映画「
「ビー・バップ・ハイスクール」が1作目の公開から40周年を迎えたこのタイミングで、高瀬の妻であり高瀬道場の現主宰である多加野詩子と、同道場の師範・瀬木一将に話を聞くことができた。スタントとして作品に参加した2人が、あの無謀とも思えるアクションはいかにして作られていたのかを証言する。
文

誰もやったことがない映画を作ろうぜ
映画「ビー・バップ・ハイスクール」シリーズは、その後の不良映画のフォーマットを作った日本映画界の金字塔である。
40年過ぎた今もなお愛され続ける理由は、大きく2つある。1つは、魅力的なキャラの不良が次々登場すること。
そしてもう1つは、ブッ飛んだアクションシーンの連発による高い娯楽性である。これは、那須博之監督と、アクションを担当した高瀬道場のスタッフたちの手腕によるものだ。「ビーバップ」で技斗(=アクション監督)を務めた高瀬将嗣の妻であり、高瀬道場の主宰・多加野詩子は当時のことを、こう回想する。
「主人が、原作の単行本が出たころから『このマンガはすごいぞ』と興奮して道場のメンバーに読ませて回って、『これを映画化できないかな』と言っていたのを覚えています。(製作を担当した)セントラル・アーツの黒澤満さんにも話を持ちかけたこともあると聞いていますね。黒澤さんは高瀬親子が技斗をやった『嗚呼!花の応援団』シリーズの際に日活にいた方ですから、わかってもらえると思ったんじゃないでしょうか」
高瀬将嗣は「ビーバップ」1作目の公開当時28歳。学生時代は、バンカラの不良学生でならした。そのうえ日活のアクション黄金期を支えた高瀬将敏の息子で、大学時代から映画・テレビの仕事でキャリアを積んできた。
セントラル・アーツの黒澤同様、監督の那須博之も日活出身。高瀬とのコンビで「
「俺たちで、誰もやったことがない映画(シャシン)を作ろうぜ」
那須監督のその言葉を受け、新しいアクションの形を模索していた高瀬は、ある映画人の作品に出会う。高瀬道場の師範であり、「ビーバップ」にスタントマンとしても出演した瀬木一将は語る。
「ジャッキー・チェンの映画です。一緒にジャッキーの映画を観ては、先生(高瀬)が『やられる側が痛さを感じる演技をしているだろう? あれは日本にないものだよな』と言っていたのを覚えています。ジャッキー映画は、俺たちにもできる、と」
当時のジャッキー映画の魅力は、無声映画時代に大仕掛けのスタントで観客を沸かせた喜劇王
1作目の開巻早々に、立花商業のミノルが今日子の弟にソフトクリームを付けられたと因縁をつけたところから繰り広げられる大乱闘は、どことなくコミカル。そして、まだ日本映画では珍しかったワイヤーアクションも登場する。さらに、ヒロシ&トオルたちが均太郎一派とサッカー対決をするアクションはジャッキー主演の「
不良の根性とプロテクターが身を守る盾に
そんな「ビーバップ」1作目の公開は1985年12月14日。
「あの時期、道場は不良少年で埋め尽くされて(笑)。主人は不良少年たちが俳優として立ち回れる“指導”をしていったんですね」(多加野)
「当然ですが、アクションは本当の喧嘩と違います。パンチやキックを“当たったように見せる”ものです。けれど、『ビーバップ』の不良役たちには演技の経験がないし、教える時間も足りない。なので、早いうちから先生は『当たってしまってもいいアクション体制を作ろう』と言っていました。学生服の中に少年野球のキャッチャーのプロテクターや、肘当て・すね当てを仕込んでおく。顔を殴る演技のときのカラミ(殴られる相手)は、我々プロがやる、ということにしたんです」(瀬木)
「プロテクターがあるとはいえ、当たってしまったら多少は痛いはずなんです。でも、不良の根性という部分で、我慢ができたんじゃないでしょうか。高瀬も不良少年でしたから、そのあたりの気持ちがわかっていて、彼らをコントロールできたんだと思いますよ。技斗だけじゃなく『不良所作』もクレジットしてもらいたかったくらいじゃないかしら(笑)」(多加野)
