アメリカの権威ある演劇賞・トニー賞の第76回授賞式が6月12日(日本時間)に開催された。日本では近年、WOWOWにて中継番組が放映されており、毎年楽しみにしているファンも多い。しかし、今年はトニー賞授賞式を巡る放映可否の騒動により、トニー賞授賞式ファンの多くが気を揉んだ。事の発端は、5月2日の全米脚本家組合(WGA)によるストライキ。これにより、WGA所属の脚本家が台本を執筆するトニー賞授賞式は放映が危ぶまれる事態となった。さまざまな経緯を乗り越え、無事、式の模様が中継された今年のトニー賞授賞式について、アメリカ在住の演劇プロデューサー、
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台本なしでも心から語られた第76回トニー賞授賞式が
ストライキ中にもかかわらず成功した理由
アメリカ・ニューヨークのブロードウェイに携わる舞台人や舞台ファンたちは、1年で最も重要な一夜であるトニー賞受賞式が「今年は開催されないかもしれない」という不安と共に、その開催の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。
5月2日より、テレビや映画の脚本家たちを代表する全米脚本家組合(WGA)がストライキを実施していた。ストライキは、作品のストリーミングやAI(人工知能)導入による脚本執筆に対する不満、労働条件の改善における、映画・テレビ製作者協会(AMPTP)との交渉が難航したことによるもの。トニー賞授賞式は、さまざまなエンタテインメント業界の賞レースと同様にテレビ放映されているイベントで、プロの脚本家が台本を手がけ、愛きょうのある一人語りやウィットに富んだ掛け合い、時には司会やプレゼンターによる歌唱など、数カ月にわたる準備期間を必要とする。トニー賞授賞式を約1カ月後に控えたWGAのストライキ実施は、脚本家をはじめとするスタッフが時間をかけて準備してきた仕事が無駄になることを意味した。加えて、ストライキの目的と連帯して、WGAに所属しない俳優や賞の候補者、テレビ放映のためにオープニングの新曲を手がけていた
トニー賞授賞式開催・放映の裏側で、何が起きていたのか
トニー賞授賞式を予定通りに開催するために、トニー賞運営委員会はWGAに対し、所属する脚本家たちの継続的な起用を求めた。しかし、WGAはこれを拒否。その決断は、“脚本家を起用させないことでハリウッドの映画産業にダメージを与える”という、WGAの強固な意志と姿勢に基づくものだが、例外さえも認められないという事実は、舞台界にとって大きな衝撃だった。というのも、舞台の制作者はほぼ満場一致で仲間のアーティストやWGAのストライキを支持し、多くのトニー賞運営委員会のメンバーが自らデモに参加していたからだ。
トニー・クシュナーら、デモに参加する著名な脚本家たちの後押しを受け、トニー賞運営委員会は「トニー賞授賞式の中止は、所属する劇作家や、現在、演劇業界で働いているほかのアーティストたちにも損害を与えることになる」とWGAに再び掛け合うことに。その訴えが功を奏し、5月15日、WGAはトニー賞授賞式を脚本なしで進行することを条件に、メンバーやストライキの支援者のトニー賞授賞式への起用・参加を許可した。
このことは業界に大きな安堵感を呼んだ。しかし、WGAは賞の候補に挙がったWGAメンバーに対し、「授賞式に参加する代わりに、万が一受賞した際にはスピーチを前もってテープに録音するか、WGA非所属の候補者に賞を譲るかの対応をするように」というメールを送ったのだ。暗に「授賞式の出席辞退」を促している彼らの行動に、ノミネートされていた脚本家たちは大きなショックを受けた。また、「イントゥ・ザ・ウッズ」でミュージカル主演女優賞にノミネートされていたシンガーソングライターのサラ・バレリスなど、脚本賞以外の部門で名が挙がるWGAメンバーにも影響が及んだ。WGAの複雑な指示のおかげで、WGAに所属していようがいまいが、多くの候補者たちは今回のトニー賞授賞式に参加すべきか、葛藤することになる。
