岡幸二郎

ミュージカルの話をしよう 第6回 [バックナンバー]

岡幸二郎、前奏を聞いたあのとき“夢”と出会った(前編)

アンジョルラスで終わろうと思っていた“レミゼ人生”

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生きるための闘いから、1人の人物の生涯、燃えるような恋、時を止めてしまうほどの喪失、日常の風景まで、さまざまなストーリーをドラマチックな楽曲が押し上げ、観る者の心を劇世界へと運んでくれるミュージカル。その尽きない魅力を、作り手となるアーティストやクリエイターたちはどんなところに感じているのだろうか。

このコラムでは、毎回1人のアーティストにフィーチャーし、ミュージカルとの出会いやこれまでの転機のエピソードから、なぜミュージカルに惹かれ、関わり続けているのかを聞き、その奥深さをひもといていく。

6人目は、今年芸歴32年を迎える岡幸二郎。長身と抜群のスタイルから貴族然としたオーラを放つ岡は、豊かに響く歌声を生かし、数々の大舞台で大役を務めてきた。コンサートやショーの作り手としても活動する彼は、巧みなトークで観客を沸かせてもいる。前編では岡に、地元でよく知られた“歌好き少年”だった頃の思い出や、代表作となったミュージカル「レ・ミゼラブル」への思い入れ、浅利慶太やジョン・ケアードにかけられた忘れられない一言について語ってもらった。

取材・/ 中川朋子

歌好きな少年の夢は「コーラスライン」冒頭で決まった

──岡さんは3歳のときに初めて人前で歌われたそうですね。曲は「ゲイシャ・ワルツ」だったそうですが、歌を好きになるきっかけはどんなことだったのでしょうか。

実家は電器店で、小さい頃はよく祖母と過ごしていたので、「ゲイシャ・ワルツ」のような祖母世代の歌を聴いて育ちました。祖母は詩吟と謡を教えていたので、その影響で私も声を出すことが好きになったんです。

幼少期の岡幸二郎(左)。詩吟と謡を教えていた祖母(右)と共に。

幼少期の岡幸二郎(左)。詩吟と謡を教えていた祖母(右)と共に。

──子供時代は、音楽のレッスンを受けたり教室に通われたりしましたか?

歌は好きでしたが習った経験はなくて、今でも楽譜が読めないんです。小学4年生くらいのとき、絵画教室に行ってみたことはあるのですが……1日だけ行って「自分には才能がない」と思ってやめてしまいました(笑)。でも書道だけは、5歳から高校3年生までずっと続けて。母方の叔父が書道を教えていたのと、地元に有名な書道の先生がいたのでそちらでも習っていました。姉はピアノの先生になったんですが、振り返れば私も、ピアノや謡をやっておけばよかったなと思います。

幼少期の岡幸二郎。

幼少期の岡幸二郎。

──中学ではブラスバンド部でチューバを担当されました。

やはり音楽への関心が高かったんですね。中学生になると、部活の勧誘があるじゃないですか。私は中学に入ったときすでに身長が175cmあったので、バレー部やバスケ部の勧誘は来たんです。でもブラスバンド部は来なくて……「来ないならこっちから行ってやる!」と思って入部した次第です(笑)。

──そして高校1年生のとき、劇団四季の「コーラスライン」で初めてミュージカルに出会われます。なぜこの作品に惹かれたのでしょう?

15歳のとき、福岡サンパレスに「コーラスライン」が来ることになって。当時は前田美波里さんが出ていたので、「前田美波里という人を観てみたい」と思ってチケットを買ったんです。当日は結局、美波里さんは出演されませんでしたが(笑)。「コーラスライン」の冒頭って、「タタンタタンタンタン!」と前奏が流れて、パッと照明が点きますよね。あの瞬間にゾクゾクッとして「あ、これをやろう」と思いました。

合唱にバイトに大忙しの大学時代、そして劇団四季へ

──ミュージカルと出会ってからは、高校時代をどのように過ごされましたか?

