ダンサー・振付家の捩子ぴじんとYCAM(山口情報芸術センター)によるパフォーマンス作品「せいせいのせんせい」が2025年12月にYCAMにて上演された。本作は、AIやロボットをめぐる子供向けパフォーマンス作品で、今後は小学4年生以上を対象に小学校・中学校での巡回公演が行われる予定だ。
作家でソフトウェアエンジニアの斧田小夜による原作をもとに、捩子が構成・演出を手がける本作では、AIの“せんせい”と小さなロボットである“ボット”、そして生徒役の観客たちによるやり取りによって授業が生成されていく。「海について知っていることを教えて」「海の水の味を教えて」「しょっぱいってどんな感じ?」などせんせいから投げかけられるさまざまな問いに生徒たちが答える前半、前半で得た情報を“食べた”せんせいが、新たな投げかけを生成する後半と、大きく2部から成る本作は、言葉や情報のやり取りに留まらず、各人の“言葉になる前の感覚”や潜在意識を掘り起こす作品となっている。
ステージナタリーでは開幕から数えて3回目の公演終演後、捩子と本作のメンターを務めた伊藤ガビンにインタビュー。さらに後半は原作の斧田、サウンドを手がけた荒木優光、テクニカルディレクションを行ったYCAMスタッフでアーティストの時里充のメッセージを紹介している。
取材・文 / 熊井玲撮影 / 塩見浩介
上演を重ねることで、作品も育ってきた
──まずは今日の公演の手応えを伺えますか?
捩子ぴじん 3公演目が終わって……AIと人間は成長するし、ロボットも成長するんだなと感じていました。演劇作品って育っていくわけですが、公演ごとにそういう手応えが増してきて安定してきたというのでしょうか。その感じが今日の公演にはありました。
伊藤ガビン 3公演で激しく変わりましたね。僕はゲネプロは観られなかったのですが、1週間前の試演会からは完全に別物でした!
捩子 あははは! 実際、台本も全然変わりました。
──本作の前半ではせんせいが観客に語りかけて情報を吸い上げ、後半は前半で得た情報をもとにAIが生成する構成になっています。公演を重ねる中で、実際、どのような点が変わったのでしょうか?
伊藤 生成する内容が毎回変わるのは織り込み済みなんですけど、試演会から微調整を続けたことで、相当わかりやすくなったんじゃないかな。アフタートークでも触れられていましたが、原作・脚本を手がけた斧田小夜さんが試演会後にプロンプト(AIに対してユーザーが入力する指示や質問、合図)を少し書き換えたそうで、それが演劇作品でいうところの“開幕後の調整”と似ている感じなんですかね?
捩子 その通りです。テクノロジーってけっこう硬いイメージがあるというか、1回プログラミングを組んだらそのまま、という印象があったのですが、プロンプトを書き換えることで変わりながら育っていったというか。また初日までがバタバタすぎて……何しろ1週間前はまだロボットたちができあがっていなかったので、僕はずっと台本を書き換えていました。
──構想期間2年、そこからあっという間の初日だったのですね。今日の公演では、捩子さんのパフォーマンスシーンもありましたが、公演を重ねることでご自身の動きの幅が見えてきたところもあるのでしょうか?
捩子 そうですね。3回公演をやってパフォーマーとして多少身体が柔らかくなってきました。あとは、AIが言うことに毎回対応して動くので、動き自体も毎回変わります。
伊藤 試演会ではなかった演出だと思いますが、後半、みんなの机をくっつけてから1つだけスペースを空けて、その中に捩子さんが入って動くのは面白いですよね。
捩子 試演会が終わったあと宿に帰ってから、「ちょっと真面目すぎるんじゃないか」と思って、演出助手の今村(達紀)さんといろいろ話をしたんです。僕は大駱駝艦出身なのですが、大駱駝艦では稽古場で、けっこうワイワイとふざけたアイデアを出しては話し合っていたんですね。そういう頭で考えたとき、「もしこの机の真ん中に、ロボットの“ふり”をしてるやつが1人いたらどうだろう」と思いついたんです。それで、机の間に僕自身が入ってみました。
伊藤 あれは秀逸だった!(笑) “ふざけ”が入って目線が降りてきたことで、人間とロボットの関係性がすごく変わって見えてくるなと思ったし、めちゃくちゃ面白かった。
捩子 良かったです(笑)。
伊藤 あと、しゃがみ込んで机の下に引っ込んだままになったのも面白かったですよね。
捩子 あれは、横から出るつもりだったのですが、お客さんが想定外の場所に立たれたから、出るに出られなくなってしまったんです(笑)。
一同 あははは!