WGAが送ったメールに対し、また別の組合であるアメリカ劇作家組合(アメリカの劇作家・作曲家・作詞家を代表する組織)は、影響があった候補者と面会し、授賞式に参加するよう助言した。結局のところ、ストライキに対して演劇業界や同業者への支持を示す方法は、授賞式に参加し、聴衆の前でその大義への賛同を示すことだったからだ。
なぜ、トニー賞受賞式の放送が重要か
ブロードウェイで上演される作品は、平均で数百万ドルもの製作費がかかる。ほとんどの作品は、トニー賞がチケットの売り上げに貢献し、作品の認知度を高め、将来の国内外でのツアー上演の可能性にもつながるため、多額の製作費や劇場使用料、労働組合に加入する出演者、スタッフにかかるコスト(毎週およそ数十万ドルかかる)は余りあるものだと考えている。トニー賞授賞式は通常、シーズンの最後となる6月、夏の繁忙期を前に観光客へのアピールを最大限高められる時期に行われるようスケジュールされている(編集注:2021年はパンデミックの影響で9月に実施された)。もし、WGAとトニー賞運営委員会の交渉が決裂した場合は、テレビ放映がキャンセルされたか、少なくとも日を改めて放映されただろう。これはトニー賞によって興行の売り上げを伸ばし、上演の継続を望んでいた作品にとっては大きな痛手となっただろうし、作品ごとに雇われる数百人もの人々の運命を変えることになっただろう。このような状況は、すでに完成し、その対価が労働者に支払われたものに対して表彰する、音楽や映画での賞レースとは異なる。“トニー賞が多くの人々にその雇用を維持できるかどうかの直接的な影響を及ぼす”という、舞台界の不安定な性質が、最終的にWGAのトニー賞授賞式開催における合意を勝ち取ったのだ。
トニー賞授賞式はブロードウェイにとって、作品を国内外の観客に露出できる最初で最大の機会であるとも言える。アメリカの多国籍メディア企業・CBSコーポレーションと視聴行動分析サービスを提供するニールセンは、今年のトニー賞授賞式の放映がパンデミック以来、最多となる約431万人の視聴者数となったことを発表した。また、商業演劇の事業者団体であるブロードウェイリーグによると、パンデミック前の2018-2019シーズンではチケット売り上げの65%をニューヨーク外の観光客が占めており、その内訳は、46%がアメリカのそのほかの都市、19%が国外の観客だった。世界中の消費者がトニー賞のノミネーションとその受賞結果を作品の品質の指標としているため、テレビ放映で良い印象を残すことは必須である。
テレビ放映では、ミュージカル作品賞にノミネートされたすべての作品がパフォーマンスを披露する。たった4分の断片的なパフォーマンスに、約20万ドルの費用がかかるが、主要な賞にノミネートされていない公演でも、チケットの売り上げ増加につながると思われる場合は、出演枠を購入することができる。何百万人もの潜在的観客が世界中から注目していると思えば、多くの場合はその価値があると判断するだろう。世界的にヒットしたミュージカル「ウィキッド」「美女と野獣」のように、トニー賞を獲得できなかったものの、テレビ放映でのパフォーマンスが注目を集めた作品は、放映後にライブが開催される場合も多い。例えば、「美女と野獣」は1994年のトニー賞で衣裳賞を受賞しただけだったが、放映されたナンバー「ひとりぼっちの晩餐会」が視聴者の心を捕らえ、翌日公演では130万ドルものチケットを売り上げ、当時の1日あたりの売り上げ最高額を記録。テレビで放映される授賞式の力を証明した。
台本なしの授賞式はうまくいった?