「先生の“指導”のおかげか、道場で泊まっていたとき、夜中に子供のような言い争いはあったりしても(笑)、現場はうまく進んでいましたね」(瀬木)
常識外れのフルコンタクト・アクションは、ある意味苦しまぎれの作戦だった。だが、いわば安全を担保する「殺陣の盾」を手に入れたことで、監督の那須や技斗の高瀬が考える自由な動きを、実行できる武器となっていった。
走る電車からダイブするより怖かったこと
先に「アクションシーンの連発」と書いたが、とくに1作目には、これでもかと那須と高瀬のやりたいことが詰め込まれている。
例えば、戸塚水産の連中に追い詰められたヒロシたちが、アーケードから下に停まっているトラックの荷台に飛び降りるシーン。
「アーケードの上に立つと、だいたい10mくらいの高さがあったかな……トラックの上にエバーマットが敷いてあるんですが、上から見るとA4の紙1枚くらいの大きさに見えるんですよ。ただ、飛び降りることよりも、そのあとに次々と飛び降りなければいけないから、先に飛び降りた人間は、後の人間のスペースをすぐ空けなくてはいけない。そちらのほうが気になっていました。実は1回目の撮影で、窓から見ていた人の顔が映り込んでいたので、2回撮っているんですけど(笑)」(瀬木)
そして、この作品がド外れたものであることを示した、走っている鉄橋から人がダイブするシーンである。走る静岡鉄道の中で、愛徳と戸塚水産の面々が乱闘になる。そして鉄橋に差し掛かったとき、ヒロシ&トオルは戸塚水産の生徒を川にたたき落とす……。
このもっとも危険なスタントをしたのが、高瀬道場の瀬木と高山瑛光だった。
「僕らは、落ちろと言われたら落ちる。それが仕事だから(笑)。落ち方も『2人同じじゃ面白くないから』と先生が演出を考えてくれました。高山が前から、僕が背中から、というように。鉄柱の通過するタイミングも、先生が通過時間をあらかじめ測ってくれて、きっかけを教えてくれる。予定どおりにやれば、怖いことはない……」(瀬木)
予定どおり、高山は頭から、瀬木は背中から水面に落ちる。
「ところが、1度目に落ちたら、背中を水底に打ったんですよ。ウッと息が詰まる感じになって立ちあがったら、胸くらいまでしか水がない(笑)。撮影が長引いて、潮が引く時間になっていたんですね。だから2回目は角度を変えて入水したんです」(瀬木)
「この作品はすべてアフレコだったんです。それで、車中の女性が『キャー』と叫んでいるガヤは、全部私が呼ばれて吹き替えました(笑)。皆さんエキストラだったんで、録音の際に集められなかったということでしょうね。だからこの映像を何度も観ているんですが、瀬木先生の2回目の飛び込みはかなりギリギリを攻めているように見えました」(多加野)
「うーん、攻めたというより、また痛い目を見るのはイヤだったから、っていうほうが正しいかな(笑)」(瀬木)
そんな危険なアクションを成功させた瀬木だが、実は、その前のシーンに恐怖を感じていたという。それは電車が走る中、戸塚水産の生徒がトオルの顔を窓の外に出し架線柱に打ち付けようとするという危険なもの。一歩間違えれば悲惨な事故が起きてもおかしくなかった。
「トオルの首根っこをつかんで、電車の窓から架線柱に頭を打ち付けようとするのは、戸塚水産の生徒役である僕の役目だったんです。ところが、仲村さんが思ったより外へ出ようとするんですよ。うわっ、危ない、と思って、片手は仲村さんを外へ出そうとしながら、もう片方の手は仲村さんの頭を引き寄せている(笑)。仲村さんにけがさせちゃいけないと思って、ヒヤヒヤしていました。本編を観てもらうと、手の動きでわかると思いますよ」(瀬木)
つまり、それほどまでに仲村をはじめとするキャスト陣も、危険なアクションに命懸けで挑んでいた、ということだ。
プロレス技でフィニッシュだ!
