イラスト / 徳永明子

映画と働く 第4回 [バックナンバー]

CGエフェクトアニメーター:久保田孝「グラフ用紙から始まった“頭の体操”」

ライカやドリームワークスを渡り歩く日本人が語る、CG黎明期からコロナ禍まで

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「トイ・ストーリー」のメイキング映像を見て必死に研究

──卒業後の1983年にJCGL (ジャパン・コンピュータ・グラフィック・ラボ)に入社されたのは、どんなきっかけだったんですか?

アニメーションが好きだったから、映像系の雑誌の募集広告を見て応募しました。CGといえどアニメをやっているということでなんとなく応募したら受かっちゃった。ほかにCMの会社に6社ほど応募したけれど、全部落ちちゃったので、受かってラッキーって気持ちで入社しました。大学ではキーボードすら触ったことがなかったのに(笑)。JCGLは日本で最初の商業CGスタジオで、もともとはCGで2Dアニメをサポートして作ろうとしていた。でもいざ始めてみたらあまりにも手間暇とお金が掛かるので、2Dから3Dに方向転換したんです。僕は会社の2期生として入社しました。まだ初期の本当に何もできないような3Dシステムが入ってきて、誰も何もわからないから、みんなで覚えていったって感じです。

──まだCGになじみはなかった時代ですよね。映画で言うと、1982年の「トロン」あたりから一般的にも認識された感じでしょうか。

ええ、CGで最初にインパクトがあった作品と言えば、大学生の頃に観た「トロン」です。1985年のつくば科学万博に向けてCGの映像が少しずつテレビで放送され始めた頃で、漠然としたイメージはあったけど、その世界に入っていくのは予想してなかったですね。

──JCGLでは、どんな仕事が印象に残っていますか?

1年目にやった「SF新世紀レンズマン」(※注2)です。いきなり映画の仕事だったのでとてもうれしかったです。ただ、僕らはまだ素人に毛が生えた程度の技術力しかなかったし、コンピュータの処理能力も今のスマホの1万分の1ほどもなかったんじゃないかな。面白かったけど、いろいろ苦労の連続でした。当時、日本で映画にCGを使っているものって言ったら「レンズマン」と「ゴルゴ13」くらいしかなかったんです。それから3年目にアメリカのSIGGRAPH (シーグラフ)に行ったこと。アメリカのコンピュータの学会が毎年夏に開催している、CGの最新技術や映像を披露するイベントです。その初めての海外旅行でいろんなCGスタッフに会って、英語はよくわからないけどアメリカというものに触れて、大いに刺激を受けた。ここで仕事したいという思いが芽生えたんです。1985年にそう思って実際にアメリカで働き始めたのが1997年だから、10年以上掛かりましたが(笑)。

※注2:米作家E・E・スミスによる小説「レンズマン」シリーズを原作とし、CG技術を取り入れたアニメーション映画。1984年7月に公開され、同年10月よりテレビシリーズも放映された。

──履歴書によるとJCGLのあと、1997年にスクウェアUSAホノルルスタジオに入社されて、海外でのキャリアが始まるわけですよね。

実はJCGLのあとに太陽企画やポリゴン・ピクチュアズでも働いていたんですよ。1980年代の半ばから1990年代初めぐらいまでは博覧会ブームがあって、展示用大型映像の制作にも参加しました。1985年のつくば科学万博用に制作された、松本零士さん原作のアニメ「アレイの鏡」のラスト3分のCGシーンなどですが、それ以外はほとんどCM関連の仕事でしたね。当時のコンピュータ処理能力は非力ですから、CGの使われ方としてCMのような尺の短い仕事に向いていたということだと思います。しかし、やっぱり映画に関わりたいという気持ちが大きくなった頃に、知り合いからスクウェアで働かないかと誘われたんです。面白いかもしれない、場所もハワイだしと思って行くことにしました(笑)。

──言葉の壁はどう乗り越えられたんですか?

スクウェアは日本の会社なので通訳が付いていたんです。そこでは「ファイナルファンタジー」とうフルCGの映画に参加して、レイアウトスーパーバイザーを担当しました。普通の実写映画だと撮影前に絵コンテなりビデオコンテを作ると思いますが、その3DCG版がCG映画における“レイアウト”。軽めのCGモデルとCGのカメラで1カット1カット素早く作っていき、それらを編集して簡易的な映画を作る作業です。CG映画の基本的な設計図といってもいいと思います。最初にきちんとレイアウトという工程を打ち出したのは「トイ・ストーリー」からですね。

「ファイナルファンタジー」(写真提供:STARSTOCK / Photoshot / ゼータ イメージ)

「ファイナルファンタジー」(写真提供:STARSTOCK / Photoshot / ゼータ イメージ)

──「トイ・ストーリー」は1995年製作なので、ちょうど同時期ですね。

「トイ・ストーリー」のレーザーディスクでメイキング映像を観て、必死に研究したのを覚えています。作業の分担の仕方など参考にして、スクウェアUSAのワークフローを組み上げていきました。僕が作ったものは荒削りだったんですが、現在はもっと複雑で素晴らしいものになっていると思います。僕らは本当に最初の最初だったので、会議室で毎日こうかな、ああかなと模索していました。

──大変そうですが、一歩外に出ればハワイというのはうらやましいです(笑)。

レイオフされてからの5年は鳴かず飛ばずだった

──海外で働いてみて、壁にぶつかったことはありませんでしたか?