心温まる進行をする司会者や機知に富んだジョークを交えて場を盛り上げるプレゼンターが視聴率を上げ、授賞式の成功につながることに疑いはない。しかし、台本を執筆する脚本家がいなかったにも関わらず、今年のトニー賞授賞式は驚くほど楽しく、時間通りに進行した。パフォーマンスにはより多くの時間が割かれ、受賞者たちは心からのスピーチを述べた。つまるところ、それが私たちが授賞式を観る目的なのではないだろうか。
過去に台本なしのトニー賞授賞式が行われたのは、「オペラ座の怪人」がミュージカル作品賞に輝いた1988年の授賞式で一度だけ。当時もWGAがストライキ中で、司会を務めたのは
台本がないからこそ、今年のトニー賞授賞式では人為的なミスによる“生きたコメディ”の瞬間もあった。演劇助演女優賞のプレゼンターを紹介するはずだったデボーズは、ジャケットの袖をまくり、腕に書いたあんちょこをカメラに見せながら、「(自分が書いた)このメモが私には読めない。誰が出てくるかわからないけど迎えて!」と言い放ち、台本なしの進行であることを自ら証明したのだ。
台本なしのテレビ放映は、短いスピーチや説明、生パフォーマンス、そして受賞歴のあるデボーズのダンスをフィーチャーした躍動感ある展開のおかげで、スムーズに運んだ。ステージ上で“言葉”が主役になると、人間の瞬間的な判断と行動の美しさ、自分の言葉で心から話そうとする人々の感情に重きが置かれる。受賞者はWGAとストライキ中の脚本家仲間にさっと感謝の意を述べ、事前に用意された“政治的声明”の代わりに個人的なエピソードをシェアした。スピーチでは多くの受賞者たちが、同情を引くためではなく、人々に希望を与えるために、自らが直面した困難や葛藤について語った。中にはトランスジェンダーやノンバイナリーの人々を支持するスピーチも見受けられた。「シャックト」でミュージカル助演男優賞を受賞したアレックス・ニューウェルと、「お熱いのがお好き」でミュージカル主演男優賞に輝いたJ・ハリソン・ジーは、ノンバイナリーのパフォーマー。人種差別が世界に蔓延していることは、演劇リバイバル作品賞を獲得した「トップドッグ / アンダードッグ」の作者スーザン=ロリ・パークスもスピーチで触れ、「トップドッグ / アンダードッグ」の出演者たちに「ときに生きるのがつらいこの世界で、力強い生きざまを見せてくれて、ありがとう」と感謝した。
“無条件の愛の力”こそ、今年のトニー賞授賞式のテーマだった。性別、人種、能力、体格に起因する迫害を受けたかどうかに関係なく、受賞者たちは、自分たちの可能性を信じ、夢を実現するうえで演劇が、ひいては脚本家が生み出す作品が大きな役割を果たしたことを明らかにした。
授賞式でのパフォーマンスの力強さが物語ったように、今後、トニー賞で良い授賞式を行うために脚本家が必要になるかはわからない。しかし、テレビ放映がもたらす視認性と、番組から切り取られ、YouTubeやSNSで拡散された動画は、ブロードウェイの作品を世界中の新しい観客やファンとつなぐために不可欠なものだ。先に述べたように、完成された作品を楽しむ音楽や映画とは異なり、演劇は常に変化し呼吸する流動的な芸術であり、空間を共有する人々の体験を必要とする。舞台とは、人々が夜ごと演じ、伝えるためにつづった、言葉で構成する止まることのない進化で、WGAが闘っているように、その“魔法”はAIが代わりを務められるものではない。トニー賞授賞式のパフォーマンスで、ミュージカル「ファニーガール」のヒロイン、ファニー・ブライスが演劇ファンに思い出させたように、“人を必要とする人たちこそ、世界で一番幸運な人たち”なのだから。
プロフィール
ナタリー・ライン
国際的に活動するプロデューサー。アメリカを拠点に演劇制作、ライセンス提携の管理をするBroadway DNAを創設。これまでロジャース&ハマースタイン、Tams Witmark、ドリームワークス・アニメーション、ブロードウェイのプロダクションの作品などを担当。OnStage Blogでニューヨークのアソシエート演劇批評家、アメリカ演劇批評家協会の会員を務める。
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紫 @purpleeo
台本無しであれだけのクオリティの進行
なにより、やっぱり
この中の作品が早く日本でも上演してほしいと
強く思った
宣伝効果も絶大
↓
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