そして、1作目のクライマックスでは、ヒロシ&トオルが山中にいる戸塚水産軍団に殴り込みをかける。愛徳の舎弟たちも援護射撃を開始、大勢の不良学生たちが入り乱れる集団抗争に突入。ヒロシ&トオル対ヘビ次&ネコ次との2対2となり、最後は雨の中、トオルとヘビ次の一騎打ちとなる──。この見事な構成は、古の名画の影響があったのではないか、と多加野は分析する。
「阪東妻三郎の『
「雄呂血」は日本映画の父と言われる
「私も後年気付いたことでした。一度本人に問いただしたら、そんなことは考えてもいなかったみたいで……ただ『好きだったからどこかで影響を受けていたんだろうな』と言っていました」(多加野)
「確かに……その話は聞いたことがないから、先生も頭にはなかったんじゃないかな」(瀬木)
果たして、2日にわたる撮影の末に行われたトオルとヘビ次による一騎打ちの撮影。トオルのバックドロップが炸裂して、愛徳は戸塚水産に勝利を収める。実はヘビ次を演じた小沢仁志はその前に足の骨を折って、痛み止めを飲みながらの壮絶な撮影。このバックドロップで小沢は失神したという。
「予定と手順は違ってしまったし、とにかく大変な撮影でした。ただ、それがリアルに映って、好評をいただいた。その後は、毎回プロレス技を効果的に取り入れていく方針が定まったわけです」(瀬木)
そもそも那須と高瀬が組んだ「美少女プロレス 失神10秒前」も、格闘技経験のない女優にプロレスを特訓して作った、Netflixシリーズ「極悪女王」(2024年)の先駆けともいえる映画であった。
「プロレスの技は、高瀬のアイデアじゃないですか? それに那須監督も乗って……2人ともプロレスが大好きでしたから(笑)」(多加野)
「高校与太郎哀歌」のクライマックスに隠された計画
「2作目『哀歌』は僕も城東側だったので、ヒロシがボコボコになって倒れているところに、3mくらいの場所から飛び降りてひざを打ちつける、いわゆるフライング・ニー・ドロップをやりました。もちろん本当に当ててはいけないから、当てるひざと逆側の着地する足に全体重をかけたんですよ。そうしたら、一瞬ジーンとしびれてしまって。そのあとに演技をしなくちゃいけないから、ごまかしながらなんとか立ちあがったのを覚えていますね」(瀬木)
1作目の大好評によって作られた2作目「高校与太郎哀歌」では、狂気のボンタン狩りを行うテル、そしてナンバーワンとして君臨する敏光という、敵の城東側もグレードアップする。
「敏光をやっていた土岐(光明)は、もともとキックボクサーだったんです。もちろんアクションとして演技しているし、手加減もしているはずなんだけど、ヒロシをボコボコにするシーンで、ボディ(ブロー)が当たってしまって。プロテクターの上から打っているんだけど、清水宏次朗さんは相当に痛かったはずです」(瀬木)
破天荒なアクションはさらに加速する。
「クライマックスではトオルがドスを持ったテルにキックし、蹴り足を取られたと思ったらその流れで延髄斬りをする、という振り付けにしました。プロレスでもあるじゃないですか、そういう“いい裏切り”が(笑)」(瀬木)
ただ、そのクライマックス、城東軍団のアジトとなっているドライブイン・ポセイドンのシーンはとにかく大変だったという。
「ポセイドンの店内でどう人を動かすか。そのうえ車は突っ込んでくるし、外でも格闘はあるし……。そもそもなんであんな崖の上に建っているのかといえば、那須監督の壮大な計画によるもの(笑)。結局それはできない、ということになったんだけど……相当いろんなことをやったので、細かい部分がどうこうよりも、とにかく大変だったという記憶だけが残っています(笑)」(瀬木)
そもそも、那須監督の「壮大な計画」は、トラックに乗った不良たちがポセイドンに突入して、店の中を突っ切ったうえに、そのまま崖の下を通っているタンカーに着地する、というものだったという。亡くなった高瀬は、以下のような言葉を遺している。
「あの断崖絶壁の上からトラックがみんな生徒を乗せた状態で飛ぶんだ。そうしたら下のタンカーの上に乗るんだ」と。「これは誰もやってない。だからなんとかできないかな!」って。誰もやってないというのは、誰もできないからじゃないですかね(笑)。なぜかこれは最後まで那須さんが食い下がって、タンカーで無理ならイカダで受けられないか、と。結果的に合成にしたのですが、執拗にあの画を欲しがったんですよね(山本俊輔+佐藤洋笑+映画秘宝編集部・編「セントラル・アーツ読本」より引用)
そんな執念の画づくりによって、2作目「哀歌」も大ヒットとなる。
アクション監督自らワイヤーアクション!
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『2日にわたる撮影の末に行われたトオルとヘビ次の一騎打ち。ヘビ次を演じた小沢仁志は足の骨を折って、痛み止めを飲みながらの壮絶な撮影。トオルのバックドロップで小沢は失神したという』