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「Ritual of THE CIRCLE」の様子。(写真提供:TAKASHI KONUMA)

音楽シーンを撮り続ける人々 第8回 バックナンバー

ライブキッズ目線を貫くTAKASHI KONUMA

人の縁に支えられて会社員からカメラマンに

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CDジャケットや雑誌の表紙、屋外看板などアーティストを被写体とした写真に心を奪われた……そんな経験のある読者も多いはず。本企画ではアーティストを撮り続けるフォトグラファーに幼少期から現在に至るまでの話を伺う。第8回に登場してもらったのは、昨年15年勤めた会社を辞め、ジャパンミュージックシステムにカメラマンとして所属することを決めたTAKASHI KONUMA。彼が音楽とライブに惹かれて、カメラマンの道を歩むまでの経緯とその後を聞いた。

取材・文・構成 / 酒匂里奈(音楽ナタリー編集部)撮影 / タマイシンゴ

海外に憧れてシアトル留学

生まれは千葉県匝瑳市という田舎町です。実家は寺をやっていて、地元の友達は農家や漁師の家の子が多かったですね。絵に描いたような田舎だったので幼い頃は外で野球などをして遊んでいることが多かったです。近くには成田空港があって、家の上を飛んでいく飛行機を見て、子供ながら「海外に行ってみたい」と思っていました。そう思っていたら中学生のときにオーストラリアへ1週間語学留学をする機会があって、留学をきっかけにより強く海外への憧れや洋楽への興味を持ちました。生まれて初めての海外でしたが、オーストラリアは住みやすく、人も温かかったです。ホームステイ先に同年代の男の子がいて、その子とキャッチボールや買い物をしたことが一番楽しかったですね。

中学生の頃に地元に書店とCDショップができて、よく音楽を聴くようになりました。テレビで音楽番組を観てはカセットテープを買っていましたね。でも最初に買ったカセットテープは音楽番組で流れているような曲ではなく、路上のフリーマーケットで売っていたヒップホップのミックステープ。ジャケットになんて書いてあるのかも、誰が歌ってるのかもわからなかったけどひたすら聴いていました。高校は陸上部に入っていたのですが、試合で千葉駅の方に行くたびにタワーレコードに寄っていました。高校で進路を決めるときには、日本でやりたいことはないけど英語をしゃべりたいと思って、英語を学べる東京の大学に進学しました。

進学したものの海外への憧れが日に日に強くなり、日本の大学は2年で辞めて、シアトルの大学に入り直したんです。シアトルの学校を選んだのは、安直な考えですがライブハウスがたくさんあるし、Nirvanaが生まれた街だったから(笑)。今思い返すと運がよかったんですけど、留学期間中にGood Charlotteが2nd アルバム「The Young And The Hopeless」をリリースしたり、ブリトニー・スピアーズが全盛期だったりした時期で。週2、3回以上はライブを観にライブハウスに行っていましたね。アメリカのライブチケットって日本より安いし、大学でチケットを買うと半額で買えることもあったんです。

シアトルでのライブで一番思い出に残っているのは、2004年に初めて観たLinkin Parkのライブ。テレビでたまたま「Hybrid Theory」「Meteora」が流れていて「なんだこの曲!?」と思って調べたら、翌月に「North American Tour 2004」でシアトルに来ることを知って。すぐにチケットを買って、ライブを観てさらに衝撃を受けました。あと、これも運がよかったのですが、留学中にB'zがシアトルでライブをやったんですよ。日本に居た頃はスタジアムでライブをしていたアーティストが、東京で言う新宿ACB HALLくらいの箱で本当にライブをするのか当日まで半信半疑でしたけど(笑)。ライブには日本からの留学生も来ていましたが、稲葉(浩志)さんはすべて英語でMCをしていました。「ultra soul」など聴きなじみのある曲もたくさんやってくれたし、あの距離でB'zを観れたのは今でも忘れられないですね。