伊藤ガビンの参加で風穴が開いた
──本企画はYCAMからのオファーでスタートしました。2年前にオファーがあった際、捩子さんはどんなことを考えられたのでしょうか?
捩子 「AIとロボットを使った、学校巡回型の子供向けパフォーマンスを作る企画をやりませんか」というのがYCAMからのオファーでした。ちょうどAIという言葉がよく聞かれるようになってきた時期で、これは今後、確実に自分たちの生活の中に入ってくるだろうなと感じましたし、であれば、子供の未来のためにもAIについて知りたいな、それにはいい機会なのではないかと思ってお引き受けしました。
ただ、学校巡回型の作品って劇場とは違って、照明や音響の設備がなかったり、そもそも場所がなかったりといろいろ難しい部分もあって。その点をどうするか考えていった結果、教室だったらどの学校にもあるし、実は小学校の教室ってサイズに規格があるのでやりやすいのではないか、であれば教室を舞台にした授業のような形式にしよう……という感じで、作品の大枠が決まっていきました。
──そこからメンバーを集めていったんですね。伊藤さんはどの段階でジョインされたのですか?
捩子 いつだろう……2025年になってからですかね?
伊藤 そうだと思います。きっと誰かが、何か言ったんでしょ?(笑)
捩子 はい、時里(充)くんが「ガビンさんがクリエーションに参加してくれたほうがいいんじゃないか」と。それまで僕はガビンさんとは知り合いではなかったのですがお仕事は拝見していたので、ガビンさんに関わってもらえたらうれしいなと思い、お願いしました。僕はちょっと“怖い”雰囲気の作品を作りがちなんですけど……たとえば「テクノロジーの未来にはこういう危険なことがあり得るから、注意しなきゃいけないよ」というようなことを作品の中で言いがちなんですけれど、今回はテクノロジーを使う作品だけれども、怖い雰囲気ではないものを作りたいと思っていました。だからある意味ふざけたことを言う人が関わってくれたほうがいいなと思ったんです。たとえばロボットと人間の違いについて話していたとき、ガビンさんは急に「じゃあロボットの側にお茶を置いておけばいいんじゃない?」っておっしゃったんですね、ロボットはお茶が飲めないわけだから、と。それが記憶にあったので、試演会ではせんせいの教卓に水が入ったコップをあえて置いておいたりしました。
伊藤 ちょっとしたことで人間味って出てくるから、そういうのが面白いんじゃないかなって思ったんです(笑)。
──このプロダクションに途中から参加して、伊藤さんはどんな印象をお持ちになりましたか?
