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エンジニアが明かすあのサウンドの正体 第20回 [バックナンバー]

あいみょん、TENDRE、藤原さくら、Nenashi、U-zhaanらを手がけるyasu2000の仕事術(前編)

黒人の出すグルーヴが気になり渡米、現地でエンジニアに

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誰よりもアーティストの近くで音と向き合い、アーティストの表現したいことを理解し、それを実現しているサウンドエンジニア。そんな音のプロフェッショナルに同業者の中村公輔が話を聞くこの連載。今回はorigami PRODUCTIONSの専用スタジオでもあり、誰でも利用可能なbig turtle STUDIOSのハウスエンジニアを務めるyasu2000にインタビューを実施した。前編ではエンジニアになるまでの道のりと、あいみょんTENDREのサウンドについての話を掲載する。

取材・文 / 中村公輔 撮影 / 山川哲矢

渡米、音楽活動、エンジニア、帰国、スタジオ構築

──エンジニアになるまで、どういう音楽を聴いていましたか?

今ではオールジャンル好きですが、昔はバンドを組んでギターを弾いていたので、ロックをよく聴いていました。1990年代後半にメロコアが流行った時期で。その頃、レゲエもヒップホップも流行りだしたので、DJとしてそういうジャンルのレコードを回すようになって、バンドからDJにシフトしていったんです。ヒップホップが好きになってからサンプリングの元ネタを集め始めて、ソウルやジャズなどブラックミュージックにハマっていきました。

──ヒップホップはどんなアーティストを聴いていました?

たくさん聴いていましたね。2パック、ビギー・スモールズ(ノトーリアス・B.I.G.)、ビッグ・ダディ・ケイン。ほかにはDe La Soul、A Tribe Called Quest、Jurassic 5、Showbiz & A.G.とか。そこから掘り下げてサンプルネタとして聴き始めたのが、王道で言うとグローヴァー・ワシントンJr.とかマーヴィン・ゲイ、マイケル・ジャクソン、Earth, Wind & Fire。それからロバータ・フラックとかデニース・ウィリアムスも聴くようになりました。そのうち「黒人の出すグルーヴはなんでこんなに違うんだろう?」と気になり、その秘密をどうしても知りたくなって、現地に行くしかないと思いN.Y.に渡りました。

──それはいつ頃で、N.Y.ではどんな経験をされましたか?

1999年です。それでN.Y.の楽器屋さんでAKAI MPC2000XLというサンプラーを手に入れて、ビートを作るようになったんです。現地で意気投合した日本人のラッパーやトラックメイカーとユニットを組んだりして、そのときからyasu2000名義で活動しています。そしたらシェラーというA&Rから僕たちに声がかかり、彼女のホームでもあるプロジェクトの一室に住まわせてもらうことになりました。シェラーはそのあたりでは信頼のおける人気者で、あらゆるつながりを使ってトラックメイカーやラッパーを次々と紹介してくれて、一緒にトラック制作やレコーディングなどをさせてくれました。ヒップホップに強いラジオチャンネルHOT 97や、クール・DJ・レッド・アラート率いるDJチームを紹介してくれたり、ローリン・ヒルなどのエンジニアを務めたコミッショナー・ゴードンのスタジオにも行かせてくれたり、僕が日本にいたときに思い描いていた目標をはるかに超えた経験をさせてもらいました。ともにN.Y.で過ごした仲間たちには本当に心から感謝しています。

──貴重な体験をたくさんされたんですね。

そこで、トロイというMPC3000を使っていたビートメーカーがいたんですけど、彼にパッドの叩き方だったりグルーヴの作り方を教わりました。それでビートを作ってラップを入れることになったときに、MOTUのオーディオインターフェースに付録で付いてくるAudioDeskというソフトで初めて録音しました。そこで音楽ができあがるまでにミックスやマスタリングという複雑な工程があることを知って、現地で音楽の専門学校に通いエンジニアリングの勉強をしたんです。

──専門学校を卒業してからはどうされたんですか?

ブルックリンのブッシュウィックスタジオというところにインターンとして入りました。そこはロックやポップスが多いスタジオだったのですが、ヒップホップにも詳しい師匠的なエンジニアのアシスタントをして学び、扱うジャンルがどんどん広がっていきました。そうやってエンジニアとして活動していたんですけど、パスポートの有効期限が切れるタイミングにさまざまな問題が重なって、2005年に日本に帰ろうと決意しました。

──日本に戻ってからは、どういう経緯でbig turtle STUDIOSのエンジニアになったんでしょうか?

最初は知人の家の一軒家の離れをレコーディングスタジオとして賃貸して、バイトしながら音楽制作をしていました。N.Y.に住んでいたときにエンジニアとして仕事をさせてもらっていたBULLJUNと日本に帰ってからもつながっていて、彼が所属していたA.Y.B. Forceや彼のソロ作のエンジニアとして再びN.Y.に呼ばれたり。そのソロ作にキーボードでSWING-Oさんが参加していて、それがきっかけで対馬(芳昭 / origami PRODUCTIONS代表)と会うことができ、意気投合したんですね。その後、対馬がスタジオ経営も始めたいということで僕に声がかかり、2人で物件を探してD.I.Y.でスタジオを構築していって、気付けば11年が経ちました。

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ヒップホップは人間味を求める部分がある

──それでは曲の話を伺いたいと思います。A.Y.B. Forceの「Breaking Point」はMPCの構築からミックス作業までやられているとのことですが、トラックメイキングも含まれているということでしょうか?

そうですね、少しですがトラックメイキングから携わることができました。途中にパーカッションソロみたいなパートがありますが、そこにフレーズを切り貼りして作りました。僕がエディットした最初の仕事になります。

──そこでMPCの師匠から教わったグルーヴを生み出すスキルが生きてくるわけですね。ちなみに師匠からはどのようなことを教わったんでしょうか?

AKAI Professionalにブルース・フォラットというエンジニアが所属していて、DJプレミアのような大御所のトラックメーカーはMPC60とかMPC3000を使っていたんですよ。MPC2000がAKAIでのフォラットの最後の作品で、それ以降はちょっと音質が違うイメージがあって、3000と2000でもちょっと違う。まず機種によって音が違うということを教えてもらいました。MPC3000のほうがクオンタイズ(※演奏データのタイミングのズレを補正する機能)のグリッドの振り幅が広いんです。クオンタイズをしても再生すると揺れがあって、そこに人間味があるんですけど、その後発売されたMPC2000はそれがもう少し狭くなっていて固い感じがする。なのでハイハットはクオンタイズをオフで叩いたり、キックにRoland TR-808のキックをレイヤーで足したりとか。あとはクオンタイズのときのスイング(揺れ幅)の値はいじったほうがいいとか、そういうことを細かく教わりました。

──そのあたりはミックスをするときのリズムのエディットで役に立ってくるところですね。

かなり役に立ちました。グルーヴ感はそこで養われた気がします。ラップや歌のタイミングなんかもそうですね。

──そうやってグルーヴを作るところから入ったことによって、ポップスのエンジニアとは違うテクニックを使っていると思うことはありますか?

テクニックというより意識の話なんですけど、ポップスだとサビの頭でパーンってくるものが好きな人とか、ちょっとの揺らぎも気になる人が多いですよね。縦のタイミングをそろえることに神経質になったりとか。ヒップホップは人間味を求める部分があって、ある意味でユルさもあるので、スネアがモタっているところを残したりはしますね。あとはベースとキックのディケイ(音色の長さ)でグルーヴが変わってくるので気を使っています。

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