ライブキッズが観ている景色を形に

写真を撮ることは昔から好きでした。学生の頃から友達を撮ったり、旅行に行って風景を撮ったりすることが好きで、ひたすら写ルンですを買いまくっていました。日本の大学に行っていた頃はいろいろアルバイトをしていたのですが、バイト代を貯めて家電店に行ったときに、初めて写ルンです以外のカメラ機材が売っていることを知りました。そのときに買ったデジタルカメラを持って、金を貯めてはデジカメを持ってどこかに行ってましたね。大学時代にスキューバダイビングのインストラクターのバイトをしていたのですが、バイトの合間に水中写真を撮るのにハマって。海の底から空を見上げただけの構図でも、きらきらしていて本当にきれいなんですよ。シアトルに行ってからもめちゃめちゃ写真を撮りました。コンデジを持ってNBAやメジャーリーグを観戦したり、夏休みの間に友達と車で旅行に行って風景を撮ったり。


シアトルから日本に戻ってからは、IT系の企業に就職しました。カメラも音楽もまったく関係ない職場。同時期に友達と「We Are Music!!!」「Ya kick so bad PUNK!?-ヤキソバパン-」という2つのDJイベントを主催するようになったんです。そのうちイベントを通して仲良くなったバンドのライブ写真を撮るようになりました。最初に撮影したのは、千葉・本八幡THE 3rd STAGEでライブをした友達のバンドです。当時はまだmixiが普及し始めたくらいの時期で、今ほど撮った写真を共有する手段がなかったんです。その頃は写真が全然うまくなかったし、バンドのメンバーや友達に見せていただけでしたがすごく楽しかったのを覚えています。

そのうちもっと本格的な写真を撮りたいと思って、初めて一眼レフを買いました。でも一眼を買ったものの、就職していたので写真の学校に行く時間はなかったんです。だから本や雑誌をひたすら見て学んでいきました。最初は何が失敗かもわからない状態でしたが、まずブレていない写真、ピントが合っている写真などが撮れるように本に書いてあることを実践しました。そこから自分のイメージ通りの写真に近付けるため、独学で学んでいきました。自分はライブ写真を撮り始めるまではライブキッズだったので、アーティストのカッコいい姿のイメージは頭の中にしっかりあったんです。自分が最前列で感じた熱量やダイブをしたときの景色をどうにか形にしようとしていましたし、今でもその思いは変わりません。

人との縁と熱い写真

自分は今年で38歳なんですけど、去年に15年勤めた会社を辞めて、ジャパンミュージックシステム(JMS)に所属しました。何年か前からJMSの鈴木(健太郎)さんが「今の会社を辞めてうちに来たら?」と声は掛けてくれていたんです。その返事を「ちょっと今はまだ……」とずっと先延ばしにしていて。でも段々仕事とライブ写真を撮ることの両立ができなくなってきて、日々悶々としていました。JMSの方々に声を掛けてもらったときにちょうど結婚をしたんですが、会社を辞める決心ができたのは奥さんの「やりたいことをやったほうがいいんじゃない」という言葉でした。もともと奥さんとの出会いもライブハウスだったので、自分がどういうときに一番楽しそうかわかってくれていたんだと思います。最後にJMSの方からも熱い言葉をもらって、決断ができました。人との出会いやいろいろな縁があって、今この仕事ができていると感じますね。


一番長く撮り続けているアーティストはCrystal Lakeで、ボーカリストのRyo(Vo)が加入した頃から撮っています。ライブを撮るようになったきっかけは、Shinya(G)と出会ったこと。自分がDJイベントを主催したときに、Shinyaが「バンドをやってるんですよ」と話かけてくれたんです。そのときに趣味で写真を撮っていることを伝えたら「じゃあ俺らのライブも撮ってくださいよ!」と言ってくれて。Crystal Lakeに関しては、撮り始めた頃はお客さんも少なかったけど、年々大きくなり、世界レベルのバンドになっていると感じます。その成長を近くで見れているのがうれしい反面、バンドの成長に遅れないように自分も進化し続けたいです。それからNAMBA69のko-hey(G, Cho)も自分とバンドをつないでくれた人です。彼がARTEMAというバンドで活動していたときから撮影していたこともあって「新しいバンドに入ったよ」と声を掛けてくれてから、NAMBA69の撮影もするようになりました。
ライブを観に来た人も観に来れなかった人も、その日のライブの温度感を感じられる熱い1枚を撮りたいと思っています。そのために会場中を走り回って、はたから見たら「すごい体勢で撮ってるな、この人」というときもあると思います(笑)。今はSNSがあるので、撮った写真をたくさんの人に届けられるのが嬉しいですね。仕事や病気でどうしてもライブに行けなかった人に、SNSや誌面を通じて「行けた気になりました」と言われたときは “写真の持つ熱”が伝わった気がしてやりがいを感じました。

