていくという、なんとも不思議な感触の楽曲だ。ここで、一人称がこれまでの「僕」ではなく初めて「俺」になっていることに気付いたりもする。
続く「最高の笑顔」は、この作品随一のファンキーなナンバーではあるが、かつて可能性の塊だった少年が大人になり凡庸にたどり着いたという現実が詳細かつ皮肉に歌われていく、なんとも救いのない楽曲だ。高橋のここでの歌唱はこれまでにないほどの多彩な表情を見せており、曲がスタートしてしばらく続くドラムとベースとサックスのみのシンプルなアンサンブルに彼の歌声が絡んでいく様はなかなかスリリングだ。この作品のリリース前、一部の広告で次作のタイトルが「最高の笑顔」であることが告知されており、制作のスタート時にはこの曲がリードトラックであったことがうかがえる。もしそのままであったなら、その後の高橋徹也のディスコグラフィは今とはちょっと違うものになっていたのではないだろうか。
ラストの「ナイト・フライト」は一聴して穏やかだが、曲の主人公の情緒がどうにも不安定で、サーカスのBGM的なサウンドとなんの情緒もなくスッと終わるエンディングと相まって、死の予感がぬぐえないある意味“怖い”ナンバーとなっている。この曲をラストに据えた真意やいかに。
“夜”が高橋にとって曲の単なる舞台ではなく重要なテーマであることを思い知らされた「チャイナ・カフェ」の、なんという濃密な世界。高橋徹也はこんなものを隠し持っていたのだ。怪物が牙をむいた瞬間の記録ともいえる。個人的には、高校生のときにトルーマン・カポーティの短編集を読み終わった際に全身を貫いた“ズドン感”のようなものをひさびさに味わった作品でもあった。
高橋徹也というシンガーソングライターの変わらない本質
その後、マキシシングル「新しい世界」(11月1日リリース)と8cm CDシングル「鏡の前に立って自分を眺める時は出来るだけ暗い方が都合がいいんだ」(1998年3月21日リリース)を経て、5月2日に2ndアルバム「夜に生きるもの」がリリースされた。
高橋徹也「夜に生きるもの」
冒頭に収められた、E♭m7のギターカッティングから始まるソウルフルなロックンロールナンバー「真っ赤な車」を初めて聴いたときの高揚感を、昨日のことのように思い出す。このオープニングナンバーの疾走感に導かれるまま一気に聴かせられてしまうのがこのアルバムだ。そして、このアルバムの充実の起点は、間違いなく「チャイナ・カフェ」だ。
思い返せば、「チャイナ・カフェ」から「夜に生きるもの」に至る過程において、高橋徹也というシンガーソングライターへの理解が深まっていったように感じられる。バックグラウンドとなっているであろう洋楽カタログが思いのほか膨大であること。歌詞は彼にとってことのほか重要で、丁寧でムーディな歌唱は歌詞を的確に伝えるために導き出されたものであろうこと。自己嫌悪や不安や苛立ちなどマイナスの感情を楽曲に潜ませることを厭わず、それを歌詞のみならずコード進行やメロディの機微で伝えることができる作曲能力の持ち主であること。そして何より、彼が相当のひねくれものであろうこと――などなど。それは変わらない彼の本質のようなものだ。
この「チャイナ・カフェ」のレコードで初めて高橋徹也を知る人、懐かしさからこのレコードを手に取った人、さまざまいるだろうけど、忘れてほしくないのは、高橋徹也が今なお作品を発表し続け、バンドや弾き語りで勢力的にライブを行っている、現役のミュージシャンであるということだ。24歳の若者が日本のポピュラーミュージック界に放ったこの「チャイナ・カフェ」という怪物を手にしたら、その次には現在の高橋徹也が生み出す音楽に向き合ってほしい、と心から願う。奇しくも彼の現時点での一番新しいアルバムは、「怪物」というタイトルだ――。
高橋徹也(タカハシテツヤ)
音楽家 / シンガーソングライター。1996年9月にキューンソニーレコードよりシングル「My Favourite Girl」でメジャーデビュー。1997年11月、ガラリと作風を一変した3rdシングル「チャイナ・カフェ」を発表し、大きな話題を呼ぶ。1998年5月に2ndアルバム「夜に生きるもの」、同年10月に3rdアルバム「ベッドタウン」をリリース。それ以降も精力的にライブを行いながらコンスタントにアルバムを発表している。最新アルバムは2020年3月リリースの11thアルバム「怪物」。
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- フミヤマウチ
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ライター / DJ。DJ BAR INKSTICKやOrgan Barといったクラブに勤務したのち、1996年にタワーレコードの「bounce」編集部で編集者 / ライターとしてのキャリアをスタートさせる。和モノレアグルーヴ発掘の第一人者として知られ、「グルーブ・サウンズ・イン・ニッポン」(あいさとうとの共同監修)など再発音源の監修や解説も手がけている。
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