音楽ナタリー

[佐野元春] ネット時代の音楽ビジネスを語る

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ブロガーミーティングではスタッフを中心として、MWSの歴史や、DaisyMusicの活動、佐野元春の最近のトピックなどについて、多岐にわたるプレゼンテーションが行われた。終盤にはブロガーと元春によるフリートークの時間も。

ブロガーミーティングではスタッフを中心として、MWSの歴史や、DaisyMusicの活動、佐野元春の最近のトピックなどについて、多岐にわたるプレゼンテーションが行われた。終盤にはブロガーと元春によるフリートークの時間も。

10月29日夜、都内某所で「佐野元春 ブロガーミーティング」と題した会合が行われた。これは著名なブロガーを集めて、佐野元春が自身の活動についてプレゼンテーションを行うというクローズドなイベント。

佐野元春は、1995年のインターネット創生期から積極的にウェブを使った活動を進めてきた”もっともインターネットにリベラルなアーティスト"としても知られている。この夜のイベントは、そんな元春を中心にブロガーたち10数人が集まり、アットホームな雰囲気の中で進行した。約2時間半にわたるプログラムの中から、この記事では佐野元春自身によるプレゼンテーションの様子をレポートする。

プロジェクターの前に立った佐野元春は、自らKeynoteを操りながらレーベル「DaisyMusic」の成り立ちについて、「それは2004年、満月の夜でしたーー」と静かに語り始めた。以下は、会場でのメモをもとにして元春の発言を文字に起こしたもの。ここには、CCCD問題やダウンロードビジネスのあり方、メジャーレーベルの将来像に至るまで、音楽の未来にかかわる多くの見解が詰め込まれている。佐野元春のファンのみならず、すべての音楽ファンにとって重要なこのプレゼンテーションを、以下のテキストでぜひ追体験してもらいたい。


インターネット時代の到来

それは2004年、満月の夜でした。ぼくは青山のCAYという場所でDaisyMusic発足のパーティを開きました。なぜぼくがソニーミュージックを離れて、自分でレーベルを作らなければならなかったのか。2000年に入ってぼくは気づいていました。メジャーレーベルはすでに崩壊しており、その主な理由はインターネットにある、と。インターネットがあらゆる構造を組み替えたわけです。

振り返れば1989年、ぼくは当時のMacintoshの最高峰機を秋葉原で買い求めて、ソニーミュージックエンタテインメントの役員たちにプレゼンテーションをしました。「これからこれ(コンピュータ)がぼくたちのビジネスを変えていく」と。まだ通信も満足にできない時代。でもいくつかの革新的なソフトは生まれていて、ぼくは米国製の通信ソフトを手に入れました。

ぼくはレーベルにこう持ちかけました。ぼくの事務所とレーベルと、通信を使って1to1でつなげたい。そしてぼく専用のPCをレーベルに置いて1to1のコミュニケーションをしよう。そのような利用の仕方をしている例は当時他にありませんでしたが、ぼくらはそれをやっていた。そのとき気づいたんです。電信で文字がやりとりできるなら、いずれの日にか図版や動画、音楽もやりとりされるようになるはず。ぼくはこれまでのレコードビジネスがどう変わっていくかに思いを馳せた。それが1993年頃のことでした。

そして時はやってきたんですね。1995年、インターネットが民間にリリースされた。ぼくはさっそくIIJ(インターネットプロバイダ)に電話してメールアドレスを獲得し、いまあるドメイン「moto.co.jp」を獲得しました。ぼくは確かIIJの12人目の顧客だったと思います(笑)。

そして1995年、ぼくの誕生日にファンが集まってくれて、ウェブサイト「Moto's Web Server」が誕生したんです。当時はまだグレーバック、日本語も通らなかった。どこかでパッチソフトを入手して、日本語を使えるようにしたのを覚えています。


ダウンロードビジネスの開始

それからネットはドッグイヤー。以前レーベルに予告したように、インターネットは音楽のあり方を大きく変えてしまいました。ソニーミュージックエンタテインメントはどのレーベルよりもインターネットに積極的で、どこよりも早く音楽配信を始めました。しかしその頃、音楽配信がどういう意味を持つのか、マネジメントサイドやアーティストサイドで理解している人は1人もいなかった。ソニーミュージックエンタテインメントは音楽をノンパッケージで販売したいと思った。そしていろいろなマネジメントやアーティストに説明をした。ダウンロードの手順はこうだ、権利のシェアはこうだ、というような話をした。でも誰も理解しなかった。その様子をぼくはずっと見ていた。それでぼくは申し出たんです。「ぼくが第1弾になってもいいよ」。それが2000年のシングル「INNOCENT」。ソニーミュージックエンタテインメント初のノンパッケージの楽曲だった。

