映画「
取材・

恐怖を覚えた「ビー・バップ・ハイスクール」との出会い
「『ビー・バップ・ハイスクール』と最初に出会ったのは小学校6年生のときです。僕はその頃、僭越ながらおそらく学校ではなかなか目立つ存在だったと自覚しています。その年の12月、隣の小学校の連中から『同じ中学に入るから、その前に一度会おうや』という謎のクリスマス会を提案されたんです。『殊勝な心がけじゃないのー』とノコノコ出向いたところ、まさかの? はたまた案の定?『プレゼント交換と洒落込む前に、まずはどっちが強えか白黒つけようや』となりまして、向こうの大将格にフルボッコにされたのでした(笑)。
小学校生活の6年間、地道にがんばって遂に学校のヒーロー的立ち位置にまで上り詰めたというのに、この3カ月後、中学に入ったらパシリに降格が決定したわけです。『もうおしまいだ……』と嘆き、食事も喉を通らないほどに落ち込み、12年の人生でもっとも暗い気持ちを抱えて年越しを迎えました。そしたらお正月にその大将格の彼から『これから映画に行くけど、お前も来いよ』と電話が掛かってきたんです。断れるわけもなく、隣の小学校から10人弱、うちの小学校からは僕と友人の2人。当時、木更津には映画館が4つもありました。何を隠そう、そのときに観たのが『
「当時、僕にはまったく興味のない……というか、まったく理解のできない世界でした。柄の悪い高校生がなぜかアイススケートリンクで喧嘩してたりと、もはや意味もわからないし、そもそも何が楽しいかわからない。だけど上映後みんなやたらと盛り上がっている。正直、 それぐらいの記憶しかなかったです。その後、みんなでパットゴルフに行って、お年玉を全部巻き上げられて……。僕が今でもゴルフをやらないのはそのときのトラウマが理由です(笑)」
「お前いつまでマジストで学校来んの?」
「中学の入学式で、まず地獄だったのが、その大将格の彼がいきなり同じクラスだったこと。僕が出席番号3番、彼が4番。『えっ、あいつが俺の席の後ろ……?』って憂鬱で。初恋相手の佐野さんも同じクラスにいるのに、あのめちゃくちゃ怖い男に小突かれたり、パン買いに行かされたり、すっ裸にされたりとかすんのかな……?って怯えていました。何せ人生で初めて、圧倒的な敗北を喫した相手でしたので。そしたら彼から『お前このあと、何かあんの? 俺んち来ない?』って言われたんです。
で、家に行くと『お前いつまでマジストで学校来んの?』って言うわけです。マジスト? どういうこと? 会話の中で察するに、どうやらこの学生服のズボンのことらしいんです。『だせえよな、標準。まあ先輩もいるし、入学式だから俺もそんなに派手なのでは行かなかったけど』って。確かによく見ると彼のはタックが入ってるんですよ。あとズボンの裾の折り返しが自分のとは違うことに気付いて。『俺のは2.5だよ。お前のは4あるだろ。測ってみろよ』って、竹の定規で測ってみたら『本当だ、4cmだ』『だろ? 俺も本当は2cmぐらいにしてえんだけどさ。ってか、そもそもダブル幅である必要もない気もするけどな』。もう何言われてるか全然わかんなくて(笑)」
「『お前、何も知らねぇんだな……。よし、じゃあこれ貸してやんよ』って、彼が薄い冊子を10冊ぐらいと当時11巻ぐらいまで出てた『BE-BOP-HIGHSCHOOL 』の単行本を僕のスクールバッグに詰め込んできたんです。まあ、読書好きな人間ではありましたんで、その夜、一気に全部読みました。今までに見たことのない物語でしたね。その頃よく読んでいた少年ものや少女もののマンガはもちろん、不良番長の登場する本宮ひろ志作品とも違えば、どおくまん作品とも違う。学ランを着ているものの、およそ学生には見えない風体の不思議なキャラクターたちがオラオラしてるけど、バトルは時々しか起こらず、それ以外はずっと学校の屋上でダベってたり、ナンパしたり。これはなんなんだろう? とりあえず読んでくしかないなと思って」
「なんでヤンキーなのにそういう言葉知ってるの?」
