本作は1960年代のカナダ、ケベック・シティーで育った彼が、「記憶」をテーマに幼少時代を振り返る自叙伝的一人芝居。“映像の魔術師”と呼ばれるルパージュの映像テクノロジーを駆使した演出と、彼自身が演じる人間味溢れる演技の融合に期待が高まる。
ルパージュはタイトルの「887」について、「私が子供の頃に過ごしたアパートの番地です」と説明。「今回の芝居の冒頭で、観客に向かって『今、私は自分の電話番号がわかりません』というセリフがありますが、現在、私たちのほとんどがスマートフォンを持ち、電話番号を記憶させるので、番号なんて覚えていられません」と言う。「けれど幼いときに覚えた家の電話番号や、番地の数字は頭の中から消えない。意味を持っています。数字というのは面白いもので、数字そのものには意味はなくても、思い出と結びつくことにより、意味を持ちます」とタイトルに込めた思いを語る。
本作のクリエイションについては「自分自身の幼少期、思春期の記憶と向き合う作業では、発見がありました。忘れていたことの中には、簡単に思い出せることがある一方で、重要にも関わらず自ら思い出すことを拒否していた記憶もありました」と振り返る。さらに「リサーチにあたって、当時のアナログ写真をデジタル化し投影して、作品に使用するか決める作業をしました。拡大されて投影されると、タペストリーのテクスチャや小さなオブジェの存在など、前にはわからなかったディテールが見えてくる。50年前の写真を見て、『こんなことを自分が覚えているんだ』という驚きがありました。思い出す努力をすることは、そういったことを発見する作業でもありました」と当時の心境を口にした。
“静かなる革命”や“十月危機”など、1960年代のケベックの政治やテロについて語られる本作。ルパージュは「今の世の中で起きている政治的緊張やテロと、意図的には結びつけることはしていません」と言う。「それをどう受け取るかは観客の自由です。しかし何かしら今の人に呼び起こすものがあると思います。例えばこの作品はスペインでも上演する予定ですが、そこではカタルニアの問題があり、すでに上演したイギリスでは、スコットランドの独立問題がありました。我々は何者なのか、国境とはなんなのかということは普遍的なテーマだと思います」と考えを明かした。
なお本作は、フランス語、英語、イタリア語の3ヶ国語バージョンが用意されており、東京公演では日本語字幕付き英語上演となる。ルパージュは「言い訳ではありませんが、今回は日本ツアーの前に日本語を練習する時間がありませんでしたので(笑)、次は日本語で上演したいと思います」と笑顔を見せた。
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- ロベール・ルパージュ「887」(日本初演) 東京芸術劇場
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みやこわすれ @kenzakikuniko
「887」にロベール・ルパージュ「我々は何者なのか、国境とはなんなのか」 - ステージナタリー https://t.co/bAg3phM0Ejフランス映画祭に行く予定だったのをキャンセルして急遽、これを取りました。後ろの席だけと。