そのスクウェアUSAをレイオフ(一時解雇)になったときです。自分にアメリカのCGスタジオで雇ってもらえるだけの専門的スキルがないことに気付き、焦りました。

──アメリカのCG業界では、レイオフは日常的なことなんでしょうか?

アメリカのCGスタジオは高度にシステム化された分業体制が確立されていて、個々のスタッフはそれぞれの分野でのエキスパートでなければなりません。スケジュール管理もしっかりしていて、定時で働くことがスタンダードです。オンとオフをきっちり分けられるのが、アメリカの働き方。一方、常にレイオフされる可能性があり、安定して働き続けることは日本以上に難しいと思います。

──緊張感がありますね。

ただ、実力とやる気があれば次の職場を見つけることは可能ですよ。僕は当時、ドリームワークスの本社まで面接に行ったものの、最後の最後に英語力を理由に落とされてしまって。レイアウトをやるならディレクターと言葉のコミュニケーションが必須になるけど、それには英語力が足りないねって。ガッカリでした……。そのとき僕はすでに40歳ぐらいで、なかなかその歳から英語の上達は難しい。違うことでなんとかならないかなと思いながら1年ほどバイト生活をしたあとにロサンゼルスへ行ったんです。そこから鳴かず飛ばずの状態がさらに続いて、結局5年ぐらい掛かったんですよね。途中でだれちゃって、この機会に絵の勉強でもしようかなって、サンタモニカ・カレッジでアートなんか学んじゃったりして(笑)。

──そこだけ聞くと、優雅な暮らしに思えます(笑)。

そろそろまずいぞと察した頃にリズム&ヒューズ・スタジオ(※注3)で働いていた友達に相談したら、「これからの映画にはエフェクトが絶対必要だ。技術系だから言葉のコミュニケーションが上手じゃなくても雇ってくれるはず」と助言をくれた。エフェクトをやるならハリウッドでは今、Houdini(フーディニ)が一番のソフトウェアだと言うので、勉強をしたうえでリズム&ヒューズの短期仕事に応募しました。そうしたら、持参したデモリールも見ずに「あ、いいよ」って即採用されたんです。絶対、裏で友達が根回しをしてくれてましたね(笑)。それから2カ月ほど短期で働いたあと、感触がよかったのか翌年にもう1度呼ばれて、社員にしてもらいました。すごくいい会社でしたよ。

※注3:ジョン・ヒューズらが設立したVFX制作会社。コカ・コーラのCM「白熊」シリーズや「マウス・ハント」「ベイブ」「ナイト ミュージアム」「ライラの冒険 黄金の羅針盤」などを手がけた。

──「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」などを手がけた、動物のCGに定評のあるスタジオというイメージです。

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」4K ULTRA HD + 
 3D + 2Dブルーレイ(3枚組)販売中・デジタル配信中 / 発売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.

「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」4K ULTRA HD + 3D + 2Dブルーレイ(3枚組)販売中・デジタル配信中 / 発売元:ウォルト・ディズニー・ジャパン (c)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC.

その通りです。「ライフ・オブ・パイ」にも携わって、クジラが海から登場するシーンの波しぶきを担当しました。そのときエフェクトのスーパーバイザーをしていたデヴィッド・ホースリーという人が、その後ライカに移って僕を呼んでくれたんですよ。それで2人して「KUBO」の海のシーンをやろうという話になった。

──なるほど、そこにつながっていくんですか。クジラにも通ずるところがありますね。

そうそう、水だ!って(笑)。そんなに水が得意なわけじゃないんだけど、まあがんばってやってみますと。

ロサンゼルスで生き残っているVFXスタジオはわずか

──ライカのあとにはデジタル・ドメイン(※注4)を経て、現在はドリームワークス・アニメーションに所属されていますが、コロナ禍の中で日々どのように働かれているんですか?

※注4:スタン・ウィンストンとジェームズ・キャメロンが設立したVFX制作会社。「タイタニック」「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」、「トランスフォーマー」や「アベンジャーズ」シリーズで知られる。

今年3月の段階で親会社のNBCユニバーサルから全社員に、家へ帰るようお達しがあったんです。それで、翌週の月曜日からもう出社するなとなった。会社のシステム担当者がすごいスピードでリモートワークするためのシステムを組み上げて、そこからはずっと在宅で働いています。

──さすが、対応の速さが違いますね。

仕事にはだいぶ慣れてきましたが、2月に入社して、会社のシステムを十分理解していない段階でリモートワークになったので……迷惑をかけているはずですけど、そこはアメリカらしいというか、みんな心が広くて、まあいいよって許してもらっています。

──コロナの影響もあって映画業界は日々変化していますが、問題点はどんなところだと思いますか?