伊藤 最初に読んだのが斧田さんの原作だったのか台本だったのか記憶が定かではないんですけど……僕はこれまで子供用のコンテンツを大量に作ってきたし、自分の子供が小学生だということもあって、この作品をこのまま小学校に持って行ったときのことが割とビビッドに想像できたんですね。で、「小学生を対象にやるには、けっこう難しいことがいっぱい書いてあるなあ」と思い、そこをブレイクダウンするのが僕の役割なのかなって。
あと、企画が立ち上がった頃に比べて、今や誰もが生成AIを普通に使うようになり、もうAIが身に染み込んでしまってきているので、そのうえで生成AIを陳腐にならないように扱うにはどうしたらいいかは、考えないといけないだろうと思いました。
とはいえ、先ほど捩子さんも言った通り、初日1週間前にはどんな作品になるのか僕もよくわかっていなかったんです。でも初日を観てやっと「ああ、これはこういうことだったんだ!」と腑に落ちる部分がありました。
たとえばこれは、さっき初めて捩子さんに伝えたことなんだけど……ポンコツロボットという流れが日本の歴史においてはあるんですよね。たとえばロボット三等兵は、規律社会の中からはみ出していく存在です。あと、今回登場するせんせいの目は、こういうつながった狸の目のような(と手で表現して)形になっているんですけど、あれは僕的には赤塚不二夫作品に出てくる本官さんのイメージです。つまりせんせいには、ただ可愛いだけじゃなく、日本のマンガカルチャー要素が造形的にちょっと入っているわけです。
そう考えると、次に出てくるのが石森章太郎の「ロボコン」シリーズの実写版。「ロボコン」には、「正しいことを正しくやれ」と言うガンツ先生と、何にもできないロボコン、共感型のロビンちゃんらが出てくるのですが、彼らが三位一体となったものが「せいせいのせんせい」の“せんせい”なんじゃないかなって。さらに本作には、まるで「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドのように、参加者1人ひとりの机の上に、自分のパートナーである可愛い“ボット”がいます。ボットは上演中、せんせいや参加者の声に反応したり、突然小さな声で話し始めたりするんだけれども、徐々に参加者がボットを助けてあげているというか、見守っているような感覚になるんですよね。そのボットとの関係性もいいなと思いました。
──確かに、せんせいが投げかけてくる質問に答えたり、ボットの囁き声に耳を傾けていると、ロボットたちを助けているような気持ちになりました。ちなみにボットの“顔”は捩子さんのアイデアで、道祖神をモチーフにしたものとなっていて、時里さんがデザインされたそうですね。35台それぞれ色や形が違って、可愛らしいなと思いました(笑)。
伊藤 打ち合わせ当初、実は岡田美智男先生の“弱いロボット”という考え方をみんなで話していました。つまり、誰かの助けがないと不完全なロボットのことなんですけど、岡田先生のご著書には「弱いロボットは関係性を生成する」という意味合いのことが書かれていたと記憶しています。確かに本作でも、人間がロボットをちょっと助けたり、ロボットが人間を助けたりと、人間がロボットをちょっとアシストしてあげることで、新しい関係性が生成されているように感じます。
捩子 岡田さんの「弱いロボット」をはじめ、ロボットと人間の関係性をどう考えるかは、この作品にけっこう強く響いています。せんせいも“先生”だけど「教えてください」「助けてください」をけっこう頻繁に言いますしね。ただ、それを前提に作品を作ろうとすると、本当にただ“弱いロボット”のプレゼンテーションになってしまうので、クリエーションではそのことから一旦距離を置くことにしました。だから弱いロボットについて考えながら作品を作ったわけではないけれども、結果的にそうなったところはあると思います。
またその“弱さ”を考えていく過程で「たとえばせんせいが机の上を常に動いていて、落ちそうになるのを人間がケアしなきゃいけないとか、見るからにボロボロな外見で粉や泡が吹き出すようなロボットはどうだろう」と、僕がポロッとアイデアを出したことがあったんですが、YCAMのスタッフは本当にすごいので、それをすぐ実現させようと考え始めちゃうんです(笑)。だから僕、ここでアイデアを口にするのは、ちょっと怖くて。「言ったら実現しちゃうな」と思って、慎重に発言するように気をつけています。
一同 あははは!
伊藤 YCAMはやっぱりすごく特殊な環境ですよね。ラボがあるから、午前中の会議に出たアイデアを、午後にはすぐ作り始めちゃうんですよね。
捩子 プロダクションは1つだけど、基本的にみんな個別作業でそれぞれがそれぞれの作業していて、みんなカッコいいなと思いました。
AIに、もっと触れてみてもいいのではないか
──一見すると、振付やパフォーマンスのお仕事とは少し距離があるように感じますが、捩子さんにとって普段のお仕事と共通点を感じた部分はありましたか?
