秋の特別企画 京都講談×らくたび「玉田玉秀斎の『京都がたり』第八回 講談『豊臣秀吉と幻の京都』~聚楽第と京の大仏つぁん~」が、10月4日に京都・京都劇場で上演される。
「京都がたり」は、玉田玉秀斎が京都にまつわる新作講談を創作し発表するシリーズ。今回は、豊臣秀吉をテーマにした新作講談「豊臣秀吉と幻の京都」を披露する。
また前回に続き、らくたびの若村亮代表が登場し、講談の前にトーク「京都人は、秀吉が好き?嫌い?」を展開。また講談会の終了後、玉秀斎、若村と共に豊臣秀吉ゆかりの社寺史跡をめぐるツアー「秀吉ゆかりの社寺を訪ねて」が行われる。ツアーの申込締切は10月2日まで。
玉田玉秀斎コメント
天正14(1586)年、豊臣秀吉の命で建造を開始した聚楽第と京都大仏。
聚楽第は栄耀栄華を極めた造りで、京都大仏は奈良の大仏を越える大きさでした。
ところが、聚楽第は完成から約8年後に秀吉自らが壊し、京都大仏は完成から約1年後に地震により壊れました。
今となっては幻となってしまった聚楽第と京都の大仏。
その当時の模様を「見てきたように」講談を語らせて頂きます。
天正14年と言えば、秀吉は戦においてはまだまだ天下取りの真最中。
九州の島津、東北の伊達、さらに小田原の北条という強敵がまだ秀吉に従っておりませんでしたがしかし、政では大きな躍進を遂げた時代でした。その前年、天正13(1585)年に関白就任。その翌年に太政大臣となり「豊臣」の姓を賜り、ここで豊臣秀吉になったのです。
官位にこれ以上はないところまで昇り詰め、聚楽第に後陽成天皇の行幸まで受けるという、まさに天皇も認める存在となりました。
さらに同じころに京都大仏が建造され、文禄14(1595)年には方広寺大仏殿が完成。
奈良の大仏よりも大きく、そこで開かれた父母の大法会は主要な八宗から総勢約千人の僧侶が招かれ盛大に営まれたのです。まさに宗教界をも治めることになりました。
天下人となった秀吉の大事業。
そこには一体どんなドラマがあったのか。いよいよ物語が動き始めます。
秋の特別企画 京都講談×らくたび「玉田玉秀斎の『京都がたり』第八回 講談『豊臣秀吉と幻の京都』~聚楽第と京の大仏つぁん~」
2022年10月4日(火)
京都府 京都劇場
トーク「京都人は、秀吉が好き?嫌い?」
出演:若村亮
講談「豊臣秀吉と幻の京都」
出演:玉田玉秀斎
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四代目 玉田玉秀斎 @nanyouk
「京都といえば玉田、玉田といえば京都」と言われるようにするのが、僕のつとめ!!
97年ぶりに復活した家だから、やるべき事が色々とあります♪♪
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