これは、
倉田翠コメント
私はその頃、この場所に来ることが怖かったと思う。
そこに居る人たちが実際に怖かったわけではない。
私の存在がここで、何一つ必要とされておらず、安易に共感することもできず、何の意味もなく、ただ、まるで何かをしようとやって来たアーティストというラベルだけが付けられて、みんなから「どう思われているか」ということにひたすら怯えていた。
私は、私に意味がある場所を必死に探していたと思う。または、共感していいものたちを。
ずっとそうしてきたようにも思う。
私がただ居てもいい場所を、演出家という立場を使い作ってきたと思う。少なくとも、私は私の作品の中には居られるだろうと。
そして、すぐ次のどこかに行く。
それが、私にとって、「作品を作る」ということだと思う。または、私の存在を確かめる行為であったと。
人には「意味なんてなくていい」と言えた。
社会的な立ち位置を取っ払って、そのままでいいよ、と。
私はたぶん私に、そのままでいいよ、と言えない。
必要とされたい、誰にも嫌われたくない、何かにはなりたい。
この場所にある小さなカフェで開催された小学生3人組のクラシックギターのコンサートを聴きに行った。
お店は満員で、立ち見客でぎゅーぎゅーだった。
ほとんど知っている人たちだったけど、それが私は逆に怖かった。私は、ここにいて良いのかと。
演奏が始まる。あまりにも優しい。
この音楽だけは、私にも、そこにいる人たちにも、同じように聴こえているんだ、と思った。
私は異常なほど泣いて、そして、本当は怖いんだ、と、平気ぶっている表面を切り裂いて身体の奥から確認した。
無防備だった。
立場が剥ぎ取られて、身体が線みたいになって消えかけて、ギリギリ、泣きすぎている恥ずかしさだけで自分が自分であることを確認しているような。
だから、ここな、
私は、ここなの音楽は私のダンスには優しすぎるんだけど、と言ったけど、全然そうじゃない。
キツすぎるんだと思う。
あまりにも美しい。
私はそんなに良い子じゃないし、心身ともに健康で、まったく頭もおかしくない。
全然弱くないし、これまで、かわいそうだったことなんか一度もない。
こっちではな
倉田翠
akakilike「“倉田翠ソロ2” 音楽 宇山心奈」
2025年3月27日(木)〜29日(土)
京都府 THEATRE E9 KYOTO
スタッフ
演出・構成:
出演
倉田翠 / 宇山心奈
※高校生以下料金あり。
ステージナタリー @stage_natalie
倉田翠のソロダンスと宇山心奈の音楽による、akakilike新作パフォーマンスが京都で(コメントあり)
https://t.co/LrW91UZzWB https://t.co/RPmbrzZx7J