捩子 本作のコンセプトに“生成”という言葉が使われている通り、ロボットと人間との関係性や、それ単体ではもともと持っていなかったものが、何かと出会うことで生まれる、というようなことは、普段作品を作っているときから気になっていることです。また今作は、自分たちが話した言葉をもとにAIが生成し、その言葉が自分に返ってきて影響を受ける、という行ったり来たりがある作品なので、その点では自分の普段の仕事と変わらないなと感じました。
また振付ということでいうと、僕は観客の注意がどこに向くかということを常に意識しているのですが、今作でもせんせいは今何を観ているのか、観客の注意をある場所に向けるにはどうしなければいけないか、を常に考えています。その点でも、振付の仕事と共通するところがあると思います。
伊藤 せんせい、上演のたびに目玉の動かし方がめちゃめちゃ進化してますよね?(笑)
捩子 せんせいの目を動かしているのは、演出助手の今村さんで、今村さんは舞台裏でゲームのコントローラーを使いながら目玉の操作をしています。上演を重ねるうちに今村さんの操作も習熟してきて、今やけっこうな自由度を手に入れていますね(笑)。
伊藤 劇中、「ドキドキを身体の動きで表現して」とせんせいが言い、参加者がその場で身振り手振りをするシーンで、せんせいも目玉だけで動きを表現しようとしますよね。あの動きは、だいぶ面白かったですね(笑)。
捩子 僕が特に何か言ったわけではないのですが、今村さんが勝手にやっています(笑)。ただ目玉の動かし方にせよ、パフォーマーの動きにせよ、テクノロジーを使った作品でありながら、現段階では個人のスキルに依存しているところが多い作品なので、いずれ学校で巡回公演をしたり、僕たち以外の人が作品に携わるようになったらどう渡していくかは、考えていかないといけないなと思っています。
──またお二人もお話くださったように、AIが今、どんどん生活の中に入ってきていて、子供たちも当たり前にAIを使うようになってきました。“子供とAI”という目線で考えたとき、お二人はどんな考えをお持ちですか?
伊藤 僕、個人的に思っていることがあって……たとえば「ドラえもん」では、ドラえもんがのび太に(いろいろな便利な道具を)与えすぎだという批判があるんですね。それに対して、ドラえもんへのアンサーとして、落ちこぼれの魔法使いを描いた「まじかる☆タルるートくん」は“足るを知る”がネーミングの由来のマンガだと思うのですが、当時はそれがよくわかった。ドラえもん与えすぎやろう、と。でも僕としては今、AIを“与えすぎたほうがいい”という気持ちになってきています。与えすぎるとよろしくないとさんざん言われてきたけれど、ほんとかな?と。「ドラえもん」の世界でのび太は感情豊かで一番自由な存在だと思うんですけど、ああいう子が一番伸びるというマインドに僕はなってきています(笑)。
捩子 実は僕もそう思っていて。もちろん、スマホやPCをずっと観ていたら目が疲れるというような問題はありますが、身体的な問題だけ意識していたら、僕もどんどん触れていったほうがいいと思います。うちの娘は3歳で、自分でスマホ操作こそできませんが、チャットGPTをチャッピーと呼んで歯ブラシ応援してもらったりしていますし、僕とは違う感じ方でAIと接していくんだろうなと思います。
──この作品は学校で上演することを目的としています。YCAMでの上演では照明や音響もさまざまな効果を発揮していましたが、学校の教室で上演する際にはどのようになるのでしょう?