写真を積み重ねて歴史を作る

2018年12月に開催した写真展「Photo Exhibition『Scenes』」にはさまざまな人が来てくれました。みんな1枚1枚時間を掛けて写真を見てくれたのがうれしかった。去年は「SATANIC CARNIVAL’18」で開催された「SATANIC PHOTOGRAPHERS 写真展」にも参加させていただいたんです。自分の写真展に来てくれたお客さんに携帯の画面を差し出されて「これってあなたの写真ですよね?」と聞かれたことがあって。画面には「SATANIC」で展示された自分の写真が写っていて、過去と今の両方を見て僕の作品だとリンクしてくれたことも、画像をずっと保存していてくれたことにもグッときました。


「Photo Exhibition『Scenes』」の会場では「SCENES」という写真集を販売したんです。192ページあるんですが、買ってくださったお客さん全員に「こんなに分厚いと思ってなかったです」と言われました(笑)。もともと予定していたページ数はもっと少なかったんですけど、印刷会社の方に写真を見せながら、「熱い写真を見てもらいたいんですよね」と話をしたら担当の方が「ページを増やしましょう」と提案してくれて。印刷してくださった方もバンドが好きだったし、カメラマン生活のすべてが人の縁に支えられている感じがします。
写真集の中では、Ryoの地元鳥取県にある米子 AZTiC laughsというハコで撮った写真が特に好き。Crystal Lakeの魅力は攻めの姿勢だと思うのですが、バンドのよさがうまく写真に収められたと思っていて「この1枚は絶対見開きで載せてください」とデザイナーさんにお願いしました。ほかにも好きな写真は沢山あるのですが、MY FIRST STORYのHiro(Vo)の写真も気に入っています。彼らも熱いバンドなのですが、ライブを観ていると色っぽさも感じるんですよね。その色っぽさが表現できた写真は、最初は数枚の写真で構成されたページに掲載する予定だったのですが、「やっぱりほかの写真を削ってもいいから大きく載せたい」と思いました。マイファスもそうですが、どのバンドも撮っているうちにどんどん愛着が湧いてきますね。撮っているすべてのバンドのことが、誰よりも好きだと思っています。
「SCENES」は今まで撮ってきた多くの写真のセレクト作業だけで1カ月くらい掛かりました。タイトルは、ライブハウスに存在する光景が好きだから、迷いなく“Scenes”という言葉を選びました。表紙はライブ後のステージにマイクが置かれている様子なんですけど、ライブの熱気がまだ残っていて、余韻が感じられる光景が好きでこの写真を選びました。写真集「Scenes」もですが、自分の写真をたくさんの人に見てもらいたい。「まったく知らないアーティスト、バンドだけどライブを観に行ってみようかな」と思ってくれたらカメラマンとして本望です。写真の魅力は、時間を形として残せるところだと思います。どんなことでも記憶は100%クリアなままじゃないし、時間が経つと朧げになってしまう。その点写真はしっかり形に残るし、1枚ずつ積み重なっていくとバンドや写真を見た人の歴史ができあがる。写真を積み重ねて歴史を作る役目を担えることがカメラマンのいいところだし、一番の仕事じゃないかなと思います。

TAKASHI KONUMA

1981年生まれ、千葉県出身のカメラマン。2018年からジャパンミュージックシステム(JMS)に所属し、Crystal Lake、MY FIRST STORY、SHADOWS、NOISEMAKER、NAMBA69など多くのアーティストのライブ写真を手掛けている。

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