地元の福岡・大川市に「古賀政男記念『大川音楽祭』」というコンクールがあり、私は15歳のときに「古賀メロディー部門」で最優秀賞をいただいたんです。当時の最年少記録でした。それで地元で有名になり、頼まれていろいろなところに歌いに行きましたね。それが忙しくて、高校ではクラブ活動をほとんどやりませんでした。

──高校卒業後は福岡を離れ、大東文化大学の外国語学部に入学されます。やはりミュージカルを志して上京されたのでしょうか?

そうですね。今から40年近く前なので、親に「ミュージカルをやりたい」と言ってもきっと「何それ?」という感じだと思って。ミュージカルをやるにはとりあえず東京に出ようと思ったので、子供の頃から続けていた書道を“盾”に「書道が有名な大東文化大に行く!」と(笑)。

──大学では学業以外に、どのようなことをされていたのでしょう?

入学してしばらくはサークルにも入りませんでしたが、あるときNHKで「第九をうたおう」という番組を観て、無性に「第九」が歌いたくなって。それで大学1年の11月に、混声合唱団に入団しました。ちょうど学祭の時期で、最初の活動はそのお手伝い。みんな「なぜ今、こんなデカい男が突然やって来たのか」と不思議がっていましたね。3年生になったとき、合唱団をしばらく休みました。その時期はパートリーダーやサークル幹部を決める選挙があって、ほかの3年は忙しかったのですが……私はディズニーランドでバイトしていて。4年になって合唱団に復帰したら、一番大変なときに休んだので大ブーイングでした(笑)。

──(笑)。東京ディズニーランドではパフォーマーをされていたんですか?

そうです。4年になり、合唱団で最後の定期演奏会をやったときは、ディズニーメドレーのコーナーで演出と振付、衣装を担当しました。当時は関屋晋さんという、合唱界の神のような方が常任指揮者で。私がディズニーメドレーをディレクションしていたら、関屋さんから「お前、劇団四季に行くわけじゃないんだから」と怒られて……結局私は卒業後、劇団四季に入りましたが(笑)。

──劇団四季に入る前、大学4年生のときには、市川猿翁(当時は市川猿之助)さん演出のミュージカル「イダマンテ」で初舞台を踏まれています。

大学受験で東京に来た頃、ちょうど猿之助さんの「スーパー歌舞伎 ヤマトタケル」初演が行われていて。どうしても観たくて、当日券で観劇したら大感動でした。それで猿之助さんがミュージカルを演出すると聞いて、オーディションを受けたんです。公演本番と教育実習が重なりましたが、「イダマンテ」を選びました。そして卒業した年の1月、四季のオーディションに受かりました。オーディションでは「歌謡曲では失礼だろう」と、そのときだけ先生についてイタリア歌曲を習い、それを歌ったんです。私は歌のオーディションで入ったのでダンスの経験は全然なく、でも劇団では毎朝バレエのレッスンがあるので大変でした。ただ不思議と苦にはならなくて。劇団での活動は何もかも初めてでしたし、バレエのレッスンも舞台をやるには必要な訓練だと考えていたんだと思います。

──劇団四季での初めての作品は、1991年のミュージカル「李香蘭」ですね。

「李香蘭」の中国公演では、通訳兼出演者を務めました。大学で専攻した中国語が役に立ちましたね(笑)。四季には約3年在籍して、離れることになりました。荷物をまとめて出ようとしたとき、浅利慶太さんからすれ違いざまに「お前もバカだな」と言われたんですね。数年後、劇団の先輩から「実はお前がオーディションを受けた日、浅利さんが『俺はこいつを(ミュージカル「ウェストサイド物語」の)トニーにする』と言っていた」と聞いて……もし劇団に残っていたら、トニーを演じていたのかもしれません。浅利さんが私にそれほど期待してくれていたのかはわかりませんけど、背が高いことは評価してくれていたと思うんです。ミュージカル「オペラ座の怪人」のラウルにキャスティングされたとき「なんで選ばれたのかわかるか? ラウルコートが似合うからだ」と言われましたから(笑)。

“おばあちゃん”とつかんだアンジョルラス

──劇団在籍中に「レ・ミゼラブル」のオーディションを受けられたそうですが、どのように出会われたのでしょうか?