アメリカのVFX業界に関して言うと、もっと活況が戻ってほしいと思っています。カナダやイギリスなどの税制優遇制度によって、ハリウッド映画のVFXの仕事の多くがアメリカ国外に発注されるようになって久しいですが、それに伴い国内のVFXスタジオは海外移転や撤退が相次ぎました。リズム&ヒューズもそのせいで倒産したんです(※その後、プラナ・スタジオに買収され営業を再開している)。ロサンゼルスで生き残っている映画のVFXスタジオは、ほんのわずかしかありません。以前ロサンゼルスで一緒に働いていた同僚の多くが、カナダやニュージーランドなどで仕事をしています。だから北米で映画のVFXをやりたいと思ったら、今はカナダに行くしかないって感じですかね。

──そんな状況になっていたんですか……。「目指せハリウッド」という世の中ではなくなってきているんですね。

グラフ用紙から始まったCGの仕事

──履歴書で「あなたにとってCGエフェクトとは?」という欄に「頭の体操?」と書いていただいたんですが、その心とは?

この仕事ってすぐに道具が古くなっちゃうんですよ。代わりに新しいものを常に取りこんでいかないといけない。1つのものを作るにしても真っ向からやるのと裏口からやるのと、いろいろ方法論があって、どのツールを組み合わせたら効率よくできるかを考え続けなきゃいけないのが、なんだか頭の体操しているみたいだなと。

──どんな人がこの仕事に向いてると思いますか?

1つに絞るのは難しいけど、まず「すぐ匙を投げる人」はダメですね。粘土をガーッといじったり、キャンパスに絵の具を投げてできるものではないので、間にある何層もの過程を予測しながら進める計画性がないといけない。一方で、ちょっとしたインスピレーションも必要な気がする。自分もエフェクトの仕事を始めたのは40代後半なので、いまだに模索中です。アメリカは雇用に年齢制限がないので、そこはよかったなと思ってます。

──今、久保田さんはちょうど60歳ですか?

はい、還暦を迎えたばかりです。アニメーションや映画の世界にはもっと歳上の先輩がいると思いますが、CG業界で言うと日本ではおそらく最高齢になるんじゃないでしょうか。実際現場で端末をたたいてる人は僕の上にはほとんどいないと思いますよ(笑)。

20年近く愛用しているというハーマン・ミラー社のアーロンチェア。「CG作業は長時間座ってする仕事なので、いい椅子を選ぶことが大事。たいていどこのCGスタジオでも使っていることが多く、すっかり体になじんでしまいました」

20年近く愛用しているというハーマン・ミラー社のアーロンチェア。「CG作業は長時間座ってする仕事なので、いい椅子を選ぶことが大事。たいていどこのCGスタジオでも使っていることが多く、すっかり体になじんでしまいました」

──CG黎明期から業界を見てきた方のお話を聞けて、とても興味深かったです。技術の進歩を間近で見られる点も面白いなと思いました。

ちなみに最初に僕らがモデリングに使っていた道具ってなんだと思います? グラフ用紙ですよ、グラフ用紙! グラフ用紙に絵をプロットして、読んだ座標をキーボードでパソコンに打ち込んでたんです。AとかBとかロゴを1個入れるだけで1日掛かりだった。最初の頃に培ったノウハウなんて、今ひとつも役に立ってないです。

──想像を絶する世界です……。技術が進化したとはいえ、地道な作業という点は変わらないですよね。

この仕事は忍耐力が必要で、計算を待っている間など地味な部分も多いですから、どこかに楽しいと思える部分を見つけないとやってられないところがあって。「仕事は楽しくなければならない。つまらないと思ってする仕事ほどつらいものはない」というのがモットーなので、自分なりにこだわりを持って、楽しめるように工夫してやっています。

久保田孝(クボタ・タカシ)

スタジオライカ在籍時の久保田孝。

スタジオライカ在籍時の久保田孝。

1960年6月22日生まれ、茨城県出身。大阪芸術大学の映像計画学科を卒業後、1984年にJCGL(ジャパン・コンピュータ・グラフィック・ラボ)に入社。1997年よりスクウェアUSAホノルルスタジオに所属し、フルCG映画「ファイナルファンタジー」のレイアウトスーパーバイザーを務める。2006年以降はリズム&ヒューズで「パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々:魔の海」「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」、2014年以降はライカで「KUBO/クボ 二本の弦の秘密」「ミッシング・リンク 英国紳士と秘密の相棒」などにCGエフェクトアニメーターとして参加した。デジタル・ドメイン社を経て、2020年2月よりドリームワークス・アニメーションに所属している。

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