Negiccoも味わってきた悔しい思い
さて、数多く存在するローカルアイドルを象徴するグループと言えば、なんと言っても
1. 新潟で家族と同居していたことがメンバーの精神的バックボーンになった。
2. UX新潟テレビ21の社内プロジェクト「Team ECO」の告知で毎日のようにテレビに出ていたため、新潟県民の間で認知度が向上した。
3. それに伴って新潟県内の企業の周年祭、行政のイベント、各地のお祭りなどなどからのオファーが増え、Negiccoのプロモーションと収益になった。
ローカルアイドルは資金的にも派手なプロモーションが打てないことが多いため、地道な活動を余儀なくされることが多い。そのためグループの存在を浸透させるのに時間がかかってしまうのだという。Negiccoのメンバーたちも「ここまで来るのに悔しい思いをしたことも少なくなかった」と振り返っている。
「いまだに新潟県民全員に知ってもらえているとは思っていないし、そういう意味じゃまだまだだと思うんですが……。それでも今は道ですれ違った人に『新潟を背負ってがんばってくれてありがとう』と声をかけていただいたりすることもあるんです。でも、昔は街のお祭りで見知らぬおじいちゃんから『お前たちの歌なんか聴きたくない!』とMCの最中に大声で言われたこともありましたからね(苦笑)。
個人的に複雑だったのは、全国放送のテレビ番組に呼んでもらえそうになったときのこと。『方言で話せますか?』と聞かれて、『普段そんなに使っていないから難しいです』と伝えたんです。そうしたら、急にそこで話がなくなったんですよね。結局、地方のアイドルってそういう求められ方しかしていないのかなって思いました」(Kaede)
Kaedeの嘆きは、もっともである。メディアもローカルアイドルをどう扱っていいのかわからなかったというのが真相だろう。ましてやアイドルに詳しくない一般層にとっては、地域に根差した芸能活動を目指す彼女たちの気持ちなど知る由もなかった。Nao☆が続ける。
「スタートした頃は、そもそも地方アイドル自体が指折り数えられるくらいしかいなかったんです。私たちを眺める人も『誰これ? なんなの? Negiccoだってさ』って鼻で笑う感じ。都内でアイドルイベントに出演しても、地方から出てきた私たちだけは控室が用意されていなかったりして、あからさまに下に見られているなと感じました。
だけど、その空気が地方アイドルのナンバーワンを決める大会『U.M.U AWARD 2010』で優勝したあたりから徐々に変わっていったんです。おじいちゃんやおばあちゃんが『Negiccoさんに会えるなんて』と涙ぐんでくださったり、小さい女の子が『Negiccoがみんなに元気を与えてくれる。こんな世の中だからこそ、私も元気を与えたいと思う』と言ってくれたり……。そういうことがあると、17年間がんばってきたことは本当に無駄じゃなかったんだなとしみじみ感じます」(Nao☆)
ローカルアイドルブームが広げた可能性
こうしてNegiccoが地道に、そして精力的に活動を続ける中、Meguにとって“個人的に印象的な分岐点”があったという。
「東京で大きなイベントのオファーがあったんですけど、そのときはすでに新潟のイベントが入っていたんですよ。こういった場合、先に話が決まっているほうを優先するのが筋だから、新潟のイベントに出るのが普通。でも東京のイベントもNegiccoにとってはとても大きなチャンスだったので、ものすごく葛藤がありました。結局、私たちは新潟のイベントに出演しました。ちなみにそこでは梨の皮剥き大会で優勝したんですけど(笑)。でも、あの決断は間違えていなかったと今でも感じるんです。
芸能界を目指している子だったら、やっぱり東京というのは憧れの場所なんですよ。チャンスが転がっているわけだから、単純にうらやましいですし。だけど仮にNegiccoがデビュー初期から東京で活動していたら、こんなに長くは続けられなかったんじゃないかな。すぐ周りの人たちと比べてしまい、自分たちの心も折れ、ネギも折れていたと思う(笑)」(Megu)
東京に出たら、グループ活動にメリットがあることはもちろんわかっている。だけど、そこで失うものがあるのも確かだ。メジャー志向と地元愛の狭間で揺れながら、グループとしてのアイデンティティを模索していく。自分たちは何を目指すのか? そもそも自分はなぜアイドルになったのか? こうした自問の末、Negiccoは新潟の人たちに愛されるグループになる道を選択した。