実は劇団四季に入る前から、帝国劇場で2本のミュージカルが決まっていて。「李香蘭」の前に大地真央さんの「マイ・フェア・レディ」と、「オリバー!」に出演しました。今はそんな人いないでしょうけど、当時私は劇団四季の稽古場に朝行って掃除をし、バレエのレッスンを受けてから帝劇に通っていたんです(笑)。

──その2作が「レ・ミゼラブル」につながった?

それがそうでもなく(笑)。私は「オリバー!」で共演したある子役と仲が良くて、ご家族とも親しくしていました。中でも一番仲良しだったおばあちゃんに「岡くん、『レ・ミゼラブル』のオーディションがあるわよ」と言われたのがきっかけでした。それで書類を出したら無事に最終オーディションに進めたのですが、オーディション日が四季のミュージカル「クレイジー・フォー・ユー」のアトリエ稽古と重なってしまい、そのことをおばあちゃんに相談したんです。そうしたら当日、四季の稽古場を仕切っている先生から「岡、おじいちゃんが危篤らしい」と告げられ、「あっ、おばあちゃん、そう来たか」と思って(笑)。それで虎の門病院に行くということにして、帝劇でオーディションを受け、何食わぬ顔で稽古場に戻りました。

──そうしてアンジョルラス役をつかまれたんですね!

はい。本当に、今の私があるのはあのおばあちゃんのおかげ。おばあちゃんには“主演女優賞”をあげたいです。オーディション結果は、「クレイジー・フォー・ユー」初演のときに日生劇場で聞きました。劇場の公衆電話から自宅の留守電を確認したら東宝の方から連絡があり、折り返したら「『レ・ミゼラブル』合格です」と言われて。でも劇団四季の楽屋で大っぴらに喜ぶわけにもいかないので、冷静に「あ、そうですか」と答えた(笑)。「クレイジー・フォー・ユー」には、主人公のボビーが積み上げた椅子に登って、赤い旗を掲げるという「レ・ミゼラブル」のパロディがあります。私が演じたムースは「フランス革命のミュージカルをやるわけじゃあるまいし」と言われる役だったので、「レ・ミゼラブル」の合格がわかってからは「その革命のミュージカルを、自分はこれからやるんだよな」と思いながら旗を持っていました(笑)。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より。列の先頭に立つのが、岡幸二郎演じるアンジョルラス。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より。列の先頭に立つのが、岡幸二郎演じるアンジョルラス。(写真提供:東宝演劇部)

ちなみになぜアンジョルラス役で受けたかと言うと、当時の私の年齢でオーディションを受けるならマリウスかアンジョルラスのどちらかだった。でも受ける前に観劇したら、マリウスがすごく嫌なやつに思えて……だからマリウス以外がよかったんです。個人的にマリウスは、私の“3大・嫌いなミュージカルのキャラクター”の1人(笑)。マリウスと、「ミス・サイゴン」のクリス、「アスペクツ・オブ・ラブ」のアレックスは、3人ともいまいちはっきりしない感じが好きじゃなくて……。

──あははは! 岡さんは「レ・ミゼラブル」で、1994年から2001年まで若き革命家アンジョルラス役、2003年から2011年まで革命を鎮圧しようとする警部ジャベール役を演じました。特に印象的だった出来事はありますか?