確かにライツ(権利)の部分はぜんぜんクリアじゃなかった。でもぼくはソニーミュージックエンタテインメントの持っている冒険心に賭けたんですね。彼らのインターネットへの戦略、ビジョン。すごく無邪気な感じがしましたね。でも、すごくソニーらしかった。とにかくやってみるんだ、という感じ。ぼくはそこに賭けたんです。だから自分の曲を有料ダウンロードの第1号作品として提供する気になった。「INNOCENT」という曲はぼくがアーティストとしてデビューして20周年を迎えて、その感謝の気持ちをファンに伝えたいと思って書いた曲。そのことにも個人的にある意味を感じていたんですね。それが1999年のことです。ソニーミュージックエンタテインメントはダウンロードビジネスについて常に先鞭をとってきたし、よいアイデアを提供してきたし、ぼくらを楽しませてくれていた。


CCCDの問題

しかし2004年、CCCDの問題が起こった。あのCCCDの問題。今日ここに集まってくれている賢明な皆さんであれば、CCCDがいかに重要な欠陥を持っているかわかっていると思います。ぼくは最初静観していました。ソニーがパッケージビジネスを守るために必死だということが伝わってきましたし、なによりもソフトウェアのダウンロードという人類初めてのアクションに対してみんなが怖がっていた。革新的な人々と保守的に昔ながらのやりかたを守りたい人が拮抗していた。そういう気配があった。しかしソニーはCCCDを実行してしまう。ぼくのCDにも不思議な暗号が埋め込まれ、ぼくのファンたちにもそれが何なのかもまったく説明されない。しかし賢いぼくのファンたちはそれがおかしいということに気がついた。

CCCDの問題で批判の矛先はどこに向かったか。レーベルではなく、ぼくに向けられてきたんです。「おまえには失望した」「なぜおまえがそれを容認したのだ」「CCCDなんて誰が買うものか」。ものすごい勢いで批判されました。

ぼくは感情的にはならず、冷静にネットの中の批判を集めた。そしてそれをソニーミュージックエンタテインメントの役員のところに持って行った。「いま何が起きているか知っていますか。ぼくのところにはこれだけの意見が届いている。なぜこれを放置しておくんだ。なぜぼくがこんなに多くのファンから非難を浴びているのに守ってくれないのか。なぜCCCDについてのステイトメントを発表しないのか」。彼らは口ごもった。彼らはおそらくCCCDの本質について何もわかっていなかった。

彼らは当時発売する予定の「VISITORS 20th Anniversary Edition」もCCCDにしようと考えていた。でもこれは新譜じゃないし、これを買ってくれるのは20年前に支持してくれたファンがほとんどだろう。20年目のありがとうの気持ちを表すためのものだ。なぜこれにコピープロテクトをかけなければならないのか。ぼくはソニーミュージックエンタテインメントに掛け合った。現場の担当の努力もあった。いくつかのニュースにもなった。彼らは理解してくれました。「わかった佐野くん、このVISITORSにはCCCDは適用しない」。理知的な音楽ファンにはそこでぼくとレーベルの間に何が起こっているのかについてわかった人も多かったと思う。そのときぼくはこう考えていた。「ああよかった。これでもうCCCDをどのレコードにも適用するなんて馬鹿な真似はしないだろう。ぼくの愛しているソニーだし」。

だがそこでアクシデントが起こったんです。ぼくはスポークンワーズのパフォーマンスをライブCDで発表しようと思った。当然ライブ盤ですから、曲間もそのまま再現して一気に聴ける臨場感にあふれたものにしたかった。だがレーベルはこれをCCCDにしようとした。しかし限られたデータ領域の中にはCCCDのデータは収まらない。そこでCDを2枚組にするしかなかった。

ぼくは1日考えました。ファンにどう説明しよう。でもどうにも説明の言葉が見つからない。ぼくはぼくのライブアルバムがCCCDを適用することによって2枚組に成らざるを得ないという事実について、どうにも我慢ができなかった。そのときに、それまでのいろいろなことが感情的に爆発したかもしれない。


旧来型レコードビジネスの崩壊

その頃もうひとつのできごともありました。「光」という曲。ぼくは9.11を受けて、ソングライターとして、こういうときこそ音楽にしかできない何かがあるはずだと思い、この曲を作って自分のプライベートスタジオでレコーディングをした。通常だったらそこからデベロッパーに渡して3ヵ月後にCDがリリースされる。でも9.11から3ヶ月も経ったら何の思いも共有できない。そこでMWS(オフィシャルウェブサイト)のスタッフに頼んでフリーダウンロード、MP3でリリースした。

1週間で8万件のダウンロードがあった。レーベルはすぐにぼくを呼びつけて「すぐに撤回しろ」と言った。でももうすでに8万件のダウンロードが行われている。そのことの本質を理解できるスタッフは1人もいなかった。もちろんぼくはソニーミュージックエンタテインメントと契約をしていましたから、こんなことをすれば現場のエグゼクティブはカンカンです。

