
Travelin' Man & Woman Vol. 12 [バックナンバー]
田中ヤコブ(家主)がつづる旅エッセイ
「納車して店を飛び出すと、そこには広大な自由がありました」
2025年5月20日 18:00 2
5月16日は松尾芭蕉が奥の細道に旅立ったことから“旅の日”に制定されています。多くの人にとって人生における大切な要素である“旅”。 5月16日から展開中の本連載では、旅好き / ツアーなどで各地を飛び回るアーティストに、旅をテーマにしたエッセイを寄稿してもらいます。
今回はバイク乗りとして知られる田中ヤコブ(
文
受験が終わったらどこか遠くへ行きたい、そんなことをずっと考えていた
私は家にいるのがとても苦手で、今現在自分の部屋でさえもどこに居たら良いのかよくわかりません。家具や調光の好き嫌いさえわからない。天気が良かったりすると家に居ることもとても耐えられない。外に出なきゃ、という強迫観念に駆られます。私にとって旅とは消去法で残った選択肢というか、逃避に近い行為かもしれません。
私が旅(?)を始めたのは高校時代、受験勉強を始めたとき。駅前の予備校に通っていて同級生が多いことに辟易し、兄のお下がりの原付で自宅から20分くらいかけて少し遠くの人が少ない図書館や地区センターに通い始めました。勉強という行為を旅のついでにしたら続けやすかったのです。人が多いところや集団が嫌い、という価値観がだんだんと形成され始めました。
夏期講習も終わろうかという時期に台風一過で晴れた日、明らかに涼しくなった夕暮れに聴いたムーンライダーズ「さよならは夜明けの夢に」は忘れられません。この頃から音楽と風景の親和性について考えるようになりました。時期を同じくして「水曜どうでしょう」も好きになりました。
受験が終わったらどこか遠くへ行きたい、同級生はくだらない、一生勉強なんてしたくない、パワーポップをやりたい、そんなことをずっと考えていました。
周りとの価値観はどんどんズレていきました。自分の趣味が一般的でないことを自覚し、他人との共有や共感みたいなものにどんどん冷めていきました。
それから大学生になると愛車はマフラーから煙を出してぶっ壊れてしまいました。しかし大学は大東京、唯一出来た友達が散歩好きだったこともあり大学4年間は音楽を聴いては東京をひたすら練り歩きました。家主の楽曲「茗荷谷」という曲で描いた風景でもあります。
友達は片手で数えられるくらいしか出来ませんでしたがとにかく歩くことが楽しかった。その体験の延長か、親のカメラを借りパクして映像も撮るようにもなりました。ただの散歩道や歩いているテントウムシ一匹がビデオの素材になるなんて、この世はなんて面白いんだろうと興奮したのを覚えています。一人で生きる術を学んだ時期でした。
そして会社員になりました。ハナキンには職場のある川崎駅から羽田空港までスーツで歩くなど、散歩を続けていた自分に転機が訪れます。
バイクの免許を取得したのです。学生時代に原付で走ったあの鮮烈な景色を再び味わいたくなったのです。
2018年の夏、会社を辞めて免許を取得した私は神奈川県の伊勢原にてホンダレブル(MC13)を購入しました。納車して初めての運転は未だに忘れられないほどの興奮でした。
諸々の手続きを終えて鍵をもらいエンジンをかける。ままならない半クラ、バイク屋の出口は上り坂。早くも坂道発進が試される。店員のおっちゃん、緊張するからあまり見ないでくれ。
ブオーン! 暴走族のコールばりに吹かしつつなんとか店を飛び出すと、そこには広大な自由がありました。すげえ…すごすぎる。走るごとにバイクが身体に馴染んでいく。風景も何もかもが渾然一体となっていく。これがワンネス…そんなことを思いながら夏真っ盛りのダムや峠を走りました。この時期に聴いていたのは前野健太さんの「サクラ」というアルバムでした。
あとはバイクの運転中に私が敬愛してやまない人間椅子の和嶋慎治さんと偶然出会ったこともありました。芸能人や知り合いさえ見かけたこともないのに、どういう奇跡なのか説明がつきません。それをきっかけにソロアルバムにコメントをいただいたり対談も実現しました。バイクに導かれたのだと思っています。本当に不思議でした。
しかし今になって運転や景色にも慣れてしまうと、楽しいは楽しいですがそこまで感動することは日常的にポンポンとありません。冷めるようなことを言うとバイクに乗っていても常に楽しいわけではないです。ケツも痛くなるし。
特に自身の体調やメンタルが悪いと走りながら自問自答の時間が始まり、不安や自己嫌悪に襲われることも多々あります。それは自分自身と向き合う時間とも言えます。
心の声は自身に何を訴えているのか。
例えば富士山は5号目辺りまでバイクで行けるのですが、そこまで行って思ったことは「すげえ寒くて暗くて高くて怖い」という感じでした。
「何があるんだろう…!」と期待していても、肩透かしを食らうことが多々あります。
みんなは雲海を見て感動するのかも。でも自分は変に冷めている。旅は心の物差しを育ててくれるけど、その物差しが生きづらさに繋がっていないか。本当の好きとか本当の嫌いとか。他人と合わせた方が良いときもある。時代や年齢とともに"適切な感想"を言わなきゃ、という気持ちもどんどん芽生えてくる…。
「富士山は遠くから見るぐらいで十分だったよ?」うーん…B'zの稲葉さんも「たまにゃ海も山も人も褒めろよ」って歌ってたし…でも面白くはなかったよな。
みたいなことをブツブツ考えながら富士山をくだります。
バッドな運転中の頭の中はこんな感じです。
社会の中の自分、自分の中の自分。生きてるって何なんだろう。自由にも服のようにサイズがある、自分に合う自由のサイズはどのくらいなんだろう。自由は縛りの中にある方が良いのか。お金はどれくらい必要だろう。もっと働くべきだ。若い人の価値観がわからない。まだ自分が社会的に最年少のような気がする。もう音楽は自分の中で遊びじゃなくなっているのか。
自身の心の声と対峙することのしんどさが旅の醍醐味かもしれません。歌詞の題材でも浮かべばラッキーですが。
こうして自身の旅の軌跡をたどってみると、自分にとって旅とは観光地や景勝地に行くことよりも移動というプロセスを通じて自身の心の動きを観察することなのかもしれないと思っています。
楽しいだけで生きられたら良いのに。
ご自愛ください。
移動中に聴きたい旅プレイリスト Selected by 田中ヤコブ
01. ムーンライダーズ「さよならは夜明けの夢に」
02. スプーキー・ルーベン「These Days Are Old」
03. 前野健太「嵐~星での暮らし~」
04. Fools Garden「Ordinary Man」
05. Crowded House「Don't Dream It's Over」
田中ヤコブ
1991年、沖縄生まれ神奈川育ち。インドア志向のアウトドア派で、趣味はバイク、散歩、バッティングセンター。2013年に結成されたバンド・家主でボーカル兼ギターを務めており、2023年12月に3rdアルバム「石のような自由」を配信リリースした。2025年6月から10月にかけてワンマンライブツアー「YANUSHI LIVE TOUR 2025」を開催する。またシンガーソングライターとしてもソロ活動も行っている。
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