「一緒に渡された冊子は、いろんなメーカーの変型学生服のパンフレットでした。大将に『お前のマジスト、ワタリ30、ボトム20ぐらいだろ?』と言われた意味が少しずつわかってきました(※編集部注:ワタリとは、ズボンの太もも部分の幅のこと)。とにかく彼はいろんなワードを使うんです。『俺、本当はペグトップにしたいんだよ』とか。『ペグトップ』って服飾用語なんですね。いわゆるワタリ40cm、裾18cmのボンタンや、ワタリ50、裾30といったドカン丈ではなく、別名“ヒザボン”だとか“バナナ”などとも言われるワタリ42、膝36、裾18っていう、さらに凶悪なシルエットのパンツのことで。ほかにも『センターベント』とか『サイドベンツ』とか、彼から聞いたこともないいろんなワードが出てくるんです。のちに自分たちで衣装を作るようになったとき、衣装さんたちに『なんでヤンキーなのにそういう言葉知ってるの?』って不思議がられたんですけど、それはほぼ彼から教わったんです。その大将がめちゃくちゃなこだわりを持つ人で、この人の美学にのちの氣志團もずっと翻弄されていくんですけど、それはまた別の機会に。
てなわけで、余計な情報ばかりが先行しましたが、僕の『ビーバップ』初体験は、映画の『完結篇』を観に行って、単行本11巻ぐらいまで借りて読んで、こういう世界があるんだってことを知って、一気にのめり込んでいった12~13歳の頃でした」
「俺たちは誰の子分でもねえ!」
「ビー・バップ・ハイスクール」が流行した当時の若者は、不良であるかどうかにかかわらず、そのファッションや言動をまねしていたという。これはケンドーコバヤシとニューヨークの対談でも語られていたが(参考:映画「ビー・バップ・ハイスクール」大好き芸人ケンドーコバヤシが、その魅力をニューヨークに熱弁!)、綾小路もやはり同じだったとか。
「『ビーバップ』の映画はもう何回観てるかわからないですね。周りの仲間はみんな大好きで、鑑賞会がちょいちょいあるんです。大人になって、東京でランマくん(星グランマニエ)と松くん(白鳥松竹梅)と出会ってからも『翔やん、うちで「ビーバップ」観るけど来ない?』『え! まだ観るの? 20歳だよ? 俺たち』みたいな。で、結局観るんですけど(笑)。
あとは木更津の先輩たちの『ビーバップ』の見方も僕らとは違う視点で面白かったですね。当時、『木更津ダイナマイトどんどん』というパーティが始まりまして。木更津を中心とした上総4市のトガった若者がわんさか集まるビッグイベントに発展していくんですが、初めて参加したとき、真っ赤なサイコ刈りで、上半身に刺青がたくさん入っている怖い人がアジテーションをしていて。その人が『俺たちは誰の子分でもねえ!』と叫ぶたびに、みんな怖くて、よくわからずに『……お、おう!』とか返事してたんですけど、あとで冷静になったら『ビーバップ』に出てくる北高の工藤が言ってるセリフをただパロっていただけだったことに気付いて(笑)。仲良くなってから『あれ怖かったです』って言ったら、『いや俺もさ、ただ北高の2年やってるつもりだったのに、みんなマジになっちゃってたからびっくりしちゃってさあ』なんて(笑)。何しろその先輩たちが日常的に使う『ビーバップ』の台詞のチョイスがすごく面白くて、氣志團のデビューVHSの予告編は、その先輩方にお願いして『ビーバップ』のオマージュ的に作ったんです。
僕の周りではヤンキーマンガに出てくるワードは、けっこうみんな普通に使ってましたね。リアルにテル(城東工業の藤本輝男)みたいなしゃべり方するやつもいましたし。『お前本当にめでてえな、この七夕野郎が』とか『シャバいのう』とか。平気で使い出す中学生が続出して。『湘爆(湘南爆走族)』の『マッポにビビくってシッポ巻いたんじゃねえのかよ!!』とか、適当な嘘つくやつに対して『嗚呼!!花の応援団』よろしく、『役者やのう』 とかね。そもそも関東の子供たちが『のう』とか使うわけないんです(笑)。マンガの影響ってすごいんだなと当時から思ってました」
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松本 @matsushin1978
これ「日本がバームクーヘン大国になったのは『ビー・バップ・ハイスクール』の影響」という話が面白すぎるので読んでほしい https://t.co/ZEQxItOBaV