そのほかにもぼくとレーベルの間には、新しい時代に起こりがちないくつかのコンフリクトがあった。その原因をよくよく冷静に見てみると、旧来の構造をインターネットが開放して再構成したところにあるんじゃないかと気づいた。それから1週間か2週間よく考えてぼくは思ったんですね。従来のレコード会社のビジネスは変容しなければならない。このままでは楽しい未来は待っていない。

ぼくはロックンロール音楽で育った。成長して作詞や作曲ができるようになり、10代の頃に感じたあんなポップソングを書いてみたいと思ってメジャーからデビューしてレコードを出した。音楽リスナーあってのビジネスです。ぼくのフィロソフィーはすごく簡単なんです。レコードビジネスはロックンロール音楽に恩恵を受けている。ロックンロール音楽を愛するリスナーにベネフィットを落としていくということを最優先で考えなければならない。しかしCCCDはどうだろうか。まるで大人向けの論理だ。音楽を、楽しいロックンロールを売る側がおまえのことを信じてないよ、と言う。その関係の中で流通される音楽はクールなのだろうか、と自問自答して「違うな」と思った。彼らが喜ぶことをやらなきゃいけない。それでぼくは自分のレーベルをスタートした。それが、DaisyMusic。


メジャーインディペンデントの誕生

DaisyMusicをスタートさせて、2004年7月にアルバム「THE SUN」をリリースした。4年かけてようやくリリースすることができた。ソニーミュージックエンタテインメントにいたときに新しいアルバムを投入してもいい結果が得られると思わなかったので、2004年まで保留していたんです。ぼくの渾身の思いを込めて作った結晶。10年いっしょにやってきた仲間たちとの思いを詰め込んだ作品。このアルバムをリリースしたとき、ぼくははっきり言ってめげていました。楽しいときもつらいときもずっと併走してきたレーベルから離れての活動。寂しさと嬉しさが同居していた。するとそんなぼくに多くのファンが多くの言葉を贈ってくれた。アルバムを聴いてたくさんのメッセージをくれた。ぼくはファンから本当に多くの的を射た意見をもらった。こんなに励まされたことはなかったですね。

DaisyMusicでは、原盤はDaisy、プロモーションもDaisy、ディストリビューションのみメジャーのユニバーサルと組んでやっています。彼らメジャーが個人のレーベルと契約してくれるというのは非常に稀なことです。言ってみればDaisyはただのインディーズではないですね。正確に言えば"メジャーインディペンデント"と言っていいと思う。そしてこれから多くのキャリアアーティストがぼくと同じようにメジャーインディペンデント化を進めていくとぼくは予想しています。


独立系ミュージシャンの協調

iTunes Storeには2005年8月のスタート時にいち早く参入表明をしました。ぼくはiTunes Storeの日本での正式なオープンを心待ちにしていました。ぼくはオープンと同時にアップルに行きました。そしたらそこには昔ソニーで働いていた友人がいた。ぼくは聞いた。「なぜここにいるんだ?」「音楽流通は今異常な勢いで変わってる。その変革の一翼を担いたい」。もちろんすぐに仲良くなりました。そんな彼でしたから、ぼくの言ってるコンセプトもすぐに理解してくれました。ただ最初はたいへんだった。彼らはメジャーカンパニーのほうばかり見ていた。ぼくは彼らがメジャーよりも新しく来るインディペンデントのミュージシャンに門戸を開くべきだと思っていた。

そしてぼくはメジャーレーベルでできないことをやってみたいと考えて、「MusicUnited.」(関連リンク参照)を作った。古い友人たちを集めていっしょに歌ったんです。彼らは今もすごくいい曲を作る。でも彼らの音楽を届ける良心的なメディアがなくなってしまった。ラジオが本来のポテンシャルを発揮せずに放置されたままずいぶん経つ。鋭い言葉で言えばラジオは堕落している。だからぼくはネットに賭けることにした。独立系のミュージシャンがよい音楽を作り、それをノンパッケージで売る。今後もメジャーから外れた才能のあるミュージシャンを集めてユナイテッドしたい。この流通を使って新しい波を作っていきたい。そうひそかに考えています。


メジャーに対するカウンター

「THE SUN」のときは、ソニーに権利が残っていたので全曲配信することはできなかった。今年リリースしたアルバム「COYOTE」は全曲ダウンロード配信を実現した。ぼくはたいへん嬉しかったですね。

これからのメジャーカンパニーは変わるべきだ。彼らの組織力は活かされるべき。しかし原盤を作ったりやプロデュースをする能力は外にあっていい。強い営業と音楽に特化したプロモーション。そのアーティストに合った独特の音楽プロモーションを展開してくれる会社になってはどうか。そういう業態に変えていくしかないんじゃないか。漠然とそう思う。ぼくはそうしたメジャーに対するカウンターとしてDaisyMusicを位置づけたいと思っている。メジャーがライツのしがらみで動きにくくなってるところに、DaisyMusicは正しいと思えることをフットワーク軽く実現していくレーベルにしたい。ファンが「Whehehei!!!」と言ってくれるような、直感的に楽しいと言ってくれるような、そんなレーベルにしたいと考えている。

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