玉田玉秀斎、千利休の生誕500年記念しその人生語る「京都がたり」第6回

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田中与四郎(のちの千利休)生誕500年記念「玉田玉秀斎の『京都がたり』第6回 講談『北野大茶湯』」が、4月23日に京都・京都劇場で開催される。

玉田玉秀斎

玉田玉秀斎

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「京都がたり」は、玉田玉秀斎が京都をテーマに、新作講談を創作発表するシリーズ。今回は、後の千利休である田中与四郎の生誕500年を記念し、その人生や、豊臣秀吉との関係を玉秀斎が語る。本公演には玉秀斎のほか、玉田玉山が出演する。

開催に向けた、玉秀斎のコメントは以下の通り。

玉田玉秀斎コメント

田中与四郎と聞いて、後の千利休のことだとわかったのはかなり博識のお方だと思います。

戦国時代の堺は一番新しいものが集まる最先端都市。

その堺の有力商人の家に生まれたのが田中与四郎こと、後の千利休でした。

その当時の商人は教養として茶の湯を学んでいました。

与四郎もまた店の跡取りとして、茶の湯に親しみましたが、十七歳の時に北向道陳に師事。さらに茶の湯の第一人者・武野紹鴎の下で茶の湯を学びました。

そんな時、堺に手を伸ばしてきたのが織田信長。

信長は堺で鉄砲と茶の湯に異常な興味を示したのです。そうなると、家臣たちも信長が興味を持つものが欲しくなる。その筆頭が羽柴秀吉、のちの豊臣秀吉だったのです。

ここで、秀吉と利休の人生が交わり始めます。

その後、本能寺の変が起き、山崎の合戦で仇討に成功した秀吉が天下を獲るまで、数々の戦場で茶が振舞われました。

そして、秀吉がいよいよ関白就任。

その祝いの茶会を開くときに居士号が必要となり「利休」が勅賜され、千利休となりました。秀吉の傍に利休あり。

二人の関係が最高潮になったときに開かれたのが「北野大茶湯」。

さあ、この時、一体何があったのか。

それは当日の講談を見てのお楽しみ。

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田中与四郎(のちの千利休)生誕500年記念「玉田玉秀斎の『京都がたり』第6回 講談『北野大茶湯』」

2022年4月23日(土)
京都府 京都劇場

出演:玉田玉秀斎、玉田玉山

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タヌえもん @3t4uAbmx

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