「地元で活動していると、いい意味でのんびりした感じになりますから。この、のんびりしたペースがNegiccoには合っていたんでしょうね。Negiccoをやっていると、地元・新潟がもっともっと大好きになっていくんですよ。そして新潟を知れば知るほど、大好きが止まりません」(Megu)
もともとはローカルアイドルだったメンバーが、大手事務所に移籍して活躍するというパターンも多くなっている。南波は「ご当地アイドルお取り寄せ図鑑」(BSスカパー!)でMCを務めていた時期、ハロー!プロジェクト関係だけでも群馬県・CoCoRo学園の森戸知沙希(現・モーニング娘。'21)や高知県・はちきんガールズの川村文乃(現・アンジュルム)が活躍する様子を目の当たりにしたという。地元のグループでしっかりとした地力をつけ、東京の大舞台でひと旗揚げる。わかりやすいジャパニーズドリームの構図だ。
「可能性が広がったのは確かでしょう。ハロプロに限らず、今はどこも地方アイドル出身者が本当に多いですから。これは地方アイドルブームが起こったからこその現象ですよね。ブームがなかったら、掘り起こされることがなかった才能がたくさんいるんじゃないかなとは思います」(南波)
地方を足掛かりに東京進出していく者がいる一方で、地元回帰の傾向を強める動きも存在する。バラエティ番組で活躍する王林は青森のグループ・RINGOMUSUMEのリーダーだが、かつて「ラストアイドル」(テレビ朝日系)から誕生したユニット・Good Tearsのメンバーを兼任していた時期もあった。大型プロジェクトだけにステップアップを狙うチャンスだったし、RINGOMUSUMEにも還元できると考えての決定だったのだろう。だが、結果として“二足の草鞋”を思うように履くことができなかった王林はGood Tearsをわずか半年で脱退。地元に戻り青森の魅力を世界に届けることを改めて決意したのである。前述したNegiccoと同様、東京進出を“あきらめた”のではなく、地元の活性化というグループ本来の目的に“立ち返った”ということになる。
「ここ数年、『アイドルブームは峠を超えた』なんて言われることも多くなりましたよね。だけど、各地でここまで浸透したものが完全になくなるとは考えにくい。実際、今も新しいアイドルは生まれ続けていますし。それに、アクターズスクールに代表される地方の教育システムなどは、10年代のアイドルブーム以前から続いてきたものなので、ブームの盛衰に関係なく続いていくんじゃないかなと思います。そもそもそういったスクールは厳密にはアイドル養成機関ではなくて、純粋に歌やダンスを教育する場。だからアウトプットの形がアイドルじゃなくなり、例えばシンガーソングライターやK-POP的なグループに変化する可能性はあるかもしれません」(南波)
いずれにせよ、地方から新たな才能を発掘する動きは今後も止まらないということか。思えばPerfumeや橋本環奈も、元をただせば一介のローカルアイドルだった。今は新型コロナウイルスの影響で活動を自粛しているグループも多いが、社会が以前のような生活を取り戻すことができれば、各地のアイドルは再び懸命に汗を流すことだろう。全国のライブハウスで、商店街で、お祭りで、駐車場で、スーパー銭湯で、老人ホームで、レッスンスタジオで……。アイドルの可能性は無限大だ。地方出身者による地道でユニークな活動によって、アイドルの世界が豊かに彩られていることを私たちは決して忘れてはならない。
※「高木悠未」の「高」は、はしごだかが正式表記。
- 小野田衛
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出版社勤務を経て、フリーのライター / 編集者に。エンタメ誌、週刊誌、女性誌、各種Web媒体などで執筆を行っている。著書に「韓流エンタメ日本侵攻戦略」(扶桑社新書)、「アイドルに捧げた青春 アップアップガールズ(仮)の真実」(竹書房)がある。芸能以外の得意ジャンルは貧困問題、サウナ、プロレス、フィギュアスケート。
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