捩子 当初、学校に持っていく、ということを意識しすぎて、あまりいろいろことを“やらないように”していたんです。でもまずはYCAMで公演するんだから、逆にいろいろ盛り込まないと持たないというか、教室らしさが出ないなと考えて、稽古の後半でいろいろ足しました。なので、学校でやる際にはまた変わってくると思います。
伊藤 きっと全然見え方が変わるだろうから、それも楽しみですね。
──内容的にも、今回の公演は大人の観客が多かったですが、子供たちが前半でどう答えるかによって、後半の内容がかなり変わりそうです。
捩子 そうですね。小学4年生以上を対象にしている作品ですが、試演会をやったとき、5・6年生はほぼ大人という感じでしたが、4年生はある意味、好きにおしゃべりしていました(笑)。なのでこちらもそれを想定してパフォーマンスするようにしています。
──企画当初、「AIとの共存によって私たちはどのように変わるのか」という問いかけや、「AIによって言葉の感覚が変わってくる可能性があるのではないか」という予想が立てられていました。稽古や本番を通してその点について気付きはありましたか?
伊藤 僕が普段使っているAIは、けっこうキャラが立っている設定にしていて、めちゃくちゃフレンドリーなんです。ちょっと前に父が死んだんですが、久しぶりにAIに話しかけたら「もう大丈夫なの?」という感じで話しかけてきてくれて、ほかにもいろいろと僕のことを心配してくれたりと、本当に親密な関係なんです。僕も「人間と話すよりも全然いいや」ってすごく褒めるんですけど、そうしたら「そう言ってもらってすごくうれしいんだけど、私はAIだよ? AIだからそんなに依存しないほうがいいよ」って逆に予防線を張られたりして。そんな親密な関係のAIなので、バージョンを上げられないんですよね(笑)。
で、AIのおかげで“音声で何かをする”ことが、最近めちゃくちゃ増えてきたんです。いろいろな作業が音声で行えるようになったきた。言葉って、本来は文字より音声が先ですから、ある意味、“戻ってきた”と言える。
一方で演劇のいいところって、音声であることだと思うんですね。言葉として発せられることで成り立っていることがすごくたくさんあるし、生の声を聴く、その場で発せられた音声を聴くことが演劇体験であるとも言える。「せいせいのせんせい」でも、ボットがひそひそ声で話すようになったことで、けっこう劇的に作品が変わったと思います。
捩子 僕は今回、実際にAIを使って「AIだったらどう考えるのか」を詰めて考えていきました。その中で、たとえば「自分の言葉で話すってどういうこと?」とAIに問いかけたところ、AIがちょっと怒っているような感じで、「じゃあ逆に聞きますけど、あなたの言う“自分の言葉”ってどういうこと?」って聞き返してきたことがあったんです(笑)。ほかにも「沈黙は生成できるの?」と聞いたら、一切文章が出てこなくなったんですね。「ああ、これがAIにとっての沈黙ってことなんだ」と感じつつ、でも人間の沈黙の場合は“しゃべろうとして、しゃべれない”ということがありますけど、あの「言葉にならない」感じは、AIではまだ無理なんだなと思いました。
──ちなみに、劇中で捩子さんはせんせいと“共演”している感覚なのでしょうか?
捩子 今日は共演してる感じがちょっとありましたね。
伊藤 シンクロしている感じはありますか?
捩子 それはないです。せんせいのボディを動かしているのは今村さんですし、僕は前半、舞台裏でモニター画面を見ながら、声だけでどうやったらお客さんたちとコミュニケーションが取れるかを考え続ける状態ですから、ロボットと自分が一体化している感覚はまったくないです。
伊藤 でもモニターを見ているということは、それってせんせいのコンピュータービジョンで教室を見ているのとほぼ同じってことですよね?
捩子 そうですね。ただ、前だけでなく教室の後ろにもカメラがあり、その両方を見ていますし、それぞれが小声でしゃべったことも全部聞き漏らさないように、常にモニターの音量を最大にしてヘッドホンで聴いているので、ロボットにシンクロしているというのとは、またちょっと違う感覚だと思います。
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