初めて出演したとき、私は稽古でジョン・ケアードから何のダメ出しも褒め言葉ももらえなかったんですよ。それで舞台稽古直前に打ち上げで居酒屋に行ったとき、帰りにジョンを捕まえて「不安だから何か言ってくれ」と頼んだんです。そしたら彼はたった一言、「お前は大丈夫」と言いました。私は演じるうちにアンジョルラスが大好きになったので何度も出演しましたが、ジョンのその言葉だけを信じて続けてきました。

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より、岡幸二郎演じるアンジョルラス。(写真提供:東宝演劇部)

ミュージカル「レ・ミゼラブル」より、岡幸二郎演じるアンジョルラス。(写真提供:東宝演劇部)

ジョン・ケアードは休憩時間まで私たちを見ていた

──「レ・ミゼラブル」は、毎回厳しいオーディションがあることで有名です。岡さんご自身も何度もオーディションを受けられてきたと思いますが、これほど長い間、「レミゼ」に参加し続けてきたのはなぜなのでしょう?

こんなことを後輩や共演者に言うと怒られそうですが、実はアンジョルラスのオーディションのときは歌詞を覚えていなくて……「ラララ」で歌いましたが、合格しました。だから「厳しいオーディションで」なんて言われると、ちょっと肩身が狭い(笑)。それと、実は私はアンジョルラスをやりきり、もう自分の“レミゼ人生”は終わろうと思っていました。でも東宝のプロデューサーのすすめでジャベールも受けることになり、案の定オーディションのときは歌詞を覚えていなかったので、譜面を見ながら「スターズ」を歌いました。

──それでも見事合格された。

歌詞を覚えて完璧に歌えたから受かるとか、そういうことではないんでしょうね。振り返ると、劇団四季のオーディションもそんな感じでした。準備してきたイタリア歌曲をいざ歌ったら、浅利さんに「日本語じゃないとわからないよ」と言われたし(笑)。それで「エビータ」の「星降る今宵に」を鈴木壮麻(当時は芥川英司)さんをまねて歌ったら、原曲は全然違って、鈴木さんがかなりアレンジして歌っていたことがわかって……それでも合格したわけです。だから、オーディションの教訓としては「歌や芝居だけ見られているわけじゃないぞ」ということ! 私はアンジョルラスに関して厳しいので(笑)、(原田)優一がアンジョルラスに選ばれたときジョン・ケアードに理由を聞いたんです。そうしたらジョンは「オーディションの休憩時間、みんなが優一の周りに集まっていた。人を呼び集めるのではなく人が自然に集まって来る、アンジョルラスとはそういうものだ。だから優一はアンジョルラスに向いている」と言っていました。私は九州大谷短期大学表現学科の客員教授をしていますが、このことは必ず学生にも伝えています。ジョンは候補者の空き時間の姿まで見たうえで、ふさわしい役を選んでいたんですね。

前編では、「コーラスライン」をきっかけにミュージカルを志した少年時代から、代表作の1つ「レ・ミゼラブル」にまつわるエピソード、オーディションの心構えなどを聞いた。後編では、グランドミュージカルから2.5次元舞台まで多岐にわたる岡の仕事の選び方、スーパーバイザーを務める「恋するブロードウェイ♪」シリーズの秘話、作り手としての信念などを聞く。

プロフィール

1967年、福岡県大川市生まれ。大学4年のときに「イダマンテ」で初舞台を踏む。大学卒業と同時に劇団四季オーディションに合格し、1993年まで在籍。1994年にミュージカル「レ・ミゼラブル」のアンジョルラス役で人気を博し、その後同作でジャベール役を務めた。主な出演ミュージカルに「オペラ座の怪人」「クレイジー・フォー・ユー」「ピーターパン」「風と共に去りぬ」「ミス・サイゴン」「プロデューサーズ」「グランドホテル」「タイタニック」「1789 -バスティーユの恋人たち-」など。フルオーケストラをバックにミュージカルの名曲を歌うコンサートシリーズ「ベスト・オブ・ミュージカル・コンサート」にも取り組んでおり、九州大谷短期大学では客員教授を務める。今年5月から7月にかけては、「ロミオ&ジュリエット」が控える。

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